山陰鉄道唱歌 第28番 松江市と宍道湖 シジミの名所

まずは原文から!

水軍多き松江市(まつえし)は
人口三万六千餘(さんまんろくせんよ)
その大橋(おおはし)の名も高く
宍道(しんじ)の湖(うみ)に臨(のぞ)むなり

さらに読みやすく!

水軍多き松江市(まつえし)は
人口三万六千余(さんまんろくせんよ)
その大橋(おおはし)の名も高く
宍道(しんじ)の湖(うみ)に臨(のぞ)むなり

さあ、歌ってみよう!

♪すいぐんおーおき まつえしはー
♪じんこうさんまん ろくせんよー
♪そのおおはーしの なもたかくー
♪しんじのうみにー のぞむなりー

(山陰本線)
米子駅→安来駅→荒島駅→東松江駅→松江駅→玉造温泉駅→宍道駅→荘原駅→直江駅→出雲市駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

島根県の県庁所在地・松江市 松江の魅力を観光で堪能

列車は既に、松江駅(まつええき、島根県松江市)に到着しています。

国宝・松江城(島根県松江市)

島根県松江市(まつえし)は、島根県の県庁所在地であり、人口は約20万人ほどになります。

歌詞によれば、当時の松江市の人口は「三万六千余」とあります。
明治時代の当時は、日本全体の人口は約4,000万人であり、10万人もいる街は人口が多い方でしたから、当時としては多い人口になります。

現在の松江市は、中国山地を縦に貫く高速道路で広島市に通じているため、広島市との繋がりも深いといえます。

国宝・松江城は、明治時代の「廃城令」による取り壊しを免(まぬが)れたため、現代でも天守が残っているという、貴重かつ重要なお城になります。

廃城令とは、明治時代の1873年に出された、軍事的に価値のないお城はみな壊してしまおう、といった内容の命令です。

松江城はある意味、地元の方々の努力によって守られてきたきたお城でもあります。

松江城は、いわゆる「国宝五大天守」の一つになります。
残りの4つは、松本城(長野県)・犬山城(愛知県)・姫路城(兵庫県)・彦根城(滋賀県)の4つになります。
合わせて覚えておきましょう。

江戸時代、安来市の「月山富田城」から移転してきた松江城

松江城は、元々島根県安来市(やすぎし)の山奥にあった月山富田城(がっさんとだじょう)から、より平地で海にも近くて便利な松江に城を移す目的で、江戸時代の1608年に移転してきました。そのとき、松江城の建築に必要な木材などを運ぶ目的で、大橋川にかけられた橋が歌詞にもある松江大橋になります。

松江大橋(島根県松江市)

月山富田城(がっさんとだじょう)は、松江の少し東の島根県安来市(やすぎし)の南の山にあった、戦国時代に尼子氏(あまごし)によって造られたお城です。尼子氏は、戦国時代に中国地方でかなり力を持っていたのですが、毛利元就をはじめとする毛利家によって残念ながら滅ぼされてしまいました。

松江市の西に広がる「宍道湖(しんじこ)」

宍道湖(山陰本線の車窓より)(島根県)

宍道湖(しんじこ)は、松江市の西側に広がる、とても大きな湖になります。日本で7番目に大きな湖であり、日本で5番目の湖である、すぐ右隣の中海(なかうみ)とともに、巨大な経済圏を形成しています。

松江大橋からの大橋川と、さらに向こうに宍道湖(島根県松江市)

宍道湖大橋川(おおはしがわ)を通じて中海(なかうみ)に、さらに境水道(さかいすいどう)を通じて日本海に繋がっているため、歴史的に水運に栄えてきた街でした。それは、まだトラック貨物列車が無かった時代には、舟に荷物を載せて運ぶ方が効率が良かったからです。水運が盛んになると、そこで働く人も増えるため、街の人口が増大し、買い物(消費)が増え、経済が栄えます。

宍道湖と中海をつなぐ、大橋川(島根県松江市)

