鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞(浪江・双葉・木戸・広野など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
まずは原文から!
長塚すぎて豐かなる
里の富岡木戸廣野
廣き海原みつゝゆく
さらに読みやすく!
長塚すぎて 豊かなる
里の富岡 木戸広野
広き海原 みつつゆく
さあ、歌ってみよう!
♪ながつかすぎてー ゆたかなるー
♪さーとはとみおか きどひろのー
♪ひーろきうなばら みつつゆくー
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端
浪江・双葉を過ぎ行く
原ノ町駅(はらのまちえき、福島県南相馬市)を過ぎると、「大都市近郊区間」の北端駅にあたる浪江駅(なみええき、福島県双葉郡浪江町)を過ぎていきます。
そして、福島第一原子力発電所が近隣にあり、現在も駅周辺が「帰宅困難地域」となっている双葉駅(ふたばえき、福島県双葉郡双葉町長塚)を過ぎていきます。
さらに、
- 富岡駅(とみおかえき、福島県双葉郡富岡町)
- 木戸駅(きどえき、福島県双葉郡楢葉町)
- 広野駅(ひろのえき、福島県双葉郡広野町)
といった駅を、福島県の浜通り・太平洋沿岸地域を南下して進んでいきます。
かつて江戸~仙台を結んでいた「陸前浜街道」
この地域は歴史的に(江戸時代以前は)、海沿いに仙台方面へ、徒歩または馬で向かうという、陸前浜街道(りくぜんはまかいどう)のルートでした。
また、かつては車も列車も飛行機もない、というような時代でした。
そのため、徒歩または馬で何日もかけて向かうことから、途中で旅人が泊まるための宿場町もいくつかありました。
現在の双葉町にあたる長塚宿(ながつかしゅく)などがそうです。
他にも、富岡宿・木戸宿・広野宿などもありました。
双葉駅は、かつては「長塚駅」と呼ばれていた
そしてこの地域は、いわゆる福島第一原子力発電所のある地域であり、原発事故により2011年の東日本大震災において甚大な被害に遭った場所でもあります。
2022年現在も帰宅困難地域となっており、人が立ち入れない区域が存在します。
歌詞にある「長塚(ながつか)」とは、双葉駅の1890年代開業当時の駅名「長塚駅」のことです。かつては「長塚村」でしたが、合併を経て1956年に双葉町になりました。
そして、1959年に長塚駅から双葉駅に改められました。
主に「掛詞」で構成されている、今回の歌詞
では歌詞について少し解説します。
恐らくですが、この歌詞は掛詞(かけことば)になっていると思われます。
- 「(波うつ稲の穂が)長い」
- 「長塚(ながつか)」
という地名を掛けています。
- 「里の富み(里が富む)」
- 「富岡(とみおか)」という地名
をかけています。
歌詞全体のイメージとしては、
といった、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんが表現したかった景色でしょうか。
「大都市近郊区間」の北端にあたる、浪江駅
浪江駅(なみええき)は、いわゆる大都市近郊区間(だいとしきんこうくかん)の北端部分になります。
「選択乗車」と、その目的・メリット
大都市近郊区間内においては
という救済措置があります。
例えば、東京駅から新宿駅へ行くのに、
・・・といった不公平を防ぐための措置ですね(旅客営業規則第157条、選択乗車)。
この場合、どちらのルートでも運賃は同じになります(安い方の運賃)。
詳しくは、JR東日本の以下のサイトをご覧ください。
「途中下車」のルールに注意
しかし、大都市近郊区間内においては、途中下車できないというルールがあります。
通常、片道100kmを超える乗車券では途中下車ができます。
しかし、同じく大都市近郊区間の北端である長野県の松本駅から福島県の浪江駅まで乗った場合は、余裕で100kmを超えています。
しかしこの場合は、すべてのルートが大都市近郊区間に収まっているため、途中下車はできません。
なので、松本駅を出発しても、東京都区内の駅で降りて遊んだり、宿泊をしたりすることはできません。
これらの対応策として、
