中央線鉄道唱歌 第54番 念願の京都に入るも、虚しく散った義仲 宮ノ越に鐘が鳴り響く徳音寺

中央線鉄道唱歌の歌詞(木曽義仲の都入りと最期など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

みやこりし甲斐かいもなく
霸業はぎょうむなしくくづほれし
地下ちかうらみやこむるらむ
かねさびし徳音寺とくおんじ

さらに読みやすく!

みやこりし 甲斐かいもなく
覇業はぎょうむなしく くずおれし
地下ちかうらみや こむるらん
かねさびし 徳音寺とくおんじ

さあ、歌ってみよう!

♪みやこにいーりし かいもなくー
♪はぎょうむなしく くずおれしー
♪ちーかのうらみや こむるらんー
♪かねのねさびしー とくおんじー
(中央西線)
塩尻駅→洗馬駅→贄川駅→奈良井駅→藪原駅→宮ノ越駅→木曽福島駅→上松駅→須原駅→野尻駅→南木曽駅→坂下駅→中津川駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

現代語訳(木曽義仲の最期)

まずは、現代語訳から確認してゆきましょう。

  1. 破竹の勢いで念願の都(京都)に入ったものの、その甲斐(成果)もなく、
  2. ​天下を統一するという壮大な覇業は、むなしくも途中で崩れ去ってしまった。
  3. ​したがって、あの世(地下)へといってしまった義仲よしなかの無念の恨みが、今もこの地にこもっているのだろうか。
  4. ​彼の菩提寺ぼだいじである徳音寺とくおんじから響く鐘 の音は、どこか寂しげに聞こえるのである。

旭将軍・源義仲(木曽義仲)が育った、木曽・宮ノ越

列車は既に、長野県木曽郡木曽町の、宮ノ越駅みやのこしえきに到着しています。

宮ノ越からの木曽川の眺め(長野県木曽郡木曽町)

宮ノ越からの木曽川の眺め(長野県木曽郡木曽町)

宮ノ越みやのこしは、前回で解説した通り、源平合戦で活躍した旭将軍あさひしょうぐん義仲よしなかの育った場所になります。

旭将軍あさひしょうぐん義仲よしなかこと、源義仲みなもとのよしなかは、前回も解説した通り、源平合戦で活躍した人物です。
木曽で育ったので、木曽義仲きそよしなかとも呼ばれます。

1180年の「以仁王もちひとおうの挙兵」において全国の源氏が挙兵すると、義仲も挙兵しました。
やがて北陸の倶利伽羅山くりからやまなどの戦いに次々に勝利すると、 念願の京都に入りました。

詳しくは、前回の記事を御覧ください。

【宮ノ越】中央線鉄道唱歌を、わかりやすく解説!
中央線鉄道唱歌の歌詞(旭将軍・義仲、宮ノ越)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!

木曽義仲の京都入り~滋賀・粟津での滅亡まで

まるで朝日のように、京都に入る義仲

京都に入ったとき、義仲はまるで東の朝日のように登場したので、義仲は「朝日将軍(旭将軍)」の異名がつきました。

京都に留まるもトラブル続き・・・やがて京都を追われる

大勢の兵で京都におしかけ、京都は深刻な食糧難に

しかし、京都に入ってからが問題でした。
義仲が入ったときの京都は、深刻な食料不足でした。
そこへ義仲の軍隊が大量におしかけたため、京都の食料不足はさらに深刻化しました。

皇位継承問題に難癖、嫌われ者に

また、皇位継承問題(次の天皇を誰にするかという問題)において、義仲は自分にとって都合のいい天皇をゴリ推ししました。
しかしこれでは「平氏の二の舞になる」として、周りの多くの人から煙たがられました。

後白河法皇を幽閉という暴挙に

また義仲は、後白河法皇と揉めててしまい、法皇をお寺に閉じ込める(幽閉する)といった暴挙に出るなど、様々な奇行が目立つようになりました。

こうした義仲の問題行動は、京都で多くの人から嫌われ、人望をなくし、味方が次々に離れていき、義仲は弱体化してゆきました。

義仲の堕落ぶりに、頼朝が付け込む

この義仲の堕落ぶりをチャンスとみた源頼朝よりともは、鎌倉から京都に向けて兵を送ります。
なぜ源氏同士で争うの?と思うかもしれませんが、当時は身内同士で争うことはよくありました。
それは手柄を独り占めしようとしたり、権力争いしたり、兄弟だと(例えば)「兄だけ優遇されるのに、弟は不遇な扱いを受けて不平不満を持つ」など、身内同士で争う動機は挙げればきりがありません。

源平合戦は、源氏同士の争いもあった

このように、「源平合戦」とはいっても必ずしも源氏VS平氏ではなく、義仲VS頼朝や義経VS頼朝のように源氏同士の戦いも含まれています。

そのため、「源平合戦」という名前は正確ではなく、「治承じしょう寿永じゅえいの乱」という呼び方の方が正しい、とする説もあります。
治承じしょう寿永じゅえいとは、当時の元号のことです。

「宇治川の戦い」で敗北 命からがら京都を脱出

こうして、いとこの頼朝によって兵を送られた義仲は、京都の宇治川うじかわで迎え撃ちます。
ここで、頼朝軍の佐々木四郎ささきしろうという武将が、手柄が欲しいがために我先にと突っ込んだのが、「佐々木四郎の先陣」です。
一方の義仲は、既に多くの兵士や味方を失っており、圧倒的不利な状況で戦って宇治川を突破され、敗北しました

宇治川の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

【宇治】鉄道唱歌 関西編を、わかりやすく解説!
鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます! 奈良線・宇治などの歴史などを、楽しく解説してゆきます!

