鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
日立の地理・歴史などを、やさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
ゆけや下孫孫も子も
驛夫の聲におどろけば
いつしか水戸は來たりたり
さらに読みやすく!
行けや下孫 孫も子も
駅夫の声に おどろけば
いつしか水戸は 来たりたり
さあ、歌ってみよう!
♪ゆーけやしもまご まごもこもー
♪えきふのこーえに おどろけばー
♪いつしかみとはー きたりたりー
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端
日立駅に到着 元々は「助川駅」だった
歌詞にある「助川」とは、現在の茨城県日立市にあたります。
日立駅(茨城県日立市)は、明治時代の開業当時は助川駅と言う名前でした。

日立駅(茨城県日立市)
日立製作所の企業城下町・日立市
また、日立市には、歴史的に常陸炭鉱という、明治時代の首都圏や日本には欠かせない、エネルギー源となる石炭を掘り出していた炭鉱がありました。
日立市は、あの日立製作所の企業城下町であります。
日立製作所は、元々は常陸炭鉱の機械修理部門のような部署が発展して、大きな会社に発展しました。
- 機械修理部門が徐々に技術力をつけ、
- 一つの会社としてやっていけるだけの力を持っていったため、
- 常陸炭鉱から独立し、日立製作所が誕生した
というイメージです。
これは、山口県の宇部市にある、宇部興産(うべこうさん/現・株式会社UBE)という会社にも同じことがいえます。
宇部興産も、元々は鉱山のいち機械設備部門が発展して、宇部興産という大きな会社になりました。
「石炭は掘り続けるといずれ無くなる」ことをあらかじめ想定していため、元々の鉱山事業から新たに生まれた機械に関する技術やノウハウをより発展させ、鉱山に依存しない新たな価値を生み出していったわけですから、すごいですね。
時代のニーズが変わっても、新たに仕事や事業のノウハウを造り出していける企業は強いといえます。
なお、日立グループのCMソングである「この木なんの木(正式名称は「日立の樹」)」という曲に出てくる大きな木は、ハワイのオワフ島にある木です。
日立駅からの、太平洋の眺め

日立駅からの、太平洋の眺め(茨城県日立市)
日立駅からの太平洋の海の眺めは壮観です!
私は初めて日立駅に来たとき、「この巨大な大海原のはるか向こうには、アメリカ大陸があるんだなぁ」と、作者の大和田建樹さんと同じことを思いました。
まさに、第44番でも歌われていたように、
亜米利加までや続くらん」
ですね。
常陸多賀駅に到着 元々は「下孫駅」だった
歌詞にある「下孫」とは、現在の
- 常陸多賀駅(茨城県日立市多賀町)
にあたります。
常陸多賀駅は、1890年代の開業当初は、「下孫駅」という名称でした。
東海駅に到着 「町」のように大きな東海村
さらに、東海駅(茨城県那珂郡東海村)にかかります。

東海駅(茨城県那珂郡東海村)
東海村は、人口3万7,000人あり、町制の要件(「東海町」を名乗る資格)は十分満たしています。
私は、東海村で降りたときは、すごく町だなぁ、と思いました。
なお、東海村の名前の由来ですが、藤田東湖という江戸時代の水戸藩主による詩にあるようです。
しかし、あくまで私個人の予想ではありますが、それはかつて常陸国のこの地域も、いわゆる「東海道」の一部だったことにあると予想しています。
現代で「東海道」というと、江戸(東京)の日本橋に始まり、京都の三条大橋に至る街道をイメージされるかと思います。
これは江戸幕府が江戸~京都(延いては大坂)までの交通の便宜を図るために整備した道路です。
しかし、「東海道」という概念自体は、古くは奈良時代の律令制の時代からあったため、その当時は茨城県も東海道の一部でした。
東海村というと、いかにも静岡県あたりにありそうな地名です。
しかし、茨城県に東海村という地名があるのは、こうした歴史的経緯があるからかもしれません(※)。
※あくまで私の予想です!事実というわけではありませんので、参考までに受け止めていただければ幸いです。
ひたちなか市・勝田駅に到着 「東周り航路」の重要拠点・那珂湊
さて、東海駅を過ぎると、かつては勝田市(現在のひたちなか市)の駅だった、
- 勝田駅(茨城県ひたちなか市)
に着きます。
茨城県ひたちなか市は、勝田市と那珂湊市の合併により1994年にできました。
ひたちなか市には、かつての「東廻り航路」の重要な港だった「那珂湊」があります。
東廻り航路とは、江戸時代に河村瑞賢という人物が整備した、海の交通を便利にするためのルートです。
昔は今と違って、長距離トラック輸送や航空輸送、貨物路線などが無かったため、船で大量に荷物を運んでいく方が効率がよかったのです。
例えば、仙台藩で大量にとれたお米を、東廻り航路を利用して、利根川から関東地方に入り、江戸に供給します。
しかし、途中で乗組員も疲れますし、航海の途中で夜になるので、寄港(泊まる港)が必要なわけです。
それが以前解説した平潟港(茨城県北茨城市)だったり、この那珂湊だったりするわけです。
しかし、当時は現代と違い、船で米を運んでいる途中で米が腐敗したり、海水に晒されたり、虫に食われたりすることが多々あったようです。
現代では「食の安全」の観点から厳重に管理されていますから、こうしたことは起こらないでしょう。
茨城県の県庁所在地・水戸に到着
勝田駅を過ぎると、いよいよ窓の景色はビルが立ち並ぶ都会の様相を呈してくるようになります。
茨城県の県庁所在地である水戸市の中心駅である
- 水戸駅(茨城県水戸市)
に着きます。

水戸駅(茨城県水戸市)
水戸駅から分かれ出ている、鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線
水戸駅からは、鹿島臨海鉄道大洗線という路線が出ていますので、少しここで言及したいと思います。
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は、1960年代に出来た鉄道路線としては比較的新しい時代にできた路線です。
そのためか、綺麗な高架の上を走り、比較的直線が多いため線形のよい路線であると感じます。
途中、アニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台となった大洗の最寄駅である
- 大洗駅(茨城県東茨城郡大洗町)
を過ぎます。
やがて、常陸国の一宮である鹿島神宮の最寄駅である
- 鹿島神宮駅(茨城県鹿嶋市)
に至ります。
また、Jリーグのチームである鹿島アントラーズの本拠地も、この地域になります。
余談ですが、私(筆者)は、大洗鹿島線で大洗に向かうとき、アニメの舞台となった場所を探訪する(いわゆる、聖地巡礼)ということで、静岡県の伊豆箱根鉄道駿豆線に乗るときのように、頭の中でAqoursの「HAPPY PARTY TRAIN」が流れていました。(^^;)
大洗には、マリンタワーや、(アニメ内で)戦車で破壊された旅館など、ファンにはたまらない聖地巡礼ポイントがたくさんあります。
伊豆箱根鉄道駿豆線および、Aqoursの「HAPPY PARTY TRAIN」については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

アニメの聖地巡礼は、もはや旅行のときの楽しみの一つです。
例えば、大洗や静岡県沼津市に限らず、
などがあります。
たとえアニメを観たことなくとも、街の装飾などを眺めるだけでもそれなりに楽しめたりします。
地元の自治体としても、アニメを観光事業として大いに活用した「町興し」が積極的に行われています。
水戸駅で休憩・次回からは水戸観光
水戸に着いたら、駅周辺は都会でお店も多いので、無理をせずに列車を降りて休憩しましょう!
コメント