宍道湖は、次回解説する斐伊川(ひいがわ)の延長上に存在する湖になります。つまり、先述の大橋川は東側(下流部)であり、斐伊川は西側(上流部)になります。
斐伊川(ひいがわ)とは、宍道湖の南西部分に流れ込む、木次線(きすきせん)と並行して流れる川です。
また、斐伊川は奥出雲(おくいずも)から流れてくる川です。
この斐伊川(ひいがわ)の上流に、「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」という、日本神話に出てくるシッポが8つついた怪物がいたとされます。
そのヤマタノオロチが、「スサノオ」という神様に剣で斬られて破れ、オロチの体から出てきた剣が名古屋の熱田神宮(あつたじんぐう)で祀(まつ)られている、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)になります。
日本神話は、「古事記」や「日本書紀」などに書かれているストーリーです。
宍道湖(しんじこ)は、この斐伊川(ひいがわ)の一部になります。

宍道湖(しんじこ)は、「しじみ」で有名な湖になります。
しじみ」とは、いわゆる貝の一種になります。

宍道湖は海水真水が混じった汽水湖(きすいこ)になります。ちなみに真水のみの湖は淡水湖(たんすいこ)といいます。汽水湖である宍道湖は「真水」と「塩」が混じっているため、比重のある(水よりも重たい)「塩水」は湖の深い方に行きます。なので、深い部分ではシジミは育つことができません。また余談ですが、海で人が浮きやすいのは、塩水は真水よりも重く、からだの方が軽くなる(比重が小さくなる)からですね。

宍道湖の他に「しじみ」で有名な湖といえば、青森県の十三湖(じゅうさんこ)があります。

松江は、天然の優れた地形 かつては水軍の拠点として優れていた

歌詞冒頭の「水軍」とは、簡単にいえば「海賊」のことをいいます。 
海賊とは、海上で武装して、行き交う船を襲って「金」や「食糧」を略奪したり、通行料を取るなどしてビジネスしていた人々です。
ただ、悪いことばかりしていたわけでなく、武装してある程度は力を持っていたため、戦国時代には時の権力者によっては利用価値があり、(制海権を握るため)「戦力」として利用もされてきました。

有名な水軍といえば、瀬戸内海の村上水軍(むらかみすいぐん)や毛利水軍(もうりすいぐん)が挙げられます。
毛利水軍は、毛利元就(もとなり)の下で動いていた水軍であり、また既存の村上水軍を取り込んで、さらに勢力を拡大し、毛利家の中国地方の支配に大きく貢献しました。

また、伊勢(三重県東部)の九鬼水軍(くきすいぐん)も有名です。
九鬼水軍(くきすいぐん)は、九鬼義隆(くき よしたか)という武将によって率いられました。

【以下、調べても出てこなかったので、完全に推測で書きます!信憑性を保証するものではないので、ご了承ください】

松江に水軍が多かった理由は、恐らくではありますが宍道湖(しんじこ)に囲まれた「地形」にあるからでしょう。
宍道湖(しんじこ)は、斐伊川(ひいが)・大橋川(おおはしがわ)・中海(なかうみ)・境水道(さかいすいどう)を伝って、東の米子(よなご)・境港(さかいみなと)から日本海に通じています。

宍道湖と中海をつなぐ、大橋川(島根県松江市)

こうした入り組んだ地形にあるため、日本海を通じて攻めてくる敵にとって松江は侵入しづらく、松江をホームとする水軍にとっては(恐らくですが)松江は防御に適した場所だったと考えられます。
こうした自然の恵みを受けた港を、「天然の良港(りょうこう)」といいます。

狭くて入り込んだ地形の海には、海軍や海賊の拠点ができることが多いといえます。
これは、軍艦が主力だった第二次世界大戦直前までは同じことであり、横須賀(よこすか。神奈川県)、舞鶴(まいづる。京都府)、(くれ。広島県)、佐世保(させぼ。長崎県)などがそれに該当する軍港でした。
その理由として、これらの港への入口は狭くなっていますから、そこに砲台などの武器を設置して武装し、侵入してくる敵の船を滅多打ちにできたというわけですね。つまり、狭い地形は防御の拠点にしやすいのです。

松江も、日本海美保関(みほのせき)→境水道(さかいすいどう)→境港(さかいみなと)→中海(なかうみ)→大橋川(おおはしがわ)→宍道湖(しんじこ)の順番に舟で来ないと侵入できなかったので、恐らく、守る側としては、都合の良い地形だったことでしょう。

なお、広島県や愛媛県の瀬戸内海周辺には、村上水軍の末裔(まつえい)の方々が多く、「村上」という苗字の人々が多くなります。

次は、松江を出て、玉造温泉(たまつくりおんせん)・荘原(しょうばら)・直江(なおえ)へと進んでゆきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします

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