まずは原文から!
煙草(たばこ)の産地(さんち)龍王(りゅうおう)や
韮崎驛(にらさきえき)の車窗(しゃそう)より
新府(しんぷ)の址(あと)を弔(とむら)ひつ
登る日野春(ひのはる)小淵澤(こぶちざわ)
さらに読みやすく!
煙草(たばこ)の産地(さんち)竜王(りゅうおう)や
韮崎駅(にらさきえき)の車窓(しゃそう)より
新府(しんぷ)の址(あと)を弔(とむら)いつ
登る日野春(ひのはる)小淵沢(こぶちざわ)
さあ、歌ってみよう!
♪たばこのさーんち りゅうおうや
♪にらさきえきのー しゃそうより
♪しんぷのあーとを とむらいつー
♪のーぼるひのはる こぶちざわー
(中央東線)
甲府駅→竜王駅→韮崎駅→新府駅→日野春駅→小淵沢駅→富士見駅→青柳駅→茅野駅→上諏訪駅→下諏訪駅→岡谷駅(→至・塩尻駅)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
甲府駅を西へ出発し、竜王駅・韮崎駅・新府駅・日野春駅・小淵沢駅へと進む
やや長かった甲府観光はここで終わり、これより甲府駅を出発します。
甲府駅を出ると、歌詞にあるように、
- 竜王駅(りゅうおうえき、山梨県甲斐市)
- 韮崎駅(にらさきえき、山梨県韮崎市)
- 新府駅(しんぷえき、山梨県韮崎市)
- 日野春駅(ひのはるえき、山梨県北杜市)
- 小淵沢駅(こぶちざわえき、山梨県北杜市小淵沢町)
のように進んでゆきます。

この地域では、周囲に標高2,000m~3,000mの高い山々が連なり、日本の屋根と言ってもいいような場所を走ります。
列車もどんどん標高を上げてゆき、標高約300mの甲府から標高約955mの富士見駅まで、長野県方面へ一気に登ってゆきます。
竜王駅へ到着!「信玄堤」のある甲斐市

竜王駅は、山梨県甲斐市(かいし)の駅です。
甲斐市(かいし)は、歌詞にあるように煙草の産地として知られます。
甲斐市の「信玄堤」
甲斐市には、武田信玄の時代に、洪水の対策として作られた「信玄堤(しんげんづつみ)」があります。
昔の川は氾濫しまくっていて住民を困らせていたため、堤防を作ることは急務だったのでした。
山梨県は「甲」のつく地名が多い 混同防止のために
山梨県はかつて「甲斐国(かいのくに)」と呼んでいたので、「甲」がつく地名が多くなります。
県庁所在地の甲府市(こうふし)をはじめ、
- その左側(西側)が「甲斐市(かいし)」
- 甲府市の右側(東側)が「甲州市(こうしゅうし)」
ですので、間違わないようにしましょう。
簿記の「貸借対照表」のような覚え方
ここで「こう”し”ゅうし」の「し」の文字が右側を向いているため、甲州市は甲府より「右側」と覚えれば楽かもしれません(^^;)
これは簿記などで習う貸借対照表(たいしゃくたいしょうひょう)において、
- 借方(かりかた)は「左側」
- 貸方(かしかた)は「右側」
というのと同じ覚え方です。(^^;)
借方(かしかた)の場合は、「かり」の「り」の文字が左を向いているため、貸借対照表において左側というわけです。
甲斐市(かいし)については、
- 「かいし」→「かりし(勝手に変換)」→「左側」
と覚えるしかないでしょう(^^;)
無理矢理すぎる・・・。
夢窓疎石の「恵林寺」が存在する甲州市
甲州市の中心駅は塩山駅(えんざんえき)であり、夢窓疎石(むそうそせき)が建立した恵林寺(えりんじ)があります。
甲州市と塩山については、以下の記事をご覧ください。
続いて、韮崎駅(韮崎市)へ
続いて、韮崎駅(にらさきえき、山梨県韮崎市)に着きます。

