鉄道唱歌 奥州・磐城編 第40番 ついに青森に到着 昔は徒歩で20日もかかった道

まずは原文から!

勇(いさ)む笛(ふえ)の音(ね)いそぐ人
汽車は著(つ)きけり青森(あおもり)に
むかしは陸路(りくろ)廿日道(はつかみち)
今は鐵道(てつどう)一晝夜(いっちゅうや)

さらに読みやすく!

勇(いさ)む笛(ふえ)の音(ね)いそぐ(急ぐ)人
汽車は着きけり青森(あおもり)に
むかし(昔)は陸路(りくろ)二十日道(はつかみち)
今は鉄道(てつどう)一昼夜(いっちゅうや)

さあ、歌ってみよう!

♪いーさむふえのね いそぐひとー
♪きしゃはつきけり あおもりにー
♪むかしはりーくろ はつかみちー
♪いーまはてつどう いっちゅうや

(青い森鉄道)
目時駅→三戸駅→八戸駅(旧・尻内駅)→三沢駅(旧・古間木駅)→野辺地駅→浅虫温泉駅→野内駅→青森駅

(IGRいわて銀河鉄道)
盛岡駅→好摩駅→岩手川口駅→いわて沼宮内駅→奥中山高原駅(旧・中山駅)→小鳥谷駅→一戸駅→二戸駅→目時駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋(便宜上、各ターミナル駅や新幹線停車の主要駅なども併記)

青森駅へ到着 昔は20日もかかった道

筒井駅(つついえき、青森県青森市筒井)を過ぎると、窓の景色はもはや多くの建物が建ち並ぶ「街」であり、いよいよ県都(けんと)に近づいてきた実感が湧きます。
JR奥羽本線とのΔ(デルタ)型の合流地点を右に曲がると、青森県の県庁所在地である青森市の中心駅・青森駅(あおもりえき、青森県青森市)に到着します。

青森駅(青森県青森市)

歌詞にあるように、鉄道の無かった昔は歩いて約20日かけて、はるばると旅してきたのでした。
それは、奥州街道(おうしゅうかいどう)などの徒歩の道を、何日間も宿場町に泊まりながら、歩いて(もしくは馬で)やってくるという、非常に過酷な旅でした。
大雨で川が増水になれば川の前で足止めを食らいますし、峠道を歩けばぬかるんだ道もあり、さらに山賊に襲われる恐怖もありますし、関所をくぐるために厳しいチェックも受けなければなりませんでした。

しかし、鉄道ができたことで僅か1日で東京から青森へ到達することが可能となったのでした。
歌詞に「鉄道一昼夜」とありますから、昼と夜が1回で済むということになります。これは言い換えると、24時間もあれば充分に青森へ到達することができ、宿泊は必要なくなったということになります。ただ、その代わり、宿場町は衰退してしまうという運命を余儀なくされることになります。新しい文明ができれば、それまでのノウハウは衰退するのは仕方ないことですし、いつの時代もそれは変わらないことなのです。

現代では、東北新幹線で東京~新青森間はわずか約3時間。鉄道の技術の発展は、それだけ素晴らしいものです。

明治時代、青森まで鉄道が延びて、北海道へのアクセスが便利に

鉄道が開通してからは、東京~青森の移動のハードルが一気に下がったため、さらに津軽海峡を越えて北海道への移動も明治時代の人々にとってはより容易になることになりました。
特に、明治時代に蝦夷地(えぞち)は「北海道」に改められ、新たに日本の一部となったため、「開拓」といって北海道を文明的により強い土地にする必要がありましたから、鉄道ができたことでより北海道が近くなったことは当時大きなプラスだったでしょう。

現在では、1988年に青函トンネルができ、また2016年には北海道新幹線が開通し、鉄道での北海道への移動はどんどんスピードアップしていくことになります。
2030年には北海道新幹線が札幌まで開通となりますが、東京~札幌までの新幹線での移動はさすがに遠いですが、一方で仙台・盛岡・新青森~札幌間などのように東北地方各都市と札幌の交通の便はさらによくなるでしょう。

青森駅は、昔はそのまま青函連絡船に接続して津軽海峡を渡って函館まで行くことを前提としているため、海の方向へ線路が延びています。
青森駅の線路が「Δ」「人」のような形をしているのはそのためです。

青森県の県庁所在地・青森市 青森の名物「ねぶた祭り」

青森の海(青森県青森市)

青森県青森市(あおもりし)は、青森県の県庁所在地であり、青森県最大の都市です。

青森市の代表的・特徴的なお祭りとして、「青森ねぶた祭」というものがあります。

青森ねぶた祭の起源は、これまで何度も説明してきた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)にあるとされています。

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代の西暦800年代に、「蝦夷(えみし)」という朝廷に従わなかった人々を征伐するために、東北地方に派遣された武士のリーダー的存在です。蝦夷を征伐するリーダーなので、「征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)」に任命されました。なお、鎌倉時代以降の征夷大将軍(源頼朝や徳川家康など)とは意味が異なりますので注意しましょう。

坂上田村麻呂は、宮城県の多賀城(たがじょう)から岩手県奥州市の胆沢城(いさわじょう)に鎮守府(ちんじゅふ)を移したり、宮城県の松島に「毘沙門堂」を建てたりしたことは、これまで何度も説明してきました。

青森ねぶた祭は、その坂上田村麻呂が、青森地方に進出した際に、蝦夷をおびき寄せるため、派手にお祭り騒ぎをやり、「何かあったのか!?」と不審がった(あるいは、面白そうだったからおびき寄せられた?)蝦夷を誘い出し、捕まえて征伐したことに由来するそうです。

しかし、坂上田村麻呂が本当に青森のこの地域まで蝦夷征伐に及んだのかは疑問だそうです。
そのため、かつて存在した「田村麿賞」が廃止されてしまったようです。
現在では「ねぶた賞」として存続しています。

青森の海(青森県青森市)

青森駅周辺は駅直結ビル「LOVINA(ラビナ)」で飲食または買い物などの休憩ができるほか、駅前にはスーツさんが無名時代によく行っておられたという吉野家もあります。
その斜め向かい側には、青森市のコンパクトシティ政策の象徴である「AUGA(アウガ)」があり、現在では青森市役所駅前庁舎と一体化しています。さらに駅北側の海側には観光物産館「アスパム」もあります。海側の「青い海公園」では、陸奥湾を一望できます。海の向こうは、北海道です。

青森市は、冬は雪の量は凄いのですが、夏に来るととても涼しく、気候もよくて過ごしやすいです。
夏場に涼しい風を浴びながら青い海公園から眺める海の景色は最高です。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント