まずは原文から!
いで武士(もののふ)の初狩(はつかり)に
手向(たむ)けし征箭(そや)のあとふりて
矢立(やたて)の杉も神(かみ)さびし
笹子(ささご)の山の峠路(とうげじ)や
さらに読みやすく!
いで武士(もののふ)の初狩(はつかり)に
手向(たむ)けし征矢(そや)のあとふりて
矢立(やたて)の杉も神(かみ)さびし
笹子(ささご)の山の峠路(とうげじ)や
さあ、歌ってみよう!
♪いでもののーふの はつかりにー
♪たむけしそやのー あとふりてー
♪やたてのすーぎも かみさびしー
♪ささごのやまのー とうげじやー
(中央東線)
高尾駅→相模湖駅→上野原駅→四方津駅→鳥沢駅→猿橋駅→大月駅→初狩駅→笹子駅→(笹子トンネル)→甲斐大和駅→塩山駅→山梨市駅→石和温泉駅→酒折駅→甲府駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
大月駅を出て、初狩・笹子・甲府方面へ
大月駅(おおつきえき、山梨県大月市)を出ると、
- 初狩駅(はつかりえき、山梨県大月市初狩町下初狩)
- 笹子駅(ささごえき、山梨県大月市笹子町黒野田)
と過ぎてゆきます。
初狩駅に到着
大月駅を出ると、初狩駅に到着します。