- 松本駅から一つ遠い、北松本駅を出発点にする
- あるいは、浪江駅から一つ遠い桃内駅をゴールにする
ことで、途中下車ができるようになります。
もっとも、シンプルに
という経路にすれば、こうした難しいことはあまり意識しなくてOKです。
なぜ双葉町には、原発が必須になったのか
双葉町のこの地域は、歴史的に主に農業で栄えてきました。
また先述の通り、陸前浜街道の宿場町としても栄えてきたので、旅人をもてなすことで得られた利益もあったことでしょう。
多くの人々が、原発で働くようになった
しかし、1960年代に入ると、原子力発電所の誘致によってその就業構造は大きく変わります。つまり、農業などの伝統的な仕事で働く人よりも、原発で働く人が多くなるわけです。
なぜ原子力発電所が必要だったのかというと、当時は高度経済成長期で人口爆発により、どれだけ発電所を作っても各家庭に対して電気を届けられなかった、という時代のニーズがあったからでしょう。
電気代が高くなる理由
令和の現代の電気代が高かったり、また電力逼迫(ひっぱく)したりすることがあるのは、例えば
- 設備が老朽化して保守や改善のための費用がかかること
- 円安が著しくなってしまい、発電に必要な石油や石炭などのエネルギーを輸入(購入)しにくいこと
などが理由として挙げられます。
高度経済成長期、人口増加とともに電力不足に
しかし1960年代のこの時代により多くの電力が求められたのは、
- 単純に、発電のための施設が充実していなかったこと
- 高度経済成長期のために、人口爆発などが原因で電力の供給が追いつかなかったこと
などが挙げられるでしょう。
原発が必要とされた理由
また、原発が必要だったのは、
- 火力発電よりも二酸化炭素などの排出が少ないこと
- また膨大なエネルギーにより、効率よく電気を作れること
というメリットがあったからでしょう。
東日本大震災における、原発の被害
福島第一原子力発電所は、地質に関する様々な調査などを経て建設されました。すると、そこで働く人達が増えるので、必然的に双葉町や大熊町あたりの人口が増加することになります。
人口が増えると、町への税収も増えるため、町の発展にもつながります。
メルトダウンなどの被害
しかし、2011年3月11日に東日本大震災という大惨事が起こります。
地震と津波によって、原子力発電を行う溶鉱炉を冷やすための冷却装置が破壊されてしまい、溶鉱炉を冷やすことができなくなりました。
冷やされなくなってしまった溶鉱炉では、ありえない高温になってしまい、溶けてしまいます(メルトダウン)。
その結果、溶鉱炉の中の核分裂から生じた放射性物質(放射性セシウムなど)が大量に放出されてしまい、海や土壌、空気などの自然を汚染してしまいました。
そして、こうした放射性物質から人体への健康への被害が起こってしまうことを考慮し、双葉町は「帰宅困難地域」に指定され、多くの人々がふるさとから離れることを余儀なくされたのでした。
徐々に復興の兆しへ
双葉駅も、2020年3月に常磐線が復旧した後も、駅の周辺が「放射性物質の量が安全値を下回らない」として、立ち入り禁止区域となっていました。
しかし、2022年8月に双葉町の一部分が帰宅困難地域の解除を受け、(徐々にではありますが)地域住民の皆様の不屈の精神と努力もあり、少しずつ復興と元の日常へ戻っていってるようです。
双葉駅をさらに南へ
双葉駅を過ぎると、歌詞には出てきませんが、特急列車も停車する大野駅(おおのえき、福島県双葉郡大熊町)に着きます。
大熊町は、福島第一原子力発電所の所在する自治体です。
そして、
- 夜ノ森駅(よのもりえき、福島県双葉郡富岡町)
- 富岡駅
- 竜田駅(たつたえき、福島県双葉郡楢葉町)
- 木戸駅
- Jヴィレッジ駅(福島県双葉郡楢葉町)
- 広野駅
と続きます。
Jヴィレッジとは、1997年にできた、サッカーのトレーニング施設です。
広野駅を過ぎると、実は岩沼駅(いわぬまえき、宮城県岩沼市)から常磐線に入って以来、最初となる海の景色に出会えることになります。
こちらは、次回解説します!
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