まずは原文から!
玉野河原(たまのかわら)の山水(さんすい)を
めでつゝゆけば高藏寺(こうぞうじ)
陶器(とうき)に名高き瀬戸町(せとまち)は
こゝより僅(わず)か二里餘(あま)り
さらに読みやすく!
玉野河原(たまのかわら)の山水(さんすい)を
めでつつゆけば高蔵寺(こうぞうじ)
陶器(とうき)に名高き瀬戸町(せとまち)は
こゝより僅(わず)か二里余り
さあ、歌ってみよう!
♪たーまのかわらの さんすいをー
♪めでつつゆけばー こうぞうじー
♪とうきになだかき せとまちはー
♪ここよりわずかー にりあまりー
(中央西線)
中津川駅→恵那駅→釜戸駅→瑞浪駅→土岐市駅→多治見駅→高蔵寺駅→春日井駅→勝川駅→大曽根駅→千種駅→鶴舞駅→金山駅→名古屋駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの
多治見駅(たじみえき、岐阜県多治見市)を出ると、窓の景色はここで一気に、山と川に囲まれた美しい峡谷の景色となります。
この峡谷を、古虎渓(ここけい)といいます。
この古虎渓(ここけい)は、土岐川(ときがわ)によってできる峡谷です。虎渓(こけい)という地名は、前回紹介した多治見市の虎渓山永保寺(こけいざんえいほうじ)にも出てきましたよね。
峡谷(きょうこく)とは、川の水が長年かけて山と地面を削って(侵食して)できた地形のことです。
峡谷は単に、「谷」ともいいます。
ここでは土岐川(ときがわ)によって侵食された谷になります。
川の水によって、長年をかけて地面が削られ、地面がそこだけ低くなってゆきます。
こうして谷(峡谷)ができるわけです。
土岐川(ときがわ)とは岐阜県内における名前であり、愛知県に入ると「庄内川(しょうないがわ)」に名前が変わります。
さらに定光寺駅(じょうこうじえき、愛知県春日井市玉野町)を過ぎます。
歌詞にある「玉野(たまの)」とは、恐らくですがこの定光寺駅のある地名だと思われます。定光寺駅は元々は駅ではなく、大正時代の1919年では列車が行き違うために必要な玉野信号所でした。それが1924年に「定光寺駅」として、駅に昇格しています。
この美しい古虎渓(ここけい)を過ぎると、やがて住宅地を中心とした都会的な景色に代わり、高蔵寺駅(こうぞうじえき、愛知県春日井市高蔵寺町)に至ります。
高蔵寺駅からは、後述する愛知環状鉄道に乗り換えて、歌詞にある通り陶器(とうき)で名高い、愛知県瀬戸市(せとし)に着きます。
瀬戸市は、瀬戸焼(せとやき)で有名でございます。
焼き物とは、前回も美濃焼(みのやき)として紹介しましたが、簡単にいえば人々の手作りによる、いわば昔の「高貴な食器」です。
陶器とは・・・、一生懸命わかりやくすく説明したいのですけども、筆者の頭ではなかなか難しくてわかりません(^^;)
たぶん、粘土のように形を作って固めて、乾かして、うわ薬を塗り、高温(低温?)に燃やして固め、丈夫にした上で、食器として使えるようにしたもの・・・
とかっこよく説明したいところですが、上記は正確な説明になっていない可能性アリなので、誠に申し訳ありません(敗北宣言)。
もちろん上記の工程は、高度な技術者でないと出来ないでしょうし、大きな手間暇(てまひま)かけて作る上に時間もコストもかかるので、それは高価かつ高級なものとなるでしょう。
一般大衆には、到底買えるものではないわけです。
また、熟練までに(一人前の職人になるまで)何十年単位での修行も必要となるのでしょう。
現代の我々は、食器は「ダイソー」や「セリア」「キャンドゥ」などで、100円(税込:110円)もあれば買えてしまいますよね。
それは、明治時代以降の「産業革命」によって、大量生産によって低価格化が可能になったからです。
