まずは原文から!
佐野(さの)の松原(まつばら)貫之(つらゆき)が
歌に知られし蟻通(ありどおし)
蟻(あり)のおもひにあらねども
とゞく願(ねがい)は汽車(きしゃ)の恩
さらに読みやすく!
佐野(さの)の松原(まつばら)貫之(つらゆき)が
歌に知られし蟻通(ありどおし)
蟻(あり)のおもいにあらねども
とどく願(ねがい)は汽車(きしゃ)の恩
さあ、歌ってみよう!
♪さーののまつばら つらゆきがー
♪うーたにしられし ありどおしー
♪ありのおもーいに あらねどもー
♪とどくねがいはー きしゃのおん
(南海本線)
和歌山市駅→紀ノ川駅(旧・和歌山北口駅)→(旧・深日駅跡)→尾崎駅→樽井駅→泉佐野駅→貝塚駅→岸和田駅→泉大津駅→羽衣駅→浜寺公園駅→湊駅→堺駅→(大和川)→住吉大社駅→天下茶屋駅→なんば駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。
尾崎駅(おざきえき、大阪府阪南市)と樽井駅(たるいえき、大阪府泉南市)を過ぎると、列車はやがて関西空港方面への分岐駅でもある泉佐野駅(いずみさのえき、大阪府泉佐野駅)に到着ます。
大阪府泉佐野市(いずみさのし)は、歌詞にある紀貫之(きのつらゆき)にゆかりある蟻通神社(ありどおしじんじゃ)があるほか、関西国際空港が存在する自治体でもあります。
大阪府南部のこのあたりの地域を、昔は「和泉国(いずみのくに)」、または「泉州(せんしゅう)」と呼んでいました。
なのでこの辺りは、「泉(いずみ)」、「和泉(いずみ)」がつく地名や駅名が多くなります。
かつて和泉国(いずみのくに)には、和歌山県南部の険しい山岳地帯である熊野(くまの)方面に参拝するための、熊野街道(くまのかいどう)と呼ばれる昔ながらの道がありました。
熊野街道(くまのかいどう)とは、大阪を出発して南下し、和歌山を経由して、紀伊半島の山深くにある熊野神社(くまのじんじゃ)に参拝するための道です。
「熊野参拝」は平安時代からとても多くの人々によって行われ、天皇といった高貴な方々も参拝を行いました。
昔の人々は(天皇・貴族など高貴な方々も含め)、この熊野街道を通って、はるばると南の熊野へ参拝の旅へ出ていたのですね。
現代の「南海本線」「阪和線」「紀勢本線」や自動車の「国道42号」などは、かつての熊野街道(熊野古道)に準拠した路線ともいえるでしょう。
ちなみに余談ですが、紀伊半島を横に横断する「国道425号」は「酷道(こくどう。いわゆる酷い国道をジョーク混じりに揶揄した表現)」の代表格とも呼ばれ、通称「死にGO(425)」と呼ばれます。
国道425号は三重県尾鷲市(おわせし)と和歌山県御坊市(ごぼうし)を横に結ぶ路線ですが、カーブ多すぎ・道狭すぎ・ガードレール無し・断崖絶壁あり・落石あり・倒木ありという、まるで「マリオカート」に出てくるような鬼畜コースであり、全然ショートカットにならないばかりか命の保証すらありません。
よほど自身の運転技術と、愛車に自信がある「酷道マニア」でなければ通らない方がよく、国道(酷道)425号はかなり恐るべき道路です。
「普通の道なんて眠くて走ってらんねぇよ」というツワモノ・運転のエキスパート以外は酷道425号は運転しないに越したことはないでしょう。
余談すみません。話を戻します。
歌詞にある泉佐野市の「佐野の松原」は、鉄道唱歌の当時は海沿い地域に美しい松原が存在していたようです。
ただし、現在では埋め立てなどが理由で「佐野の松原」は存在しないようです。
泉佐野市には、紀貫之(きのつらゆき)のエピソードで有名な、蟻通神社(ありどおしじんじゃ)という神社があります。
紀貫之(きのつらゆき)は、平安時代の作家のであり、古今和歌集(こきんわかしゅう)の編集者としても知られます。
「古今和歌集」とは、平安時代に作られた日本初の勅選和歌集(ちょくせんわかしゅう)のことをいいます(”勅選”でなければ、それまで「万葉集」も存在した)。「勅撰和歌集」とは、天皇の命令によって編集され、またかつての有名な歌をピックアップしてまとめた和歌集です。
