まずは原文から!
治(おさ)まる御代(みよ)の天下茶屋(てんかぢゃや)
さわがぬ波(なみ)の難波驛(なんばえき)
いさみて出(い)づる旅人の
心はあとに殘(のこ)れども
さらに読みやすく!
治(おさ)まる御代(みよ)の天下茶屋(てんかぢゃや)
さわがぬ波(なみ)の難波駅(なんばえき)
いさみて出(い)づる旅人の
心はあとに残(のこ)れども
さあ、歌ってみよう!
♪おさまるみーよの てんがぢゃや
♪さわがぬなみのー なんばえきー
♪いさみていーづる たびびとのー
♪こころはあとにー のこれどもー
(南海本線)
和歌山市駅→紀ノ川駅(旧・和歌山北口駅)→(旧・深日駅跡)→尾崎駅→樽井駅→泉佐野駅→貝塚駅→岸和田駅→泉大津駅→羽衣駅→浜寺公園駅→湊駅→堺駅→(大和川)→住吉大社駅→天下茶屋駅→なんば駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。
長かった鉄道唱歌 関西・参宮・南海編も、この第64番で最後になります。
天下茶屋駅(てんがぢゃやえき、大阪府大阪市西成区)や新今宮駅(しんいまみやえき、大阪市西成区/浪速区)を過ぎると、今回の旅のゴールであり、また南海本線の起点でもあるなんば駅(大阪府大阪市中央区)に到着します。
天下茶屋(てんがぢゃ)とは、豊臣秀吉(=天下人)が、住吉大社の参拝の帰りに立ち寄って お茶を楽しんだことから、 その名前がつきました。
「茶屋(ちゃや)」とは、江戸時代や明治時代くらいまでの街道沿いに存在した、旅人たちを呼び止めてお茶や菓子などをイートインで提供するお店のことです。
今でいうカフェや喫茶店のようなものですね。
旅人たちが疲れたとき、ふと茶店を見つけて、「おっラッキー!あそこで休憩していこう」となるわけです。その集客モデルは、現代でも基本的な構造は変わっていないといっていいでしょう。
旅行で歩き疲れたら、静かで快適なお店の座席に座れるメリットは大きいですからね。
新今宮駅の少し北にある今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、「えべっさん」の名前でも親しまれ、兵庫県西宮市(にしのみやし)の西宮神社(にしのみやじんじゃ)が総本社(そうほんしゃ)になります。
恵比寿神社(えびすじんじゃ)は全国に多数ありますが、そのトップの神社が西宮神社ということになります。
恵比寿さま/えべっさんは、商売繁盛に関する神様です。いわゆる「七福神(しちふくじん)」という七人の人々に幸福をもたらす神様の一人になります。
七福神(しちふくじん)は、毘沙門天(びしゃもんてん)や弁財天(べんざいてん)なども含まれ、インド由来の神様になります。
JR大和路線(やまとじせん)、大阪環状線と交差して大阪市の内部に入ってゆくと、冒頭にも述べた通り、いよいよ鉄道唱歌 関西・参宮・南海編のゴールである、終点・なんば駅(難波駅)に到着です。
なんば駅(難波駅)の目の前には、高島屋(タカシマヤ)という巨大な百貨店があります。
難波は、全国の高島屋の本店所在地です。
「高島屋」は、元々は近江国(おうみのくに)、すなわち琵琶湖(びわこ)の西側にある滋賀県高島市(たかしまし)に由来しています。
滋賀県高島市(たかしまし)や近江八幡市(おうみはちまんし)などの出身だった江戸時代の商人が近江(おうみ。現在の滋賀県)地方や全国で活躍したことから、これが「近江商人」の始まりと言われています。現代の企業にも、近江商人をルーツとする企業は多いということです。
近江国(滋賀県)には琵琶湖があり、まだ鉄道や長距離トラックが無かった時代でも「船」というツールがありましたから、琵琶湖の水運を生かして販路(はんろ)を拡大し、また京都や大坂といった大都市にも近いメリットを生かしあちこちに船や陸を通じて商品や物資を運び売ることができましたから、大きな利益を挙げることができました。
