鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
盛岡の観光・歴史などを、楽しく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
市の産物と知られたり
岩手の山の峰よりも
南部の馬の名ぞ高き
さらに読みやすく!
市の産物と 知られたり
岩手の山の 峰よりも
南部の馬の 名ぞ高き
さあ、歌ってみよう!
♪しのさんぶつとー しられたりー
♪いわてのやーまの みねよりもー
♪なんぶのうまのー なぞたかきー
福島駅→伊達駅(旧・長岡駅)→越河駅→白石駅→岩沼駅→仙台駅→岩切駅→国府多賀城駅→塩釜駅→松島駅→鹿島台駅→小牛田駅→石越駅→花泉駅→一ノ関駅→平泉駅→盛岡駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
岩手県の県庁所在地・盛岡市
前回で、
- 盛岡駅(岩手県盛岡市)
に到着しました。
岩手県盛岡市は、岩手県の県庁所在地にして、最大の都市です。
今回は、主に盛岡市を中心とした話題となります。
東北地方の各地の「城柵」
かつて盛岡は、「斯波城」といって、かつて朝廷が蝦夷という
を抑えるために、東北地方の防御の拠点を置いていた場所でもありました。
もちろんこれは、
- 宮城県の多賀城
- 岩手県奥州市の胆沢城
といった城も、蝦夷を抑えるための同じ東北地方の防衛の拠点といえます。
ただ「お城」といっても、現在の我々が想像するような立派な天守のある城ではなく、平安時代の当時は本当に柵を設けて、敵が入ってこられないように作られた、「とりあえず(申し訳程度)」的なものでした。
主に敵が攻めてきにくい山の上や、山と山に囲まれた複雑な地形、目の前を海や山で囲まれた防衛に適したな場所にこうした城(柵)は築かれる傾向にありました。
こうしたものを城柵といいます。
東北地方(陸奥地方、出羽地方)には、こうした城柵はいくつも跡が残っています。
前九年の役で、盛岡に追い詰められた安倍貞任
また、盛岡は平安時代の1080年代に東北地方でやりたい放題を誇った(全盛期を極めた)安倍貞任が、源頼義に滅ぼされた場所でもあります。
1060年代から始まった前九年の役で朝廷から陸奥守として東北地方に派遣された源頼義は、
- 仲間の裏切り
- 東北地方の慣れない厳しい寒さに阻まれる
- 約10年間にも及ぶ長期戦
などの苦境に追い込まれたものの、秋田の清原氏と協力して、なんとか安倍氏を滅亡に追い込みました。
安倍貞任の「朝廷に歯向かい続けた罪」は余りにも大きく、最期は最も苦しむ方法で処刑されたといいます。
また、盛岡駅のやや北西には、「前九年」という地名が現在でも残っています。
盛岡の名物・羽二重織り
・・・前置きが長くなりすみません。
では、鉄道唱歌の歌詞の本題に入っていきます。
「羽二重織りは、織物の一種で、縦糸を二本、緯糸を一本で折りあわせた布のことをいいます。
通常、織物は、糸を縦と横に一本ずつ折りあわせて布を作ります。
羽二重織りは、この縦糸を二本使います。
なぜ二本使うのかは、私は詳しくないのでわかりませんが、以下のようなメリットがあるのかもしれません。
- 光沢がよくなる
- 模様が良くなる
- 耐久性が上がる
※あくまで想像で書いてます!間違っている可能性が大きいので、信用しないでください!
羽二重織りは、盛岡のも有名ですが、福井県福井市のものも有名です。
鉄道唱歌 北陸編 第63番でも、
輸出の高も数千万」
と歌われていますよね。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。

- 博多の織物
- 京都の西陣織
- 群馬県桐生市の桐生織
などの織物は有名ですので、併せて覚えておきましょう。
織物や生糸に関する豆知識
織物は、生糸から作られます。
生糸は、カイコという幼虫が作る糸であり、またカイコは桑を食べて成長します。
そのため、群馬県では桑を大量に育てるための桑畑が明治時代には多くあり、またカイコ(蚕)を育てる養蚕が盛んでした。
これも鉄道唱歌 北陸編 第14番で唄われている通りです。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。

