鉄道唱歌 北海道編 南の巻第1番 北海道の旅に出発!

まずは原文から!

千里(せんり)の林 萬里(ばんり)の野
四面(しめん)は海に圍(かこ)まれて
わが帝國(ていこく)の無盡庫(むじんこ)と
世に名ざさるゝ北海道(ほっかいどう)

もう少し読みやすく!

千里(せんり)の林 万里(ばんり)の野
四面は海に囲まれて
わが帝国の無尽庫(むじんこ)と
世に名ざさるる 北海道(ほっかいどう)

さあ、歌ってみよう!

♪せんりのはーやし ばんりののー
♪しめんはうみにー かこまれてー
♪わがていこーくの むじんことー
♪よになざさるるー ほっかいどう

明治時代に作られた、鉄道唱歌 北海道編

鉄道唱歌 北海道編は、鉄道唱歌の作詞者で有名な大和田建樹(おおわだ たけき、1857年生・1910年没、愛媛県宇和島市出身)さんが明治時代の1906年に作詞した、全40番からなる曲です。正確には「南の巻」20番「北の巻」20番からなります。

歌詞の原文は、以下のサイトにまとめられています。
https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%94%B1%E6%AD%8C/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E7%AF%87
(鉄道唱歌 北海道篇)

歌詞全体の流れを、大まかに把握しよう

歌詞の主なストーリーは、以下のようになります。

【南の巻】
最初の1、2番で北海道の素晴らしさの紹介をします。そして、第3番で青森から船で津軽海峡を渡り、函館に着きます。函館観光をした後は第5番で北海道に来てから初めて列車に乗り込み、桔梗(ききょう)→七飯(ななえ)→新函館北斗(しんはこだてほくと。旧:本郷)と進みます。
新函館北斗駅を過ぎると、大沼公園や駒ヶ岳の景色が素晴らしい場所を過ぎ、森駅に到着します。
森駅からは右に壮大な噴火湾の景色が広がり、八雲を過ぎてマンガン鉱山で有名な国縫(くんぬい)を過ぎると長万部(おしゃまんべ)に到着します。
当時は現在の室蘭本線が東方面へ出ていなかったため、そのまま倶知安(くっちゃん)方面へ尻別川(しりべつがわ)沿いに進みます。途中、黒松内駅、かつて蝦夷を平定した阿倍比羅夫(あべのひらふ)にゆかりある比羅夫駅を過ぎ、ニセコアンヌプリや羊蹄山(ようていざん)の麓である倶知安(くっちゃん)に到着します。
さらに北上し、鉱山に名高い然別(しかりべつ)やリンゴのなる余市(よいち)を過ぎて、ようやく日本海側に出てきます。
蘭島(らんしま)、塩谷(しおや)といった海水浴場に名高い地域あたりから小樽市に入り、海沿いに東へ進むとほどなく小樽に到着します。

【北の巻】
小樽の市街地を観光します。街には、北海道最初の鉄道路線といわれる手宮線(てみやせん)の跡があります。
小樽を出発して札幌方面へ向かうと、ほどなくして熊碓(くまうす)トンネルを過ぎ、左側が一気に日本海の壮大な景色になります。銭函駅(ぜにばこえき)を過ぎると、札幌市を擁する大きな平野である石狩平野に突入します。右には手稲山(ていねやま)という大きな山があります。やがて、北海道最大の都市であり道庁所在地である札幌市に着きます。
札幌観光した後は、江別(えべつ)、岩見沢(いわみざわ)方面へ向かいます。岩見沢は室蘭線との分かれ道で、かつて幌内炭鉱(ほろないたんこう)への分かれ道でもありました。
岩見沢を過ぎると奈井江(ないえ)・砂川(すながわ)と過ぎて、どんどん旭川方面へ向かっていきます。
旭川まで行くと、再び岩見沢に戻り、室蘭線に乗り換えて南下していきます。途中、追分駅(おいわけえき)から夕張方面へ寄り道し、夕張市を訪ねた後はまた追分駅に戻り、千歳付近を南下、苫小牧(とまこまい)、白老(しらおい)、登別(のぼりべつ)と北海道の南海岸沿いを走行していき、当時の室蘭線の終着駅であった室蘭駅でゴールとなります。
青森(本州)までは、歌詞の内容から察するにおそらく船で渡り戻っていたのでしょう。
なお、長万部~室蘭間は後の1925年に開通しています。

