鉄道唱歌 山陽・九州編 第1番 神戸を出発!山陽線と九州の旅へ

まずは原文から!

夏なほ寒き布引(ぬのびき)の
瀧(たき)のひゞきをあとにして
神戸(こうべ)の里を立ちいづる
山陽線路(さんようせんろ)の汽車の道

さらに読みやすく!

夏なお寒き布引(ぬのびき)の
瀧(たき)のひびきをあとにして
神戸(こうべ)の里を立ちいづる
山陽線路(さんようせんろ)の汽車の道

さあ、歌ってみよう!

♪なつなおさーむき ぬのびきのー
♪たーきのひびきを あとにしてー
♪こうべのさーとを たちいずるー
♪さんようせんろの きしゃのみちー

(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ

鉄道唱歌 山陽・九州編(てつどうしょうか さんよう・きゅうしゅうへん)」は、鉄道唱歌の作者でお馴染みの大和田建樹(おおわだ たけき、1857年生・1910年没)さんによって明治時代の1900年に作られた曲です。
作曲(メロディー)は、今日では一般的に東海道編と同じく多梅稚(おおの うめわか)さんのメロディーがよく使用されます。鉄道系YouTuberのスーツさんの動画でBGMとして用いられたり、JR品川駅の東海道線の発車メロディーとして流れるあの曲ですね。

鉄道唱歌は、まだ鉄道がなかった明治時代以前に、それまで「何日も何日も宿場町に泊まりながら、歩いて移動する」という非常に大変な思いをしながら旅をしていた人々にとって、「鉄道」という当時としては画期的だった技術によるそれまでになかった「速く快適に移動できる」といった感動に加え、「昔は未知の場所だったところに、今は簡単に行けるようになった」という当時の人々の感動もあり、とてもヒットしました。
そのため、鉄道唱歌はそれに応じて様々なバージョン(山陽・九州編、奥州・磐城編、北陸編、関西・参宮・南海編、北海道編など)が作られるようになりました。

また、1872年の新橋~横浜間で我が国初の鉄道開通以来、当初は国が主導で鉄道の建設を行っていました。しかし、1877年の西南戦争で国の予算を多く使い果たしてしまい、国による鉄道建設は一旦そこでストップしてしまいました。
しかし、やはり鉄道は全国にあった方がいいということで、1880年代からは国ではなく民間のお金持ちの人々や会社が次々に鉄道を建設していきました。
そうした民間の鉄道会社の例として、現代のJR東北本線の原型となる「日本鉄道」、現代のJR山陽本線の原型となる「山陽鉄道」、現代のJR九州の原型となる「九州鉄道」などの会社がそれにあたります。
これらの民間の鉄道会社は、軍事輸送力強化のために1906年に国有化され、やがて国鉄時代を経て現在のJR(Japan Railways:日本旅客鉄道株式会社)に至ります。

それでは、鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞の主なストーリーを簡単に解説します。

まずは前夜、東京・新橋を出発して東海道線経由で神戸まで約580km以上にも及ぶ旅を終え、神戸の宿に前泊します。

朝明けると、現在の新幹線新神戸駅のやや北を流れる「布引の滝(ぬのびきのたき)」の響きをあとにして、神戸駅を出発し、山陽線の旅へと向かいます。

途中、源平合戦「一ノ谷の戦い」で有名な須磨地区を経由し、明石、姫路、相生、岡山・・・と、現在のJR山陽本線のルートを西へ西へと進んでいきます。
途中、「後楽園(こうらくえん、岡山県岡山市)」「鞆の浦(とものうら、広島県福山市)」「尾道(おのみち、広島県尾道市)」「宮島(みやじま、広島県廿日市市)」「錦帯橋(きんたいきょう、山口県岩国市)」といった観光名所もめぐり、現在の山口県防府市にある「三田尻駅(みたじりえき。現在の防府駅)」で、当時の山陽線は一旦ストップしています。

防府駅(旧・三田尻駅)から一旦徳山駅(とくやまえき、山口県周南市)まで引き返し、そこから船で海を渡り、九州の門司港(もじこう、福岡県北九州市)に到着します。

向かい側の岸は、壇ノ浦(だんのうら、山口県下関市)とよばれ、1185年に源平合戦がここで終了し、鎌倉幕府成立のきっかけとなった場所として有名です。

門司(もじ)から先は、九州の鉄道線路が始まります。
小倉駅(こくらえき、福岡県北九州市)に着くと、一旦九州の東海岸への寄り道となります。
城野駅(じょうのえき、福山市北九州市)、行橋駅(ゆくはしえき、福岡県行橋市)、宇島駅(うのしまえき、福岡県豊前市)と九州の東海岸をずっと南下していきます。
やがて中津駅(なかつえき、大分県中津市)、宇佐駅(うさえき、大分県宇佐市)に至ります。
中津では耶馬渓(やばけい)の観光をし、宇佐では「宇佐神宮(うさじんぐう)」の参拝をした後、再び小倉駅に戻ります。