明治時代に、なぜ織物の生産が重要だったのか
羽二重織りなど、なぜ明治時代に生糸や織物が盛んだったのか。
それは、
- 大量に外国に輸出して、
- その利益で日本という国を強く豊かにし、
- 欧米列強に負けない国を作る必要があった
からです。
これを「殖産興業」といいます。
盛岡の名物「南部鉄器」
歌詞にある「鉄瓶」とは、いわゆる南部鉄器のことをいいます。
南部鉄器とは、盛岡市や奥州市などで作られる、鉄で作られる日用品のことをいいます。
「南部」とは、もちろん方角のことではなく、盛岡市の前身である江戸時代の盛岡藩は、南部氏という一族によって統治されていたことに由来します。
仙台藩のことを「伊達藩」とも言ったように、盛岡藩のことを「南部藩」と言ったりもします。
筆者(マヌケ)のように、「南部」を方角か何かのことと勘違いしないように気をつけましょう。
南部鉄器は非常に高度な技術によって造られるため、熟練には数十年、早くても15年はかかるそうです。
素人がちょっとかじっただけで造れるものでは到底ありませんね。
なぜ南部鉄器が盛岡で盛んなのかというと、盛岡の近辺で良質な砂鉄が採れたからです。
この砂鉄は、とても丈夫で、加工しやすいことから、鉄器の製造に適していたわけですね。
現在では、鉄器を作る技術さえあれば、盛岡から原材料となる砂鉄を取り寄せて、他地域でも南部鉄器を作ることもできそうに思えます。
しかし、昔は現在ほど高速トラックや航空機による貨物輸送が発達していませんでしたから、やはり南部鉄器の製造は地元の盛岡以外では難しかったでしょう。
というより、南部鉄器は先述の通り熟練まで何十年もかかる高度な技術が必要ですから、その専門的なノウハウをやはり盛岡以外の人が技術を習得するのはほぼ無理に近いかもしれません。
岩手県の最高峰・岩手山
岩手山(標高2,038m)は、盛岡市の西にあるとても大きく美しい山です。
岩手県で最も高い山(最高峰)であり、また富士山のように雄大で優美な姿をしていることから、「岩手富士」とも呼ばれます。
いわゆる「郷土富士」の一つです。

東北新幹線・岩手山の景色。(岩手県盛岡市)
歌詞4行目の「南部の馬」とは?
歌詞の4行目
とありますが、東北地方のこの近辺は冷涼な気候で馬が育ちやすいため、歌詞から察するに、南部(盛岡)の馬はとても名が高かったことでしょう。
かつて奥州藤原氏がそうだったように、冷涼な東北地方で育つ馬は、昔はとても評価が高かったのでした。
そのため、平泉を拠点としていた奥州藤原氏は、東北地方ならではの馬などを京都などに売って、大きな利益を上げたのでした。
そして、平安時代の1080年頃~1180年頃の約100年間、源頼朝によって滅ぼされるまで平泉で大きな栄華を築きました。
現在でも競馬に使われる競走馬は、北海道の南の日高地方にて生産されます。
盛岡市の西に位置する「小岩井牧場」
また、盛岡市の西に、「小岩井牧場」という牧場があります。
牛や馬は、夏の蒸し暑い気候を苦手としており、また牛の栄養となる牧草も冷涼な地域でよく育ちます。
そのため、冷涼な東北地方や北海道の牧場で、牛や馬の飼育が盛んな理由がわかりますね。
盛岡の名物「わんこそば」
歌詞にはないですが、盛岡は「わんこそば」が有名です。
わんこそばは、
- 島根県の「出雲そば」
- 長野県の「戸隠そば」
と並んで、日本三大そばとして有名です。
また、盛岡には岩手県ならではのご当地パンである「福田パン」があります。
ここから先は「IGRいわて銀河鉄道」の区間へ
ここから先はIGRいわて銀河鉄道線(※)の区間となり、岩手県の北部を進んでいくことになります。
※IGRいわて銀河鉄道線:元々のJR東北本線の一部。
盛岡駅~新青森駅の東北新幹線開業により、経営分離された区間
盛岡駅に着いたら、すぐ乗り換えるのではなく、一旦盛岡駅の外に出て休憩しましょう。
駅直結ビルの「フェザン盛岡」は商業施設が充実しています。
「南部鉄器」や「わんこそば」のお店もあります。
盛岡は麺が名物のため、麺のお店がたくさんあります。
盛岡駅の東近くには北上川が流れているため、そこから岩手山をバックに写真撮影もありです。

盛岡市街地を流れる北上川。そしてバックには岩手山。(岩手県盛岡市)
次は、二戸・八戸方面へ
盛岡駅周辺で十分休憩してエネルギー回復したら、いよいよIGRいわて銀河鉄道に乗り換え、二戸・八戸方面へ向かって進みましょう!
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