鉄道唱歌 北海道編 南の巻第10番 八雲、国縫に向かって進む

鉄道唱歌 北海道編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
鉄道旅行を楽しむためのノウハウを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!

↓まずは原文から!

海邊うみべづたひにはやいつか
ぐる膽振いぶり國境くにざかい
八雲やくもつづ國縫くんぬい
滿俺まんがん鑛山こうざん所在しょざい

もう少し読みやすく!

海辺うみべづたいに はやいつか
ぐる胆振いぶりの 国境くにざかい
八雲やくもつづく 国縫くんぬい
滿俺まんがん鉱山こうざん 所在しょざい

さあ、歌ってみよう!

♪うーみべづたいに はやいつかー
♪すぐるいぶりのー くにざかいー
♪やくもにつーづく くんぬいはー
♪マンガンこうざん しょざいのちー
(函館本線)
函館駅→桔梗駅→七飯駅→新函館北斗駅→大沼公園駅→駒ヶ岳駅→森駅→八雲駅→国縫駅→長万部駅→黒松内駅→比羅夫駅→倶知安駅→然別駅→余市駅→蘭島駅→塩谷駅→小樽駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

滿俺と書いて、「マンガン」と読む

マンガン(Mn、元素番号25)って昔はこういう漢字で書いていたんですね・・・鉄道唱歌を知るまで知りませんでした。

森駅を出て、海沿いに長万部方面へ

森駅を出発すると、前回説明した噴火湾(ふんかわん)の海辺伝い長万部(おしゃまんべ)方面に向かって進みます。

右側に広がる噴火湾

窓の右側に眺める噴火湾の景色は壮観ですが、青春18きっぷのシーズンの窓側の席はいつも人気なので、どん臭い私はいつも山側の席にいます。(笑)
まあ、山側は山側で、かえって空いているので、余裕あってまったりできたりもするんですけどね。(^^;

噴火湾沿いを進む(函館本線・森~長万部間より)(北海道)

噴火湾沿いを進む(函館本線・森~長万部間より)(北海道)

噴火湾沿いを進む(函館本線・森~長万部間より)(北海道)

噴火湾沿いを進む(函館本線・森~長万部間より)(北海道)

山側の席にいても、列車の窓は大きいので、噴火湾の美しい景色はどちらにせよ壮観です!

八雲駅に到着

・・・余談はさておき。

海辺伝いに列車を進めると、

  • 落部駅(おとしべえき、北海道二海郡八雲町)

からは八雲町(やくもちょう)に入ります。

やがて、森駅~長万部駅のちょうど中間にあり、特急列車も停車する重要な駅である

  • 八雲駅(やくもえき、北海道二海郡八雲町)

に到着します。

歌詞の内容について確認

歌詞の2行目には、

過ぐる胆振(いぶり)の国境(くにざかい)

とあります。

渡島国と胆振国の境界線を過ぎてゆく

つまり、旧律令制に倣った地方区分である

  • 渡島国(おしまのくに)
  • 胆振国(いぶりのくに)

の国境を過ぎていく、というイメージになります。

北海道は明治時代になって「国」が定められた

もちろん北海道は、江戸時代までは「蝦夷地(えぞち)」であり、正式な日本の一部ではありませんでした。
そのため「国」による区分分けはなかったのでした。

しかし、明治時代に「北海道」と改められ正式に北海道は日本の一部になったため、「渡島国」「胆振国」などのように国による区分分けがなされました。

現在の八雲町は、渡島総合振興局に属している

現在の八雲町(やくもちょう)は、現在の行政区分においては

  • 渡島総合振興局(おしまそうごうしんこうきょく)

に属しており、函館市と同じということになります。
さらに北の長万部も渡島総合振興局にあります。

かつての八雲町は、胆振国に属していた

しかし、八雲町は旧地方区分では旧落部村(おとしべむら)の領域を除き、

  • 胆振国(いぶりのくに)