いわば「天皇の命令で編集された、過去の歌のベスト盤」ともいえるでしょう。
「勅(ちょく)」とは、「天皇による」などの意味を持ちます。
「撰ぶ(えらぶ)」とは、書く・編集するという意味です。
この時に勅選を命じたのは、醍醐天皇(だいごてんのう)です。
醍醐天皇の時代には、西暦900年に菅原道真が九州・福岡の大宰府(だざいふ)に左遷されたことで知られます。
紀貫之は「土佐日記」という小説が有名です。
「土佐日記」は、実際に紀貫之が土佐国(とさのくに。現代の高知県)に旅をしに行ったときの記録が書かれています。
蟻通神社(ありどおしじんじゃ)は、大阪府泉佐野市にある神社であり、主祭神(しゅさいじん)として大国主命(おおくにぬし)が祀(まつ)られています。
大国主命(おおくにぬし)とは、島根県の出雲大社に祀(まつ)られている神様であり、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)を救ったことで有名な心優しい神様として知られます。
また、大国主命はうさぎを救ったという噂を聞きつけた美女(八上姫/やかみひめ)に結婚を申し込まれたことから、大国主命は「出会いの神様」と言われ、出雲大社は「縁結びの神社」として婚活にご利益があるとされています。
紀貫之が紀州(和歌山)から帰る途中、この蟻通神社にさしかかりました。
この紀州への旅というのは、恐らく「和歌の神様」と呼ばれた和歌山県和歌山市にある玉津島神社(たまつしまじんじゃ)や和歌浦(わかのうら)への旅だったのではないかと思われます。
しかし彼(紀貫之)は馬に乗ったまま蟻通神社の境内に入ってしまったところを、「無礼だ」として神様の怒りを買ったことから雷が落ち、馬が死んでしまったようです。
そして神様の怒りを目の当たりにした紀貫之は、
「ああ神様、まさかここが蟻通神社の境内だったとは、気付きもしませんでした。悪気は無かったので、どうかお許しくださいませ。」
という、全力の謝罪の意の歌を詠みました。
(実際には上記のような現代語ではなく、五・七・五・七・七の古語の歌です。)
すると、神様はお許しになり、馬はなんと生き返ったようです。
これが歌詞にもある、紀貫之の「蟻通神社での物語」になります。
これは恐らく、「悪気無くやったことはきちんと謝罪すれば、神様も許してくださる」という教訓なのかもしれません。
泉佐野市の駅は、JR阪和線(はんわせん。南海本線と競合するJR路線)では日根野駅(ひねのえき、大阪府泉佐野市)が該当します。
日根野駅も南海本線・泉佐野駅と同じく、関西空港方面への分岐駅になります。
「佐野(さの)」という地名は全国的に多く、栃木県にも「佐野市(さのし)」があります。
泉佐野市は恐らくこちらとの重複を避けるため、昔この大阪府南部は「和泉国(いずみのくに)」と呼ばれていたことから、「泉佐野」という地名となったのだと思われます。
ただし「和泉佐野市」とすると、近隣の「和泉市」と混同される可能性があったため、「和」の文字を取って「泉佐野市」となったのだと思います。
これは、北にある「泉大津市(いずみおおつし)」にも同じことがいえます。
「泉大津市」も、滋賀県の県庁所在地である大津市(おおつし)があるため、重複を避けるため泉大津市となったものと考えられます。
この近辺は、何度も述べている通り、昔は「和泉国(いずみのくに)」と呼ばれていたので、「泉(いずみ)」「和泉(いずみ)」がつく地名や駅名が多くなります。
このように、似たような地名や駅名が多くなるので、間違えないように注意しましょう。
次は、貝塚駅(かいづかえき)、岸和田駅(きしわだえき)に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
コメント