鉄道唱歌 関西編 第47番 吉野はかつて南朝だった 後醍醐天皇の皇居となった吉水神社 

まずは原文から!

あはれ暫(しば)しは南朝(なんちょう)の
假(かり)の皇居(こうきょ)となりたりし
吉水院(よしみずいん)の月のかげ
曇(くも)るか今も夜な/\(夜な)は

さらに読みやすく!

あはれ暫(しば)しは南朝(なんちょう)の
仮(かり)の皇居(こうきょ)となりたりし
吉水院(よしみずいん)の月のかげ
曇(くも)るか今も夜な夜なは

さあ、歌ってみよう!

♪あーわれしばしは なんちょうの
♪かりのこうきょと なりたりしー
♪よしみずいーんの つきのかげー
♪くもるかいまもー よなよなはー

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

奈良県南部の山地・吉野へ

今回は、奈良県のやや南の山奥にある、吉野(よしの)という観光名所の話題となります。

後醍醐天皇が逃れてきた吉野・南朝

吉野(よしの)はかつて、後醍醐天皇が逃げてきた場所であり、その後醍醐天皇がここにある吉水神社(よしみずじんじゃ)を皇居とし、南朝(なんちょう)が置かれていた場所でもあります。

吉野は奈良県の南・山奥深くにあり、かなり険しい山地の中にあります。
春には桜が満開となり、あたり一面ピンク色の美しい景色になります。

吉野山の景色(奈良県)

山奥にあり、歴史的に「逃げ場」として適していた(?)吉野

吉野は、なんだかちょっと山奥にある、山々が非常に入り組んだ場所にあります。
逆にいえば、それだけ敵に追っかけて来られにくい、防御の拠点」や「逃げ場」として優れた(それでいて、奈良京都などの都会にもそこそこ近い)場所ということになります。

実際、吉野は歴史的に、何度も何度も逃げ場として使われてきました。

逃げ場の例:飛鳥時代・壬申の乱のとき

例えば、672年の壬申の乱(じんしんのらん)の時は、自分の天皇の座を弟(大友皇子)に奪われた大海人皇子(おおあまのおうじ。後の天武天皇)が、一旦吉野に逃げてきました。

しかし大海人皇子はその後、

  • 名張(なばり)→岐阜

と進んで兵力を集め、関ヶ原(せきがはら)を西へ越えてゆきました。
そして、宿敵・大友皇子が待つ滋賀県大津市にあった近江大津宮(おうみおおつのみや)へと攻めて、瀬田の唐橋(せたのからはし)付近で倒したのでした。

そして、晴れて天武天皇として即位しました。

逃げ場の例:源義経の場合

また、1185年の「壇ノ浦の戦い」で平氏を倒した源義経(よしつね)も、兄の源頼朝と政治的に対立してしまい、追いかけられたため、吉野へと逃げてきました。
その後、兄の頼朝から逃げるため、義経よる東北地方へひたすら逃げるという旅が始まりました。

その後虚しく、岩手県の平泉(ひらいずみ)で滅ぼされています。

義経平泉について詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「建武の新政」の失敗

後醍醐天皇は、1333年に鎌倉幕府を倒し、「建武の新政」を行った天皇です。

主に

  • 新田義貞(にった よしさだ)
  • 楠木正成(くすのき まさしげ)
  • 名和長年(なわ ながとし)
  • 結城宗広(ゆうき むねひろ)

らとともに戦いました。

しかし、「建武の新政」は天皇を初めとする公家(くげ)や貴族ばかりを優遇し、武士を冷遇するものでした。
これに不満を持った武士たちが立ち上がり、その筆頭格が足利尊氏(あしかが たかうじ)でした。

後醍醐天皇らとともに戦った楠木正成や結城宗広らは、戦死してしたり、力尽きてしまったのでした。

ちなみに結城宗広は、正確には地元である福島県・白河(しらかわ)へと逃げようとしたところ、三重県津市あたりにたどり着いたところで力尽き、亡くなってしまいました。

結城宗弘については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

足利尊氏との政争に敗れ、吉野へ逃れる

一方、後醍醐天皇は吉野に逃げてきたのでした。
そして、「南朝」という朝廷を吉野に建てたのでした。
その「南朝」の皇居(天皇のお住まい)となったのが、今も吉野に存在する吉水神社(よしみずじんじゃ)です。

「南朝」「北朝」とは?

