中央線鉄道唱歌 第63番 恵那山のふもとを行く やがて釜戸・瑞浪・土岐市へ

まずは原文から!

岩村城址(いわむらじょうし)程(ほど)近き
大井(おおい)の里の硯(すず)り水
汲(く)むべき暇(ひま)もあらなくに
釜戸(かまど)瑞浪(みずなみ)土岐津(ときつ)驛(えき)

さらに読みやすく!

岩村城址(いわむらじょうし)程(ほど)近き
大井(おおい)の里の硯(すず)り水
汲(く)むべき暇(ひま)もあらなくに
釜戸(かまど)瑞浪(みずなみ)土岐津(ときつ)駅

さあ、歌ってみよう!

♪いわむらじょうし ほどちかきー
♪おおいのさとのー すずりみずー
♪くむべきひーまも あらなくにー
♪かーまどみずなみ ときつえきー
(中央西線)
中津川駅→恵那駅→釜戸駅→瑞浪駅→土岐市駅→多治見駅→高蔵寺駅→春日井駅→勝川駅→大曽根駅→千種駅→鶴舞駅→金山駅→名古屋駅

※鉄道唱歌に関連する駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの

中津川駅を出て、恵那山のふもとをゆく 中山道大井宿・恵那市へ

中津川駅(なかつがわえき、岐阜県中津川市)を出発すると、やがて恵那駅(えなえき、岐阜県恵那市)に到着します。

恵那駅(岐阜県恵那市)

恵那山のふもと・恵那市

岐阜県恵那市(えなし)は、中津川市同様に恵那山(えなさん、標高2,191m)の麓(ふもと)にある街になります。

また、恵那市からは恵那山の山容がばっちり眺められます。

恵那市からの、恵那山の眺め(岐阜県)

中山道・大井宿

また恵那市には、かつて中山道(なかせんどう)の宿場町だった大井宿(おおいじゅく)がありました。
歌詞によれば、大井宿にはまさに硯水(すずりみず)という水があったということです。

釜戸駅・瑞浪駅・土岐市駅へ

その恵那市の大井宿では、硯水をくんでいる暇はなく、

  • 釜戸駅(かまどえき、岐阜県瑞浪市釜戸町)
  • 瑞浪駅(みずなみえき、岐阜県瑞浪市)
  • 土岐市駅(ときしえき、岐阜県土岐市)

という風に過ぎてゆくわけです。

釜戸駅(岐阜県瑞浪市)
瑞浪駅(岐阜県瑞浪市)
土岐市駅(岐阜県土岐市)

釜戸駅付近の景色(岐阜県瑞浪市)

土岐市駅は、開業当時は「土岐津駅」だった

土岐市駅は、1902年の開業当初は土岐津駅(ときつえき)という名前でした。

1965年に、現在の土岐市駅に開場しています。

日本神話にもゆかりある、恵那山

恵那山(えなさん、標高2,191m)は前回も説明しましたが、 天照大神(あまてらすおおかみ)の産みの親である、「イザナキ」「イザナミ」が国を産んだときの「へその緒」を納めたという山になります。

余計なことをいちいち考えていると、旅の楽しさも半減する

しかし、イザナキ(男神)の子は彼が川で禊(みそぎ)をしていた時に、なんと「目や鼻」などの辺りから生まれて出てきています
つまり、交配によって生まれた子ではないわけです。

ちなみに、

  • 左目からは、天照大神
  • 右目からは、月夜見(ツクヨミ)
  • 鼻からは、スサノオ(須佐之男命)

が誕生したといわれています。

なので、

  • 本当に恵那山に「へその尾」を収めたのか
  • 天照大神の出生は妻・イザナミ(女神)を介していないのに(その時イザナミは既に死んでいて、黄泉の国でウジがたかった、醜い姿になっていた)、そもそも「へその緒「」があったかどうか

というのは正直微妙なところでありますが、 一応信じるものは救われます
こうした余計なことを考えていると、旅の楽しさも半減します(^^;

岩村方面へと向かう、明知鉄道

恵那駅からは、明知鉄道(あけちてつどう)という第三セクター路線が出ています。
明知鉄道は、恵那駅から南東の、

  • 岩村(いわむら)
  • 明知(あけち)

方面へ向かう路線です。

明智光秀は、出身地が複数ある!?

なぜ「明知」なのかというと、それは明智光秀のふるさとなのだからだそうです。
しかし、明智光秀の本当のふるさとは、岐阜県可児市(かにし)の明智駅(あけちえき)あたりともされてます。

つまり明智光秀は、出身地が明確でなく、その候補地が複数あるということですね。

丹波(京都府)・福知山を拠点していた明智光秀

明智光秀は、織田信長に命じられて丹波(たんば)地方の京都府福知山市(ふくちやまし)あたりを拠点にしました。
その後、こともあろうに織田信長に離反(りはん)し、京都の本能寺にて信長を自害に追い込んでいます。

明智光秀の拠点だった福知山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

岩村城跡

明知鉄道で恵那駅を出ると、歌詞にあるように岩村城(いわむらじょう)のあたりに着きます。

岩村城は、

  • 奈良県の高取城(たかとりじょう)
  • 岡山県の備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)

と並んで、日本三大山城(にほんさんだいやまじろ)の一つに数えられます。

また、日本大正村(にほんたいしょうむら)という、大正時代の日本の文化などを忠実に再現したテーマパークが存在します。

次は、多治見へ

そして列車はやがて、多治見駅(たじみえき)に到着します。

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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