人口約520万人、日本最北の都道府県・北海道

北海道(ほっかいどう)は、日本で最も北にある都道府県(道)です
人口は約520万人であり、日本一面積の大きい都道府県(道)です。

かつては蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、本州に住んでいた人々にとっては未知の空間であり、憧れの地域でした。また、アイヌ民族という先住民族が暮らしていたことでも知られています。

道庁所在地かつ最大の都市は札幌市で、人口約196万人。
2位は旭川市の約33万人、3位は函館市の約25万人ですから、札幌がすばぬけて発展した大都市であることがわかります。
(いずれも2022年現在)

北海道は、広大な大地、雄大な大自然、本州ではまず見られないような大きな道路や植物があり、同じ日本とは思えないくらいの雄大さがあります
北海道に旅行に来ると、まるで外国に来たような魅力があります。その野や林にはまるで北欧のような景色が広がり、陸別町では低緯度オーロラが現れるそうです。

四面を海に囲まれた、自然の宝庫・北海道

北海道は四面を海に囲まれた(歌詞より)自然豊で果てしない林や野原が続く、自然の宝庫です。

道北に広がる、未開(つまり、人類が誕生してから一度も手を付けたことがない)と思われる原野
道央(北海道の中部)にある、四季彩の丘(しきさいのおか)。
宗谷本線から眺められる、利尻島(りしりとう)の景色。

歌詞にある「無尽庫(むじんこ)」というのはやや難しい表現ですが、単に「無尽」というと「尽くされることがない」、そこから転じて「たくさん魅力がありすぎて語り尽くせない」という意味合いになるでしょう。
つまり、鉄道唱歌の歌詞は「語り尽くせない魅力に溢れている、それが北海道だ」という意味合いになるでしょうか。

江戸時代までは、行くこと自体が難しかった北海道

北海道は、昔の日本人にとっては行くこと自体が大変な場所でした。
まず、鉄道がなかった時代(江戸時代以前)には、例えば「奥州街道(おうしゅうかいどう)」のような街道をはるばる歩いて移動しなければなりませんでした(偉い人や金がある人などは馬車など)。又は、海運といって船で移動するのです(天候が荒れるとリスク大。しかも今ほど天気予報が発展していない時代)。
例えば、江戸から蝦夷地に行くには、青森まで20日間も歩いて移動し、そこから船で北海道(蝦夷地)へ向かっていたのでした。
何日も何日も歩き続け、現在のように電灯もスマホもGPSも無い時代に真っ暗な険しい峠道を越え、常に遭難のリスクがありました。時には山賊や追い剥ぎと戦い、またいくつもの関所をくぐり自分が不審者でないことを証明し、毎晩宿場町に泊まる。そして、20日ほど歩いた後(場合によってはもっと)、青森から船で北海道へ向かうのでした。その船にしても、現代のように天気予報が発展していない時代には嵐に巻き込まれやすい。それだけ、鉄道が出来る前の時代に北海道(蝦夷地)に行くことはそれ自体が大変なことでした。当時の多くの人にとっては、北海道に行くことは夢のまた夢みたいな感覚だったでしょう。

明治時代に鉄道がひらかれ、北海道への移動のハードルは一気に下がった

しかし、明治時代になって日本でも鉄道が開かれると、東京から青森までの移動のハードルが一気に下がり、北海道へ向かう需要が一気に上がりました。また、明治時代からは蝦夷地が北海道に改められ、北海道も日本の一部として、日本を欧米諸国に負けない強い国にする必要がありました。そのため、「開拓(かいたく)」といって北海道で農業や産業などを発展させ、北海道を諸外国の侵略から守るために兵力や軍事力を強化し、北海道をより強い土地にする必要が出てきました。
また、北海道はニシンといった寒い海を好む魚が大量に採れ、また夕張炭鉱(ゆうばりたんこう)や幌内炭鉱(ほろないたんこう)など数多くの炭鉱が存在したこと、さらにマンガン木材などの資源も多く産出されたことから、資源の宝庫でした。
鉄道ができたことによって、多くの人々が北海道へ移動しやすくなり、また北海道で採れた多くの海産物や石炭、マンガンなどを貨物列車で運ぶことが容易になりました。
明治時代から戦時中、高度経済成長期にかけて、特に北海道の炭鉱で採れる石炭は特に重要で、多くの石炭を運ぶことによって鉄道は栄え、それと同時にまた炭鉱も栄えました。