産業革命以降は、それまでの職人の手作りによる(高価な上に、大量生産できない)伝統工芸品は衰退してゆきましたが、当時は無用のものとなっても、百年経った今ではとても貴重なものとなっています。
そのため、地元ではこうした伝統工芸品を後世に残していく取組がなされています。
現代は少子高齢化が深刻で後継ぎも減っていますから、難解な技術をいかに後世に伝えていくかも重要になります。
また、ニセモノが出回らないように、本物の伝統工芸品であることを証明する「認証」の仕組みも重要になるでしょう。
余談ですが、業界1位のダイソーは広島県東広島市に、業界2位のセリアは岐阜県大垣市に、業界3位のキャンドゥは東京都新宿区に本拠地(本社)を置く企業になります。
また、瀬戸焼は、ネット検索したら1,000円~3,000円程度のリーズナブルな価格で販売されているようです。瀬戸焼は江戸時代からは、それまでの高級品中心だったものが、日常品レベルまで幅広く作られるようになったそうです。
瀬戸市には、高蔵寺駅から「愛知環状鉄道」という第三セクターの路線に乗って向かうことができます。
また瀬戸市は、将棋で有名な藤井聡太(ふじい そうた)さんの出身地でもあります。
愛知環状鉄道は、瀬戸市を過ぎると「トヨタ自動車」の企業城下町である豊田市(とよたし)を過ぎます。
「企業城下町」とは、その企業で働く人(従業員など)が住民の多くを占めている町のことをいいます。
つまり、豊田市にはトヨタ自動車(とその関連会社)で働く従業員と、その家族がたくさん住んでいる町、ということになります。
企業城下町は、その企業がうまくいっていればシンプルに全体の発展に繋がる、というメリットがあります。
しかし一方で、その企業がコケたら従業員が減るため、住民(とその家族)は転職するために町から出て行き、それによって町全体の衰退に繋がるというデメリットもあります。
愛知環状鉄道は、やがて徳川家康のふるさとである岡崎市(おかざきし)に着きます。
愛知県岡崎市は、徳川家康の出身地として有名です。これは鉄道唱歌 東海道編第31番でも歌われていたとおりですね。
鉄道唱歌 東海道編 第31番 岡崎と矢作橋 三河地域を北上してゆく
余談ですが、たくみっく氏(うぷ主のイケメン兄さん)の動画によれば、愛知環状鉄道は、元々は国鉄の路線・岡多線(おかたせん)だったそうです。
当時はまだ長距離トラックなどは一般的でなく貨物列車の全盛期であり、ただでさえ人や列車数の多い名古屋駅を通る貨物列車が混雑の原因となっていたため、これを回避・退避させるべく、まず作られたのが当初の岡多線(おかたせん)でした。
岡多線はまず岡崎市を北上して豊田市・瀬戸市に達します。そして瀬戸市からは、名古屋駅の北へ大きく迂回し、名古屋の北の稲沢市(いなざわし)へ達することで、貨物列車が名古屋駅を逼迫(ひっぱく)させることを回避しようとしたわけですね。
岡多線は最初は岡崎駅~瀬戸駅間で開業したわけですが、「多」の文字が含まれている通り、なんでも(岡崎市と)瀬戸市と多治見市を結ぶ計画もあったそうです。
しかし、国鉄の赤字によりそれは頓挫(とんざ)し、JRとして民営化される際にそれまで開業していた岡多線は第三セクターへと移管されました。第三セクターとは、簡単にいえば民営と公営の中間的な位置付けの会社のことです。しかし沿線が先述のトヨタ自動車への通勤需要によって利用が増大したため、第三セクター線という不利な状況下にありながら黒字化したのだそうです。
次は、勝川駅(かちかわえき)に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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