まずは原文から!
東寺(とうじ)の塔(とう)を左にて
とまれば七條(しちじょう)ステーシヨン
京都/\(きょうときょうと)と呼びたつる
驛夫(えきふ)のこゑ(こえ)も勇ましや
さらに読みやすく!
東寺(とうじ)の塔(とう)を左にて
とまれば七條(しちじょう)ステーション
京都京都(きょうときょうと)と呼びたつる
驛夫(えきふ)のこえ(声)も勇ましや
さあ、歌ってみよう!
♪とうじのとーうを ひだりにて
♪とまればしちじょう ステーション
♪きょうときょうとと よびたつる
♪えきふのこえもー いさましやー
(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり
山科駅(やましなえき、京都府京都市山科区)を出て、東山(ひがしやま)の下を貫く長いトンネルを出ると、鴨川(かもがわ)を渡り、やがて歌詞にあるように東寺(とうじ)の五重塔を左にして京都駅(きょうとえき、京都府京都市下京区)に着きます。
前回も解説しましたが、かつての東海道線は山科駅から大きく南へ迂回し、稲荷山(いなりやま)の南を通って、伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)の方まで出ていました。
そもそも、山科駅自体が現在の南約1kmの位置にありました。
伏見稲荷大社の最寄駅である稲荷駅(いなりえき、京都府京都市伏見区)を過ぎると、現在の奈良線(ならせん)に沿って北上し、京都駅まで着いたのでした。
冒頭に触れたように、また歌詞にもあるように、京都駅の左側には東寺(とうじ)の五重塔がそびえ立ちます。
京都の東寺(とうじ)は、正式には教王護国寺(きょうおうごこくじ)といい、真言密教(しんごんみっきょう)の修行の場です。
東寺は、平安京が京都に794年にできてから約30年後、嵯峨天皇(さがてんのう)によって招かれた弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)に下賜(げし)されました。
下賜とは、天皇陛下が民間の人に差し与えることです。
つまり、嵯峨天皇によって空海に譲り渡されたという意味です。
なお、嵯峨天皇とは平安京を開いた桓武天皇(かんむてんのう)の2代後の天皇です。
なぜ嵯峨天皇がこの東寺を空海に分け与えたかというと、それは仏教の力を使って京都の街、つまり平安京を平和で無病息災にしたかったからです。
また、元々は西寺というものもあったようです。しかし、こちらは900年代に消失してなくなったようです。
東寺の高さは約55mあります。
京都には高い建物がないので、東寺は比較的京都の色々なところから見渡すことができます。
なぜ京都に高い建物が無いのかと言うと、京都の歴史的な景観を保つために「高さ制限」が設けられているからです。
京都では景観を保持するために、建物の高さが31mにおさえられています。
また、昔は天皇陛下のお住まいである御所(ごしょ)を高い場所から見下ろすことは失礼にあたる、という風にも考えられていました。
京都駅の北側には、京都タワーが優美にそびえ立っています。
こちらは高さ131mあり、先ほど述べた31mの高さ制限を大きく上回っています。この高さについては、かなり反対の声もあったようです。
しかし現代ではもはや京都タワーは現在の京都のランドマークとして十分馴染んでるかのような印象も受けます。
現在の京都駅は4代目になります。
京都駅は新幹線のぞみ号も全車停車する、重要な駅です。
歌詞には「七条ステーション」とありますが、これは京都駅の位置が北から数えて七条目にあたるからです。七条というのは、京都が平安京だった頃の街の区画の数え方で、「条坊制(じょうぼうせい)」といいます。
京都の地名や名所などでいうと、「二条城」「三条大橋」「四条烏丸(からすま)」「五条駅」などのように使います。
なお、現代で七条駅(しちじょうえき)というと、京都駅のやや東にある京阪本線の駅になります。
また京都にはかつて伏見線(ふしみせん)という、日本初の「電車」がありました。1895年の開業です。
「電車」とは、それまでの蒸気機関車ではなく、電気を使った列車であり、蒸気機関車よりもエネルギー効率もコスト面・性能面でも上回ります。また、煙を吐かないので、環境にも優しいです。
伏見線は京都市内を走る路面電車でしたが、現在は廃止されています。
なお、4年後の1899年には、神奈川県川崎市で川崎大師(かわさきだいし)の参拝客を乗せるための「大師電気鉄道(だいしでんきてつどう。現在の京浜急行「大師線」)」が、関東地方初の「電車」として開業しています。この大師電気鉄道は、現在の京浜急行(けいひんきゅうこう)の起源です。鉄道唱歌 東海道編 第4番でも「急げや電気の道すぐに」と歌われていますよね。
さらに翌年の1900年には、同じく神奈川県の国府津(こうづ)~小田原(おだわら)間でそれまでの馬車鉄道に代わって「電車」がデビューしました。
鉄道唱歌 東海道編 第12番の歌詞にも「国府津おるれば電車あり」と歌われていますよね。
またこの年はちょうど鉄道唱歌が発表された年であり、元々の歌詞である「馬車ありて」が「電車あり」に急遽書き換えられたりもしました。
その昔、京都に入ってくるために「京の七口」というものがありました。
京の七口のうちの一つに丹波口(たんばぐち)というものがありますが、丹波口駅(たんばぐちえき、京都府京都市下京区)は、京の七口の一つに由来しています。
なお、「京都/\」という表記ですが、このスラッシュ(/)とバックスラッシュ(\)を用いる表記は、2文字以上の繰り返しの時にこのような記号を用います。
縦書きにすると「く」のような文字になります。
京
都
〈
と
呼
び
た
つ
る
と書くと、「京都京都と呼び立つる」となるわけですね。
これは、昔は縦書きがメインであり、「く」のような文字だと「二文字以上の繰り返し」を意味するようになります。
現代ではこのような用法はないので、横書きするときはスラッシュ(/)とバックスラッシュ(\)で表現することになります。
京
都
/
\
と
呼
び
た
つ
る
つまり、横書きで書くと、「京都/\と呼びたつる」というように、スラッシュとバックスラッシュで表現するわけです。
他の鉄道唱歌の例でいくと、
いよいよ→いよ/\
しばしば→しば/\
などのようになります。
他に、例えば「くゞる」という表記で用いられる「ゝ」という表記も、1文字の繰り返しで使われる記号です。
ゝに濁点をつけて、「くぐる(潜る)」となります。
これは、昔は例えば「あらわれる」という言葉を、「あらはるる」と表記していました。
このときに、「る」が二文字続くので、冗長(じょうちょう)になってしまいます。つまり、あまり美しい表記ではありません。
そのため、「あらはるゝ」と書けば、冗長性が排除されます。
そのために、ゝの記号は繰り返しのために用いられていたものと思います。
京都に着いたので、次回からはいよいよ京都観光が始まります。
鉄道唱歌では、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんが京都に対する思い入れが特に深かったためか、この第46番から第53番にかけて多くの歌詞が割りあてられています。
また、京都は794年の平安京にはじまり1000年以上の歴史ある街です。それだけ多くの観光的魅力があるので、鉄道唱歌でしっかり勉強して、京都の観光を最大限に充実したものにしましょう!!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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