南朝(なんちょう)とは、北朝(ほくちょう)と分けて使う言葉です。
(北朝のある)京都の南に位置する吉野に置かれたことから、「南朝」といいます。

北朝(ほくちょう)は、京都の元々あった朝廷です。

朝廷」とは、天皇や貴族が政治などを行う場所です。
主に朝早く出勤して午前中に仕事(公務)を行い、昼からは歌などを詠んで遊ぶ生活をしていたため(その代わり土日休みは無し)、「朝廷」という名前が付いたのです。

足利尊氏が、「征夷大将軍」に任命され、室町時代のスタート

この北朝が、足利尊氏に対して「征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)」の任命を与え、足利尊氏は室町幕府を開き、室町時代のスタートとなるのです。

現代でも、内閣総理大臣は選挙で選ばれた後、天皇によって正式に任命されます。
日本では天皇が一番尊い存在であるため、たとえ政権は将軍・幕府や国民が持っていたとしても、天皇から正式に任命されることで、その権威と信頼性が増すというわけです。

南北朝時代のスタート

この「南朝」「北朝」の両方の朝廷が存在した時代を、「南北朝時代」といいます。
この南北朝時代は荒れに荒れ、南朝と北朝との醜いバトルは常に繰り広げられます。

また、北朝の中でも、味方同士で醜い権力争いなどをしたりして、まさにドロ沼の混乱カオス状態でした。

「北朝」「南朝」が、お互いに自らの正統性を主張

また、北朝と南朝は、自分達こそが正当な朝廷であることを主張します。
つまり、お互いに「お前らはニセモノだ!」などと叫び合っているような状態です。
北朝は、元々京都に平安時代から存在していた朝廷です。

後醍醐天皇も、「三種の神器」で対抗

しかし、南朝に逃げ込んだ後醍醐天皇も、天皇家に代々伝わる「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」を吉野に持ち込んでいたのでした。
そのため、(なんと足利尊氏との和睦交渉の際に三種の神器の「ニセ物」を渡して、本物を吉野に持ち込んだとも。諸説あり)、南朝にもそれはそれで「朝廷」を名乗る正当性があります。

「三種の神器」は、令和の現代でも、天皇が即位するために受け継ぐ重要なものです。

北朝で政争に敗れた人が南朝へ逃げ込む、異常事態に

そして、北朝の中でも権力争いで揉めに揉め、その政争に敗れてきた人達が南朝(吉野)に逃げてきて、南朝側に寝返るということも度々ありました。
もはやカオス状態ともいっていいでしょう。

足利義満による、南北朝の統一

こうした動乱に苦しんだ南北朝時代は、約60年間も続きました。
しかし、1392年に室町時代三代将軍・足利義満(よしみつ)によって、ようやく南北朝が統一されました。

足利義満は、日明貿易(にちみんぼうえき)で多大な利益を上げ、また金閣寺(きんかくじ)を建てるなど、バリバリヤリ手の政治手腕の将軍でした。

「銀河鉄道999」の曲で知られる、ゴダイゴ

ちなみに、

  • JR西日本・山陽新幹線の主要5駅、
  • 横浜線・淵野辺駅(ふちのべえき、神奈川県相模原市)

の発車メロディーに使用されている、1970年代のアニメ「銀河鉄道999(スリーナイン)」の主題歌、「The Galaxy Express 999」という曲は、「ゴダイゴ」というプログレッシブ・ロックバンドが歌っています。

その「ゴダイゴ」のリーダーであるミッキー吉野さんが、自分の苗字から後醍醐天皇が大好きだったため、「ゴダイゴ」というバンド名にしたそうです。

次も、吉野山の話題となります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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