スイッチバック時代の跡が残る、急勾配に位置する駅
韮崎駅(にらさきえき)は、とても勾配がきつい位置にあるため、かつてスイッチバックがあった駅でした。
スイッチバックとは、簡単にいうと「人」の形をした線路であり、昔の列車は勾配に弱かったため、勾配対策のために設けられた線路のことです。
昔の車両だと、勾配のきつい位置に列車を止めておくのはきつかったのでしょう(雪で滑り落ちる、など)。
韮崎駅でのスイッチバックでは、奥に別途設置された駅のホームに入って客の乗り降りをさせ、その後再び本線に戻って、前進する形になります。
中央線にはスイッチバックの跡が多い
中央線は勾配のきつい山岳地帯を走ることが多いため、このようなスイッチバック(をやっていた形跡)がたくさん存在します。
かつてスイッチバックが存在した駅の例
中央線においてかつてスイッチバックを行っていた駅には、例えば以下のような駅があります。
- 初狩駅(はつかりえき、山梨県大月市初狩町)
- 笹子駅(ささごえき、山梨県大月市笹子町)
- 勝沼駅(かつぬまえき、山梨県甲州市勝沼町)(※現:勝沼ぶどう郷駅)
- 新府駅(しんぷえき、山梨県韮崎市)
(※他にもまだまだあります。)
そもそも、中央線のスイッチバックの目的は?現代は多くが廃止に
また、スイッチバックには単線(線路が1本のみ)だった時代に、列車同士の行き違いのために、退避されるという目的もありました。
しかし現在では、
- 列車性能が向上し、きつい坂道の上に車両を止めたとしても問題なくなったため
- 複線化(線路が2本になること)が行われ、いわゆる「通過待ち」は不要になったため
などの理由により、スイッチバックの大半はもはや不要となり、その多くは廃止されています。
新府駅に到着 武田勝頼が負けを覚悟し、燃やして捨ててしまった城
やがて、かつて戦国時代に新府城(しんぷじょう)のあった、新府駅(しんぷえき、山梨県韮崎市)に到着します。

新府城(しんぷじょう)とは、かつて武田勝頼が築いた城でした。
新府の由来は、恐らくですが
- 甲府(=甲斐国の国府、府庁などの意味)に取って代わる、新しい府庁
という意味で、「新府」という地名になったのだと思われます。
なぜ、新府城は建てられたのか
では、なぜ新府城は建てられたのか。
1575年の「長篠の戦い」で織田信長の鉄砲隊に敗れた武田勝頼は、その勢いを急速に失ってゆきました。
西から攻めてくる織田軍に備えるため
当時まだ甲府市あたりに拠点を構えていた武田勝頼は、西側から(諏訪方面から、もっと厳密には名古屋→木曽側)から攻めてくる織田信長の軍に備えるため、甲府よりもやや西の新府城を造ることにしました。
財政不足・人手不足により、城建設を諦める
しかし武田氏は既に劣勢であり、財政も尽きてしまっており、しかも無理にこきつかった甲斐国の民たちも既に武田勝頼から心は離れていっていました。
こうした資金不足や労働力不足などの問題もあり、新府城の建設はろくに進みませんでした。

作りかけの城を焼却し、東へ逃げる
結局、武田勝頼は造りかけの新府城を断念して、きれいに焼き払った後に甲府→大月の方面へ逃げました。
なぜ焼き払ったのかというと、造りかけの新府城が乗っ取られた場合、それを利用して、敵の本拠地の城に改造されてしまうという恐れがあるからです。
「立つ鳥後を濁さず(=去る者は綺麗に片付けて去ること)」という意味もあるでしょうが、それだけではなさそうです。
東の山へ逃げ、天目山にて自害へ
その後、武田勝頼は東にある山梨県大月市(おおつきし)にある岩殿山(いわどのやま)に向かい、部下だった小山田信茂(おやまだ のぶしげ)に匿(かくま)ってもらおうとしたのでした。
しかし残念ながら裏切られてしまい、少し手前の天目山(てんもくざん。中央線の甲斐大和駅のあるあたり)で追っ手に捕まってしまい、悲劇の自害を遂げています。
岩殿山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
天目山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
日野春駅を過ぎて、やがて小淵沢駅へ 小海線との分岐駅
新府駅を出てさらに進むと、やがて
- 日野春駅(ひのはるえき、山梨県北杜市)
を過ぎて、小海線(こうみせん)との分岐駅でもある小淵沢(こぶちざわえき、山梨県北杜市)に着きます。
北杜市は、「ほくとし」と読みます。


小淵沢駅から北へ延びる、小海線
小淵沢駅からは、はるか北の長野県小諸市(こもろし)に至る、小海線(こうみせん)が出ています。
標高約1,345m、JR最高峰の駅・野辺山駅

小海線には、野辺山駅(のべやまえき、長野県南佐久郡南牧村野辺山)という、標高約1,345mのJR線で最も標高の高い位置にある駅がよく知られます。
夏はとても涼しく、まるで北海道に来たような印象を受けます。
また、西には八ヶ岳(やつがたけ)の雄大な姿が登場します。
次回は、富士見駅へ
次は、富士見駅(ふじみえき)に止まります!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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