まずは原文から!
汽笛一聲(きてきいっせい)新橋(しんばし)を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
さらに読みやすく!
汽笛一声(きてきいっせい)新橋(しんばし)を
はや我が汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入り残る
月を旅路の友として
さあ、歌ってみよう!
♪きーてきいっせい しんばしをー
♪はやわがきしゃは はなれたりー
♪あたごのやーまに いりのこるー
♪つーきをたびじの ともとしてー
(東海道線)
新橋駅→高輪ゲートウェイ駅→品川駅→大森駅→川崎駅→鶴見駅→東神奈川駅→横浜駅→大船駅→藤沢駅→大磯駅→国府津駅(→小田原駅・熱海駅)
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
※鉄道唱歌の当時の「神奈川駅」と、現在の「東神奈川駅」は別の駅
※小田原駅・熱海駅は鉄道唱歌の当時のルートには含まれない
言わずと知れた、鉄道唱歌 東海道編 第1番
言わずと知れた、鉄道唱歌東海道編第1番です。鉄道に詳しくない人でも、「♪汽笛一声新橋を~」のこの歌詞だけは知っているという人は多いでしょう。
「鉄道唱歌」は、明治時代に作られた歌!今でもあちこちの駅・車内や、YouTubeの動画でも流れる
鉄道唱歌(てつどうしょうか)は、明治時代の1900年に大和田建樹(おおわだ たけき、1857年生・1910年没、愛媛県宇和島市出身)さんが作詞された曲で、作曲は多梅稚(おおの うめわか)さんのものがよく知られています。
現代ではスーツさんをはじめとする鉄道系YouTuberの動画でBGMとしてよく流れる他、品川駅の東海道線の発車メロディーとして使用されています。
他にも特急列車の車内メロディー(若干アレンジされたもと)や、北陸新幹線の糸魚川駅~金沢駅間の到着メロディーとして使用されるなど、(国鉄時代ほどではないにせよ)あちこちで鉄道唱歌が流れるシチュエーションはあるようです。
鉄道唱歌は、それまで江戸から京都まで東海道を20日もかけて歩いて移動するという大変な思いをして移動していた人々にとって、斬新的かつ画期的な移動手段として登場・普及した鉄道での旅の喜びを味わうことができます。また、歌詞を覚えること名所旧跡や地理・歴史についての勉強になるため、鉄道唱歌を覚えるメリットは大きいです。
現代の新橋駅は2代目!1872年に新橋~横浜間で開通した鉄道
1872年、新橋駅~横浜駅間で我が国はじめての鉄道が開通したことはよく知られています。鉄道は1820年代にはイギリスで早くも実用化され、その約30年後の1853年ペリー提督黒船来航による開国に伴って、日本にも鉄道の技術が伝わりました。最初はイギリス人の技師(お雇い外国人)などを招いて協力してもらいながら鉄道を造っていきましたが、徐々に日本人の技術のみで鉄道を建設していけるようになりました。
現在の新橋駅(しんばしえき、東京都港区)は2代目であり、初代の新橋駅は、現在の新橋駅の東約数百メートル先にある「汐留(しおどめ)」という地域の「旧新橋停車場」の場所にあり、現在でも初代新橋駅の建物とホームは当時のものを再現され、旧新橋停車場・鉄道歴史展示室として観光することができます。
新橋駅前(汐留口)にある、鉄道唱歌の碑
なお、現在の新橋駅の汐留口付近には、「鉄道唱歌の碑」としてこの東海道編第1番の大和田建樹さん直筆の歌詞が記された碑が建てられています。
明治時代当時の横浜駅は、現在の桜木町駅だった
一方、現在の横浜駅(よこはまえき、神奈川県横浜市西区)は3代目であり、初代横浜駅は現在の桜木町駅(さくらぎちょうえき、神奈川横浜市中区桜木町)の位置にありました。
2代目横浜駅は現在の横浜駅の数百メートル先にあったのですが、1923年の関東大震災のときに消失してしまいました。その位置には、現在でも2代目横浜駅の遺構が存在します。
東海道線とは?東京~神戸間を結ぶ、589kmにも及ぶ長大路線!