に属していました。

逆にいえば、落部駅のある旧落部村より南は、渡島国ということになります。

現在の渡島総合振興局と胆振振興局では、かつての「国」と境界線が異なる

つまり、現在の行政区分である

  • 胆振総合振興局(いぶりそうごうしんきょうこく:振興局所在地は室蘭市)
  • 渡島総合振興局

とでは、かつての胆振国と渡島国とで、行政区分が若干異なるということになります。

したがって、列車が落部駅を過ぎたあたりから、渡島国と胆振国の国境を過ぎていくことになります。

列車でこの区間を通ったら、是非この歌を思い出してみよう

列車でこの区間に来たら、ぜひ頭の中で

♪海辺伝いにはやいつか 過ぐる海辺の国境~

の歌詞のフレーズを思い出しましょう。◯鉄道唱歌の世界に浸れます。

2038年には、北海道新幹線の新八雲駅が開業予定

そして、八雲町は2038年目標に開業する予定である北海道新幹線の

  • 新八雲駅(しんやくもえき)」

が設置される予定でもあります。

牧場の中にできる予定の、新八雲駅

新八雲駅は、なんと牧場の中に駅を作るということで話題になったりもしています。

牧場の中に、新幹線の停車する立派でピカピカな駅舎が出来る

・・・という極めて珍しい光景であり、シュールかつ興味深いです。

国縫駅(くんぬいえき)に到着

八雲駅を過ぎてさらに長万部方面に進むと、かつての瀬棚線(せたなせん)との分岐点であった

  • 国縫駅(くんぬいえき、北海道山越郡長万部町)

に到着します。

かつて国縫駅から出ていた、国鉄瀬棚線

国縫駅(くんぬいえき)からは1987年まで、西に一直線に、西海岸のせたな町まで

  • 国鉄瀬棚線(こくてつせたなせん)

という鉄道が延びていたそうです。

せたな町周辺の西海岸の海産物や、沿線の鉱物などを貨物列車等で運ぶ重要路線でした。

歌詞にあるように、恐らくマンガン等も含むのでしょう。

自動車の普及により、貨物列車が衰退

しかし、1960年代以降に長距離トラック輸送などが主流になり、貨物列車での輸送が衰退してしまったのでした。

このことで、瀬棚線は1987年に廃止になったようです。

貨物輸送の歴史を、少し解説

以下、貨物輸送の歴史について少し言及しておきます。

大昔(特に江戸時代以前)は鉄道やトラック輸送もないため、海運(船に荷物をたくさん載せて海や川をいく)が主流でした。

そのため、この時代は、港町が特に栄えました。

貨物列車は、車の普及とともに衰退していった

そして明治時代になると、鉄道による貨物輸送が主流になってゆきました。

さらに戦後(特に1960年代以降)に入ると自動車が普及してゆき、高速道路がどんどん作られていくようになってゆきました。

すると必然的に長距離トラック輸送に置き換えられ、コスパや柔軟性などで劣る鉄道輸送はどんどん重要が減っていくことになりました。
その結果として、廃線・廃止になった路線はたくさんあります。

この瀬棚線も、その一つといえるでしょう。

近年では、環境への配慮から貨物列車が見直されるように

ただ、近年は地球温暖化防止の観点から、CO2(二酸化炭素)の排出が少ない貨物列車輸送の重要性が見直されていたりもするようです。

「シャクシャインの戦い」の舞台となった国縫

国縫は、かつてシャクシャインの戦いが行われた場所になります。

シャクシャインの戦いとは、簡単に言えば 江戸時代に、当時仲の悪かった日本人とアイヌ民族が、喧嘩して争った戦いです。

結果は、シャクシャインおよびアイヌ民族の敗北となってしまいました。

詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

冬の【東京→北海道】鉄道旅16(帰り)倶知安→長万部→函館
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夏の車窓(函館本線・森~長万部間)(北海道)

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次回は、長万部駅へ

次は、長万部駅に止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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