歌詞の「征箭(そや)」とは?
「征箭(そや)」「征矢(そや)」、とは、戦場で使う矢のことを言います。
「箭(や)」は「矢」の旧字体です。
「たむける(手向ける)」とは、捧げるという意味です。
「いで武士(もののふ)」とは、出陣する武士という意味です。
「武士(もののふ)の」とは、「武士が」という意味です。
古語の場合、ここで「~の」は、「~が」という意味になります。
以上の点をまとめると、
出陣する武士たちが初狩に、捧げた矢の数々
というような意味になります。
「ふりて」「神さびし」とは
「ふりて」とは、「古くなって」という意味です。
「神さびし(て)」とは、神格性のある、神様が宿っている、などの意味があります。
つまり、
出陣する武士たちが初狩に、捧げた矢の数々の跡も、今やもう古くなったものだなぁ。
矢立の杉は、とても神様のようなオーラを放っているよ。
みたいな意味になるでしょう。
つまり、後述する矢立の杉(やたてのすぎ)に、出陣する前の武士達が捧げて(打ち込んで)いった跡も「今やすっかり昔の話になってしまったなぁ」という意味になるでしょう。
「矢立の杉」とは
矢立の杉(やたてのすぎ)とは、戦国時代に、これから戦(いくさ)に赴(おもむ)いていく多くの武将たちが、縁起担(かつ)ぎのために「矢を立てていった」という杉です。
勝利祈願のために、兵たちがう矢を立てていった「矢立の杉」
つまり、
「これから戦(いくさ)に挑むぞーっ!!」
という武士たちが戦勝祈願のため、たくさんの矢を木に打ち付けていったことから、「矢立の杉」と呼ばれるわけです。
戦国時代は、甲斐国(かいのくに。山梨県)と相模国(さがみのくに。神奈川県西部)との間で、よく戦(いくさ)が勃発していたのでした。
そして、後の江戸時代に「甲州街道(こうしゅうかいどう)」となるこの地域を、出陣する兵士たちがよく通っていたのでした。
そうした兵士たちの縁起担(かつ)ぎのために、この杉に対して”矢を打ち込んで”いったのでした。
つまり、”たくさんの矢”が、この”杉に立っていた”から、「矢立の杉(やたてのすぎ)」。
というわけです。
最後に、すべての現代意訳を、以下にまとめておきます。
出陣する武士たちが初狩に、
捧げた矢の数々の跡も、今やもう古く昔の話になったものだなぁ。
矢立の杉は、とても神様のようなオーラを放っているよ。
次にくるのは、笹子の山の峠道だよ。
矢立の杉は、現在では大月市の観光名所の1つです。
(現在は、杉に矢は立っていません)
超余談:「はつかり」
※このセクションは、超余談になります。興味ない方は、一気に読み飛ばしてください。
ちなみに、初狩と「初雁(はつかり)」は違います(当然ですが)。
初雁(はつかり)とは、秋に北の国から初めて飛んでくる渡り鳥のことです。
かつて函館へ向かっていた、特急「はつかり」
かつてその昔、上野から青森、延いては函館へ向かう、特急「はつかり号」でその名前が使われていました。
あの「ごっぱーさん(583系)」の青い列車ですね(1968年~1979年の運用上)。
583系は、高度経済成長期、上野~青森を結ぶのに活躍した、団塊の世代にとっては思い出の深い列車です。
彼らが若かりし頃に、夢と希望をもって上京をしてきたときに乗ってきた列車というわけです。
当時は、青森からは「青函連絡船」で、函館へ向かっていたのですね。
青函連絡船については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
1982年に、東北新幹線が開業してからは
しかし、1982年に東北新幹線が盛岡まで開業してからは、「はつかり」は盛岡~青森のみの運行となりました。
盛岡までは新幹線の役割となったため、「はつかり」の役割はかなり短くなったというわけです。
当時は東京~盛岡間までは新幹線で乗って来て、盛岡~青森を特急「はつかり」に乗り換え、さらに青森から函館へは「青函連絡船」ということだったのでしょう。
1988年に、青函トンネルが開通してからは
1988年に青函トンネルが開通してからは、「はつかり」は「海峡線」を通じて、函館まで乗り入れていました。
2002年に、東北新幹線が八戸駅へ延伸してからは
2002年に東北新幹線が八戸駅(はちのへえき)までに延伸すると、ここで特急「はつかり」は廃止となり、代わりに特急「白鳥」「スーパー白鳥」「つがる」などに役割を譲りました。
東京から八戸駅まで新幹線で行き、八戸駅からは特急で、青森→青函トンネル→函館へと進んでいたのですね。
2010年に、東北新幹線が新青森駅へ延伸してからは
2010年に新青森駅(しんあおもりえき)が開業すると、東京→新青森駅は新幹線で、新青森駅からは特急に乗り換えて函館に向かっていたということです。
2016年に、北海道新幹線・新函館北斗駅まで開業してからは
2016年には北海道新幹線が開業したため、東京から新幹線で”乗り換え無し”で函館まで来られるようになりました。
実はこの文章を書きながら、勝手に頭が北海道まで旅行していた
・・・だいぶ話がズレてすみません!
書きながら頭の中で勝手に「はつかり」で北海道まで旅行していました!!
皆さんも頭の中で旅行シミュレーションとか好きじゃないですかね?(^^;)
笹子駅を過ぎ、当時としては「日本一長い」笹子トンネルへ

笹子駅(ささごえき)を過ぎると、明治時代の当時としては日本一長いトンネルだった、約5,000メートルの「笹子(ささご)トンネル」を通ります。
「日本一の長さ」というのは、まだ1934年の「丹那トンネル(約8,000メートル)」すらも出来ていなかった時代だからですね。
古くから交通の難所だった、笹子峠
江戸時代までは、人々は(偉い人も、参勤交代の大名も、戦へ向かう兵士も、モノを売る商人も)この険しい笹子峠を越えていったわけです。
笹子峠は小仏峠(こぼとけとうげ)と並んで、江戸(東京)~甲斐(山梨)の区間を往来する多くの人々にとっての、経済活動や移動を阻む障壁となっていたのでした。
逆にいえば、この険しい峠道の地形を利用すれば、敵の侵入を防ぐバリアーのようにもなっていたわけです。


次は、この笹子峠を横に貫く「笹子トンネル」の話題となります!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!
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