高島屋の元祖となった近江商人のことを、飯田新七(いいだ しんしち)といいます。
大阪には地下街がとても多いイメージがありますが、難波にも「なんばウォーク」という地下街があり、飲食店や商業施設が数多く、決して退屈しないようになっています。
大都市に地下街が多い理由として、恐らく万が一戦争などの有事(ゆうじ)の際や災害などに巻き込まれた場合に、シェルターとしての役割を果たすことが考えられます。
梅田駅周辺には少し西の堂島(どうじま)方面へ続く日本最大級の地下街がありますし、淀屋橋駅(よどやばしえき)と北浜駅(きたはまえき)との間にも長大な地下経路があります(ただし、こちらはお店は無かったと記憶しています)。
心斎橋駅(しんさいばしえき)と長堀橋駅(ながほりばしえき)の間にも、「クリスタ長堀」という長大な地下街があります。
このように、地下街の位置を把握しておけば、万一の場合にシェルターのように逃れられるというメリットがあるわけです。
難波の娯楽といえば、吉本の「グランド花月」や、食い倒れ、串カツ、道頓堀(どうとんぼり)、グリコの看板、戎橋(えびすばし)、日本橋の「オタロード」、そしてNMB48などでしょうか?
山本彩さんがメインで歌うAKB48の「365日の紙飛行機」は、今でも好きな曲です。
さて、鉄道唱歌 関西・参宮・南海編、いかがだったでしょうか。
第1番のところでも書いたのですが、関西地方は「日本発祥の地」であり、日本の長い歴史の中でもトップクラスに歴史が長いです。
それだけ複雑であり、それだけ日本の歴史はマニアックで難しいと感じました。
特に奈良時代や飛鳥時代は難しく、特に「奈良めぐり」を初めとする奈良県は一番難しく感じました。
さすが「大和国」であり、日本のふるさとの県だけあるなと思いました。
また、この難解さにより記事を書くに当たっての私個人の勉強もなかなか進まず、全部書くのに想定していたよりも時間が掛かってしまいました。結局、5ヶ月もかかりました。
これによって更新が遅れてしまい、楽しみにしていた方々には本当に申し訳なく思います。
そして歌詞には
「勇みていずる旅人の 心は跡に残れども」
とあります。
つまり、勇ましく旅に出たはいいけども、いざ旅が終わってみるとなんだか名残惜しい、という意味ですね。
旅行が始まる前はそれなりにリスク等も覚悟をして出ていくわけですが、いざ終わってみるとなんだな名残惜しいなあ、と思うことはよくあります。
例えば、
「もっとこうしておけばよかったなあ」
「他にももっと行きたい場所があったのに」
「せっかく気に入った場所なのに、帰りたくないなあ」
などの気持ちです。
しかし、ここで重要なのは、
「また、来ればいいや。」
という気持ちです。
これはスーツさんも過去の動画の中で言われていた言葉です。
たとえ1回目の旅行で失敗したことであっても、2回目の旅行でリベンジできる可能性はあります。
また、どうしても名残惜しい場合であっても、「また、来ればいいや」と思うことで気持ちが楽になりますし、次回は前回よりも土地勘・経験値・知識もより成長してるはずですから、二回目に訪れたときの成長を実感することで、人生により幅を持たせることができます。
繰り返しになりますが、旅の終わりが名残惜しいときは
「また、来ればいいや。」
という、この心掛けを忘れないようにしましょう。
そして私(筆者)自信も、記事を書くにあたって相当知識が身についたので、次回関西地方へ旅行に行ったときはさらにレベルアップした、充実した旅行ができることになっていると思い、楽しみでもあります。
旅行は、あなたの人生に多大な充実感をもたらします!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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