宇治川での敗北 命からがら京都を脱出

この「宇治川の戦い」で完全敗北した義仲は、命からがら京都を脱出します。

そして、かつて倶利伽羅峠くりからとうげでも大勝したことのある北陸地方への逃亡を試みます。

木曽義仲の最期 北陸への逃亡を図るも、滋賀県大津市・粟津にて滅ぶ

しかし、滋賀県大津市おおつしの琵琶湖に出て来たあたりで、追っ手に捕まってしまいます。
ここで、同じ木曽の宮ノ越みやのこしで育った幼なじみかつ愛人の女性・巴御前ともえごぜんとはここで分かれてしまい、巴御前はここで歴史の舞台から姿を消します。

木曽の谷と巴御前(画像はAIによるイメージです)

木曽の谷と巴御前(画像はAIによるイメージです)

やがて義仲は、大津市の粟津あわづという場所において、深い田んぼに足を取られてもがいているところを、無名の兵士に矢で撃たれて亡くなってしまいました。

鉄道唱歌 東海道編 第41番でも

粟津あわづの松にこと問えば こたえがおなる風の声
朝日将軍義仲の

滅びし深田ふかたはいづかたぞ

と歌われていますね。
粟津については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

【義仲・粟津】鉄道唱歌 東海道編を、やさしく解説!
鉄道唱歌 東海道編の歌詞(粟津と、義仲の最期)について、観光・歴史などに詳しくない方にも、わかりやすく解説してゆきます!

木曽義仲の恨みを弔う「徳音寺」

木曽の宮ノ越みやのこしには、義仲の恨みをとむらうための徳音寺とくおんじというお寺が存在します。

歌詞の意味についても確認

地下の恨み(ちげのうらみ)とは?

​「地下(あの世・墓の下)」に眠る義仲の、志半ばで倒れた無念の思いや悲しみのことです。

一時は天下に最も近づいた英雄が、一瞬にしてすべてを失ってしまった歴史の儚さを表現しています。

​徳音寺(とくおんじ)とは?

​長野県木曽郡木曽町(宮ノ越)に存在す、木曽義仲の菩提寺(代々のお墓があるお寺)です。
境内には義仲のお墓とされるお塚や、彼に仕えた有名な女武者・巴御前ともえごぜんのお墓などがあり、今も静かに義仲一族の霊を慰めています。

今回の歌詞についての所感

前番で「平家を討つぞ!」と熱く旗揚げしたばかりなのに、この54番ではすぐにその夢が儚く散った結末が歌われる…。
この急転直下の展開は、まさに『平家物語』の盛者必衰じょうしゃひっすいことわり」をそのまま見ているようで、本当になんとも言えないような気持ちになりますね。

汽車の窓から遠くに見える徳音寺の屋根を眺めながら、当時の旅人も「諸行無常だな」と、深くため息をつきながら、鐘の音に耳を澄ませていたのかもしれません。

今でも、木曽義仲を尊敬する人は多く存在する

木曽義仲を尊敬する人は多くいます。
例えば、宮崎県延岡市のべおかしを本拠地とする旭化成あさひかせいという会社も、「朝日(旭)将軍」が由来となっています。

延岡市旭化成については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

南九州の旅7【後編】 日向→延岡 「耳川の戦い」の舞台から延岡へ
南九州の旅について、わかりやすく解説しています!耳川・延岡の地理・歴史について、初心者にもやさしく解説しています!今回は、日向・延岡方面へ前回に続き美々津駅みみつえき(宮崎県日向市美々津町)を出ると、日向ひゅうが延岡のべおか方面へと進んでゆ...

私(筆者)も、義仲を尊敬しております。というか、義仲の性格と私はよく似ているんですよね。

宮ノ越には、木曽義仲に関するミュージアムである「義仲館」があります。
義仲ファンの方は、是非とも寄ってみましょう。

宮ノ越駅(長野県木曽郡木曽町日義)

宮ノ越駅(長野県木曽郡木曽町日義)

次回は、木曽福島へ

おわりに:今回解説した巴御前については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

【巴御前とは!?】基本から、わかりやすく解説!
義仲の最高のパートナー・巴御前について、どんな強く素敵な女性だったのか・その激動の生涯を、わかりやすく解説してゆきます!

次は、木曽福島に止まります!

コメント