鉄道唱歌 東海道編 第5番 横浜に到着!開港5港の1つ

まずは原文から!

鶴見(つるみ)神奈川(かながわ)あとにして
ゆけば横濱(よこはま)ステーシヨン
湊(みなと)を見れば百舟(ももふね)の
煙(けむり)は空をこがすまで

さらに読みやすく!

鶴見(つるみ)神奈川(かながわ)あとにして
ゆけば横浜(よこはま)ステーション
湊(みなと)を見れば百舟(ももふね)の
煙(けむり)は空をこがすまで

さあ、歌ってみよう!

♪つーるみかながわ あとにしてー
♪ゆーけばよこはま ステーション
♪みなとをみーれば ももふねのー
♪けむりはそーらを こがすまでー

(東海道線)
新橋駅→高輪ゲートウェイ駅→品川駅→大森駅→川崎駅→鶴見駅→東神奈川駅→横浜駅→大船駅→藤沢駅→大磯駅→国府津駅(→小田原駅・熱海駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
※鉄道唱歌の当時の「神奈川駅」と、現在の「東神奈川駅」は別の駅
※小田原駅・熱海駅は鉄道唱歌の当時のルートには含まれない

川崎駅を出て、横浜方面へ

川崎駅を出ると、鶴見駅(つるみえき、神奈川県横浜市鶴見区)、東神奈川駅(ひがしかながわえき、神奈川県横浜市神奈川区)を経て、横浜市の中心駅・横浜駅(よこはまえき、神奈川県横浜市西区)に到着します。

鶴見線との分岐駅・鶴見駅

鶴見川(神奈川県横浜市鶴見区)

鶴見駅(つるみえき)は、鶴見線(つるみせん)との分岐点となります。鶴見線は横浜市の京浜工業地帯へ繋がる路線であり、とてもユニークな駅が多いことで知られます。
例えば、国道15号第一京浜)と交わる場所には国道駅(こくどうえき、神奈川県横浜市鶴見区生麦)があり、駅は戦前からの独特の雰囲気があります。1930年の開業当時のほぼそのままだそうです。また、安田財閥の創始者である安田善次郎(やすだ ぜんじろう)の名前が元になった安善駅(あんぜんえき、神奈川県横浜市鶴見区)や、横浜の海の景色が素晴らしい海芝浦駅(うみしばうらえき、神奈川県横浜市鶴見区)などがあります。海芝浦駅は東芝の会社の領域のため、一般客は駅の外に出ることはできませんが、一般客の観光向けに東芝の善意によって「海芝公園(うみしばこうえん)」が用意されており、鶴見つばさ橋をはじめとする海の素晴らしい景色を眺められます。

かつて明治時代に存在した「神奈川駅」

歌詞にある「神奈川」とは、明治時代の鉄道黎明期に存在していた「神奈川駅(かながわえき)」のことで、現在の神奈川県横浜市神奈川区にありました。
横浜線との分岐駅である「東神奈川駅(ひがしかながわえき、神奈川県横浜市神奈川区)」と同一であると勘違いしやすいのですが、別の駅であり、現在は廃止されてしまい存在しません(1928年廃止)。
また、京浜急行線の「神奈川駅(かながわえき、神奈川県横浜市神奈川区)」とも別の駅となります。

東海道の宿場町「神奈川宿」

神奈川駅は、元々の東海道五十三次の「神奈川宿(かながわしゅく)」で盛り上がっていた場所に存在していた駅です。
現在の横浜駅のあるあたりは、江戸時代はあくまで漁村という扱いであり、むしろ神奈川宿周辺の方が栄えていたようでした。

神奈川県の「神奈川(かながわ)」という地名は、元々江戸時代から栄えていた「神奈川宿」のあたりに由来するようです。

横浜駅に到着

横浜駅(神奈川県横浜市西区)

神奈川県横浜市(よこはまし)は、神奈川県の県庁所在地であり、最大の都市です。
人口は約370万人。東京都23区を除けば、全国の市では最大の人口を誇ります。
なお参考までに、大阪市は約270万人、名古屋市は約230万人、札幌市は約196万人、福岡市は約153万人となります。

横浜の海。右奥に見えるのが、横浜ベイブリッジ

開港五港の一つ・横浜

横浜赤レンガ倉庫(神奈川県横浜市)

横浜市は、1858年の「日米修好通商条約」における、いわゆる「開港五港」の一つです。

いわゆる五港とは、北海道函館市・新潟県新潟市・神奈川県横浜市・兵庫県神戸市・長崎県下長崎市の五つとなります。

当初は横浜港を外国に向けて開くことは、江戸に近いことから軍事的に問題視されたようです。しかし結果的にはむしろ江戸からの利便性がよく、かえって生糸など国内の製品の輸出に大きな役割を果たしたようでした。