相次ぐ炭鉱の閉鎖や、人口減少に苦しむ北海道

しかし、高度経済成長期以降にエネルギーが石炭から石油へ移行し、また安価な輸入品への代替が進むと、道内の炭鉱は衰退し、石炭を運んでいた鉄道路線も次々に廃止に。
さらに近年では少子高齢化などの影響で札幌以外の人口は減少し、進学や就職などの問題で札幌の人口ばかり集中して増える「札幌一極集中」という現象が問題化しています。
また、JR北海道も慢性的な赤字で有名で、普通列車が1日に数本しか止まらない駅も珍しくありません。近年では次々に北海道の各地で駅が廃止されたり、鉄道路線も廃止される傾向にあり問題となっています。

魅力あふれる北海道の鉄道の旅に出掛けよう

JR北海道は先述の通り、普通列車が1日に数本しか止まらない駅や路線も珍しくなく、普通列車のみでの移動は非常に難易度が高いものになっています。そのため、マニアからしたら旅自体にやり甲斐があり、JR北海道の旅はそれ自体が冒険であり、ロマンです。
しかし北海道では1日数本しか止まらない駅も多く、乗り遅れたら次は数時間後・・・という憂き目に遭う可能性もあるので、常に時刻表はチェックし、余裕のある旅を心がける必要があります。そして冬は本当に極寒なので、注意しなければなりません。
そしてもし列車に遅れて置いていかれ、周辺に一見したら何も無い駅で数時間待ちを食らっても、10分ほど歩けばコンビニやスーパーがある可能性もあるので、途方に暮れたり諦めたりしないようにしましょう。

北海道には、多くの秘境駅や無人駅があって、駅周辺の独特の雰囲気を楽しむことができます。例えば「日本一の秘境駅」として有名な小幌駅(こぼろえき、室蘭本線)については、今やネットで駅探訪や訪問の仕方の情報が溢れているので、現在では比較的容易な秘境駅探訪かもしれません。行くなら、昼間の東室蘭駅からアタックしましょう。
しかし、秘境駅探訪はリスクも大きく、真冬の秘境駅に置き去りにされて凍死とか野宿といった事態だけは回避しましょう。発車時刻は常にチェックし、余裕を持って駅に着くようにしましょう。できれば、発車30分前には駅に戻ってきて、発車時刻までは駅探訪や写真撮影に時間を費やせば、遅れることはないのでお勧めです。あと、豪雪地帯である北海道の列車は10分近く遅れることがよくあるので、もし時間通りに列車が来なくても焦ったり心細くなったりしないようにしましょう。
そして冬は本当に極寒なので、注意しなければなりません。
そして、よほどの熟練者や上級者、マニアでも無い限り、夜の秘境駅探訪は避けた方がよさそうです。本当に怖くて心細いですし、クマ遭遇、野宿、凍死のリスクが増大しますから(^-^;

真冬の北海道はマイナス10~20度は普通にいく上、木や電信柱の下半分や3分の1が余裕で埋もれるくらい雪が積もります。
しかし、北海道の列車はちょっとやそっとの雪では遅延や運休することはありません。それどころか、北海道の列車は雪飛沫を舞い上げながら雪景色の中を普通に勢いよく走ります。北海道や東北地方などの豪雪地帯では、鉄道に様々な雪対策がなされているため、北海道の列車はとにかく雪に強いです(そしてその雪対策には多大なコストがかかるため、それが赤字や値上げ等を招く要因になっているようです)。また、真冬の北海道は窓の外が完全に真っ白というホワイトアウトのような現象も起こります。

こうした本州で味わえない雪国の神髄を味わえるのも北海道ならでしょう。

みんなで北海道に旅行に行って、北海道で食い道楽をやり、北海道を元気にしましょう!!

北海道の旅は、それ自体が冒険でありロマンです!!

格安きっぷである「北海道&東日本パス(7日間11300円、普通列車のみ)」や「北海道7日間フリーパス(7日間27430円、特急列車も乗り放題)」を入手し、あなたも北海道の鉄道の旅にでかけましょう。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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