東海道線(とうかいどうせん)は、現在の東京駅から神戸駅に至る、589kmの長旅になります。1872年の開業当初からあるので、日本の鉄道の歴史では最も古い部類の路線になります。昔は「東海道五十三次」といって、江戸時代は江戸から歩いて約20日かけて京都の三条大橋付近まで移動していたのでした。しかし、鉄道の開通により、約1日もあれば東京~神戸間の移動ができるようになり、世の中の人々の行動範囲は一気に拡大することになりました。
また、それまで農作物や鉱物などの大漁の荷物を運ぶためには舟を使った「水運」「海運」が主流でしたが、鉄道の発展にともなってこれらに代わる貨物輸送の手段として大きな貢献をしてきました(後に高速道路や高速トラックの台頭によるモータリゼーションにより、貨物列車は衰退)。
そして現代では東京~新神戸間は新幹線で約3時間で移動できますから、鉄道の進化は素晴らしいですよね。しかし、鉄道唱歌の歌詞に沿って青春18きっぷ等を駆使して普通列車で沿線の名所旧跡を探訪すると、昔の人々の旅の楽しみを体験することができます。
これまで「ただ安く移動するためだけ」に青春18きっぷで東海道線を移動していた人も、途中の駅で途中下車して、鉄道唱歌に出てくる名所旧跡を訪ねてみられてはいかがでしょうか。これにより、旅の楽しみは倍増します。
「愛宕の山」とは?昔の人々を、火事の恐怖から救った「火除け」の神社
歌詞にある「愛宕の山(あたごのやま)」とは、新橋駅から西へ数百メートル先に行った、虎ノ門ヒルズなどがある位置付近にある標高約25メートルの山です。現在は周囲が超高層ビルに囲まれているため、山といった高さではないかもしれませんが、当時としては立派な山としての山容を誇っていたことでしょう。
愛宕神社は全国に比較的多い神社ですが、昔は愛宕信仰といって、いわゆる「山岳信仰」の一つとされています。昔は山そのものが神様であり、山には神様が宿っている、また御神体であると信じられていたので(富士山にもコノハナサクヤヒメという女性の神様がいると信じられてきました)、愛宕山もこうした山岳信仰の1つといえるでしょう。
江戸の歴史は、火事との戦いの歴史だった
また、愛宕山は「火の神様」としても信仰の対象とされてきました。いわゆる、防火の神様として、火事が起こらないようにお祈りするための神様ということですね。
江戸時代は「火事と喧嘩は江戸の花」と言われ、江戸は木造家屋が密集しており、ひとたび火事が起こると手に負えない状態でした。1657年の「明暦の大火」が有名ですね。現在のような高性能な防火消防技術もなかった当時は、いくらバケツのようなもので火を消そうとしても焼け石に水なので、いっそのこと家ごと全部燃やして完全に更地にしてから新しい家をまた建てる、といったこともあったようです。というか、最初から燃えることが前提で家を造らないと、隣に燃え移ったらあっという間に江戸の街に拡大しますし、当時の火消しではどうにもならなかったわけですね。
また、愛宕神社の他にも「秋葉大権現(あきばだいごんげん)」も防火の神様としては有名で、電気街やアニメ・メイドカフェ等で有名な秋葉原の名前の由来にもなっています。秋葉大権現も、比較的全国にある防火の神様となっています。新潟市にも秋葉区という地名がありますよね。
現在は法律・防火設備・防火管理・延焼防止対策などが厳しくなっていますが、昔は「地震雷火事親父」というように、とにかく火事は怖いものでした。そのため、愛宕山や秋葉大権現などのような「防火の神様」にお祈りするのも、一つの習わしだったわけですね。
江戸や東京は歴史的に明暦の大火や関東大震災、その他多くの災害などの大ピンチを経て防火の仕組みが改正・改善され続けた結果、現在の東京の防火の仕組みが出来上がっているといっていいでしょう。
現代に生きる我々は、犠牲になった方々の無念や当時の人々の並ならぬ苦労や努力を忘れてはならないわけですね。
「鉄道唱歌」で、たくさんの知識を学ぼう!知識があれば、旅も面白くなる
このように、本ブログでは一見すると鉄道に関係ないような話題も色々と解説していきますが、鉄道唱歌は本来「地理教育」をも目的としている性質もあると考え、鉄道唱歌に触れることはこうした社会についてのいい勉強の機会として、歴史や地理についての理解も深めていきましょう。これにより、鉄道での旅行が現地を探訪したときにより一層楽しくなります。
次は、高輪ゲートウェイ駅に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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