横浜みなとみらい21の風景。やや左側の一番高いビルが、横浜ランドマークタワー(高さ296m)。

明治時代の日本は、「富国強兵(ふこくきょうへい)」といって、欧米列強に追いつけ追い越せといわんばかりに、国内の産業を充実させ、輸出によって大きな利益を得ようと努めました。これを「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」といいます。
殖産興業は、おもに生糸(きいと)や織物(おりもの)の大量生産に始まりました。
こうした製品は、おもに群馬県や、東京の八王子(はちおうじ)などで生産されました。群馬県富岡市の富岡製糸場(とみおかせいしじょう)が有名ですね。
そして鉄道で横浜港まで運ばれ、さらに船に載せてから輸出され、大きな利益をあげました。

横浜の景色(神奈川県横浜市)

よく勘違いしがちな「県名と異なる県庁所在地」

よく勘違いされるのですが(すくなくても幼少期の私は勘違いしていました)、横浜市はあくまで市名であり、県名ではありません。県名は「神奈川県(かながわけん)」になります。

以下、私の幼少期の盛大なる勘違いを以下に紹介します。

「横浜県」「金沢県」「神戸県」「名古屋県」「仙台県」などです。

もちろん、中学の地理の授業で全部覚え直しました
正しくは以下の通りです。

「神奈川県横浜市」
「石川県金沢市」
「兵庫県神戸市」
「愛知県名古屋市」
「宮城県仙台市」

多くの中学生が、テストのために県名と県庁所在地を暗記するのに苦労しますよね。

ちなみに上記のうち、「金沢県」「名古屋県」「仙台県」は1871年の廃藩置県の際に実際に存在した県でした
ただ、「横浜県」は存在しなかったようでした。
また「神戸県(かんべけん)」は兵庫県とは異なり、三重県鈴鹿市(すずかし)の神戸(かんべ)という地域に存在しました。

また、「日米修好通商条約」という名前の暗記については、「修好(しゅうこう)」と「通商(つうしょう)」の順番が重要になります。
私は「さ行」の方が先で、「た行」の方が後、と覚えていました。

現代の横浜駅は「三代目」

現在の横浜駅は、三代目になります。

初代の横浜駅は、現在の根岸線(ねぎしせん)桜木町駅(さくらぎちょうえき、神奈川県横浜市中区桜木町)になります。

二代目横浜駅遺構(神奈川県横浜市)
二代目横浜駅遺構(神奈川県横浜市)

二代目の横浜駅は、現在の横浜駅の付近にありましたが、1923年の関東大震災の際に消失してしまいました。しかし、現在でもレンガ造りの遺構が残っています。

1872年の鉄道開通当初は、現在の桜木町駅止まりでした。桜木町駅からは、港や赤レンガ倉庫に向かって敷かれたレールがあり、恐らくここで荷物を船に乗せ替えたり、また荷物を赤レンガ倉庫に積んでいたのでしょう。
桜木町駅からは、現在でも赤レンガ倉庫に向けて線路の遺構が「汽車道(きしゃみち)」として残されています。

赤レンガ倉庫へと続く「汽車道」(神奈川県横浜市)

桜木町駅(当時)止まりだった横浜駅でしたが、その後に西の小田原付近にある国府津(こうづ)まで線路が延伸することになりました。
しかし、当時の横浜駅は現在の桜木町駅なので、港方面に向かって線路が延びていました。
なので、一旦戻るために「スイッチバック」という形を取ることになりました。スイッチバックとは、一旦先頭車両から突っ込み、その後は逆方向に進む線路の形のことです。「人」「V」などの形をした線路ですね。
横浜駅のスイッチバックは、「V」の形となりました。右上が神奈川駅、下部が横浜駅(現在の桜木町駅)、左上が保土ヶ谷駅(当時は「程ヶ谷駅」)というイメージとなります。
しかし、スイッチバックの形式の線路では、東京から国府津方面へ直進する貨物列車などに影響が出ました。そのため、神奈川駅と保土ヶ谷駅間を短絡(ショートカット)できる線路ができました。線路の形が「V」から「▽」に変わったイメージです。
その後、「▽」の右上にあった神奈川駅は、後に八王子方面に向かう横浜線との分岐駅である東神奈川駅ができたことで存在意義が失われ、1928年に廃止されました。
そして、横浜駅も二代目、三代目と現在の位置となるのでした。

横浜駅を出たら、次は大船(おおふな)方面へ向かいます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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