まずは原文から!
むかしは鬼の住家(すみか)とて
人のおそれし陸奧(みちのく)の
はてまでゆきて時の間(ときのま)に
かへる事こそめでたけれ
さらに読みやすく!
むかし(昔)は鬼の住家(すみか)とて
人のおそれし(恐れし)陸奧(みちのく)の
はて(果て)までゆき(行き)て時の間(ときのま)に
かえる(帰る)事こそめでたけれ
さあ、歌ってみよう!
♪むかしはおーにの すみかとてー
♪ひーとのおそれし みちのくのー
♪はてまでゆーきて ときのまにー
♪かーえることこそ めでたけれー
(常磐線)
仙台駅→(※注1)→岩沼駅→相馬駅(旧・中村駅)→原ノ町駅→浪江駅→双葉駅(旧・長塚駅)→富岡駅→木戸駅→広野駅→久ノ浜駅→いわき駅(旧・平駅)→内郷駅(旧・綴駅)→湯本駅→泉駅→勿来駅→大津港駅(旧・関本駅)→磯原駅→高萩駅→日立駅(旧・助川駅)→常陸多賀駅(旧・下孫駅)→水戸駅→友部駅→石岡駅→土浦駅→松戸駅→北千住駅→南千住駅→日暮里駅(※注2)
(東北本線)
日暮里駅→上野駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※注1 仙台駅→岩沼駅は東北本線の区間
※注2 当時は田端駅が終端
日暮里駅(にっぽりえき、東京都荒川区)で東北本線(案内上は京浜東北線または山手線)に乗り換えると、ゴールとなる上野駅はあと少しです。
日暮里駅は、現在の常磐線の終着駅(正確には起点)となります。
思えば、上野駅を出発してからどんどん北上し、昔は「鬼の住み家」と恐れられた(歌詞より)陸奥(みちのく)の果てである青森まで行って無事帰ってきました。
その感動を、鉄道唱歌は歌っています。
青森県の本州の果てまで行って帰ってくることの喜びは、本当に素晴らしいことです。
歌詞によると、昔は青森県は「鬼の住み家」として恐れられたという伝説があったようです。
確かに、昔の陸奥(みちのく)の世界には、平安時代の「アテルイ」や「安倍貞任(あべのさだとう)」など、朝廷に従わない強力な勢力が東北地方を支配していました。
また、奥州藤原氏など、約100年にも渡って栄華を築いた人もいました。鎌倉幕府を開いた源頼朝(よりとも)は、強大な財力をもつ奥州藤原氏を恐れていました。
こうした勢力は強力なので、朝廷や幕府に従わせようとしても、一筋縄(ひとすじなわ)ではいきません。最終的には朝廷や幕府が勝ったとしても、相手が強力であるが故に、多くの犠牲者を出してきました。
平安時代に朝廷から東北地方に派遣された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)も、アテルイを打倒するために果敢に戦いました。
「前九年の役(ぜんくねんのえき)」でも、朝廷側の源頼義(よりよし)は東北地方の寒くて厳しい環境に苦戦し、(最終的には勝ったとはいえ、)一度は敗退を余儀なくされています。
このような強力な勢力が蔓延っていた東北地方は、確かに「鬼の住み家」として恐れられたのも納得できます。
そして、昔の人々は、約20日も歩いて歩いて青森まで向かっていたのでした。
ときに暴風雨に見舞われたり、大雨の増水で川の前で足止めを食らったり、峠で道に迷ったり山賊に襲われたり・・・昔の人々の旅は、現代と比較したらある意味命がけだったでしょう。
鉄道が開通してからも自然災害や不運な事故など様々なトラブルや事故があったでしょうが、現代においてそれは鉄道会社等による高度かつ万全な安全対策によって改善が繰り返され、今日(こんにち)の安全運行に至っているわけです。
現代の我々は乗っているだけで目的地に着く便利なものになりましたが、やはりそれは過去の先人たちの失敗や困難、そして鉄道会社等の皆さんのたゆまざる努力によって安全が保たれているわけです。
昔は遠くてとても行けなかった場所に、本州の果てまで行って帰ってくるということは、本当に素晴らしいことであるのです。
鉄道唱歌 東海道編でも、最後の1つ手前にあたる第65番では、「人に翼の汽車の恩」とうたわれています。
ゴールの上野駅まで、あとわずか。
一安心といいたいところですが、帰ってくるまで、決して最後まで気は抜けません!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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