小倉から先は、博多方面へ向かいます。途中、福岡市の筥崎宮(はこざきぐう)という八幡の神様を祭る神社を参拝します。
博多駅(はかたえき、福岡県福岡市博多区)を過ぎると、二日市駅(ふつかいちえき、福岡県筑紫野市)を経て、あの菅原道真公で有名な大宰府(だざいふ、福岡県太宰府市)につきます。

現代では「学問の神様」と呼ばれる菅原道真(すがわらのみちざね)公は、平安時代の西暦901年に、あまりにも天才すぎるが故に人々の妬みの対象となり、身に覚えのない罪の疑いをかけられ、九州の太宰府に左遷(させん)となってしまいました。菅原道真公は絶望のまま、左遷先の大宰府で2年後に亡くなってしまいました。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう、福岡県太宰府市)は、人から妬まれるほどあまりにも優秀すぎた菅原道真公を祀るため、「学問の神様」として現在でも尊敬を集めています。
鉄道唱歌では、実に8番ほどの歌詞が太宰府関連に充てられており、作者の大和田建樹さんの菅原道真公への畏敬の念が伺い知れます。

太宰府を過ぎると、長崎方面との分かれ道である鳥栖駅(とすえき、佐賀県鳥栖市)を南下していき、久留米駅(くるめえき、福岡県久留米市)を経由して、熊本方面へ南下していきます。

熊本県内に入ると、あの西南戦争の戦いの舞台となった田原坂(たばるざか)に着きます。
田原坂は、南側から攻める薩摩軍と、北側から攻める新政府軍(官軍)が衝突した場所であり、両軍共に甚大な被害が出た場所でもあります。

田原坂をさらに南下すると、やがて熊本駅(くまもとえき、熊本県熊本市)に到着します。難攻不落の城として名高い熊本城も、西南戦争の舞台となった場所で、あまりに固すぎる城のセキュリティのために薩摩軍は一人も城に侵入できなかったと言われています。

熊本駅をさらに南下して、八代駅(やつしろえき、熊本県八代市)までくると、鉄道唱歌ができた当時(1900年)は八代駅前から先(現在の肥薩おれんじ鉄道線の区間、1920年代に開通)はまだ開通していなかったため、再び鳥栖駅に戻ります。

鳥栖駅からは長崎方面に向かって西へ進みます。
途中、佐賀駅(さがえき、佐賀県佐賀市)、武雄温泉駅(たけおおんせんえき、佐賀県武雄市)、有田駅(ありたえき、佐賀県西松浦郡有田町)を経て、佐世保方面へのスイッチバック式の分かれ道である早岐駅(はいきえき、長崎県佐世保市)に到着します。

早岐駅をさらに長崎方面へ向かって南下していき、大村湾の東岸を進んでいきます。やがて大村駅(おおむらえき、長崎県大村市)、諫早駅(いさはやえき、長崎県諫早市)と過ぎると、長崎はもう間もなくとなります。

諫早駅を西へ向かい、喜々津駅(ききつえき、長崎県諫早市)、大草駅(おおぐさえき、長崎県諫早市)、長与駅(ながよえき、長崎県西彼杵郡長与町)、道ノ尾駅(みちのおえき長崎県西彼杵郡長与町)、を過ぎてゆくと、ようやく鉄道唱歌のゴール地点である長崎駅(ながさきえき、長崎県長崎市)に到着します。

長崎は開港5港の1つであり、当時としては「日本で最も外国に近い場所」の1つであった長崎までやってこられた鉄道の技術に感謝しながら、また次は青森へ向かう東北地方への旅をほのめかしながら、山陽線と九州の鉄道唱歌の旅は終わります

前置きがずいぶん長くなりましたが、鉄道唱歌の歌詞の解説に入ります。

布引の滝(ぬのびきのたき)」は、現在の新神戸駅の裏側の山にある滝のことです。

布引の滝

布引の滝は、新神戸駅から徒歩5分ほどで行けます。ただ、ややわかりにくい地下道から行かないといけないので注意しましょう(駅の南西側に、駅北側に通じる通路があります。やや薄暗く車も通るので、注意して行ってください)。

布引の滝は、「日本三大神滝」という風に言われます。
1つは栃木県・日光の「華厳の滝(けごんのたき)」 、2つ目は和歌山県の「那智の滝(なちのたき)」。

しかし、もう1つはシチュエーションによって「袋田の滝(茨城県)」と「布引の滝」のどちらかが紹介されます。

日本三大滝→袋田の滝
日本三大滝→布引の滝

観光案内などをする際にはここを気をつける必要があります。

袋田の滝(ふくろだのたき)」は、茨城県水戸市から出ている水郡線(すいぐんせん)の袋田駅(ふくろだえき)から行くことができます。
袋田の滝も、布引の滝に負けじと劣らない日本三大名瀑と呼ばれるに相応しい巨大で凄まじい滝です。

そして、「布引の滝」もやはりすさまじい滝の威容はあります。何より新神戸駅のすぐ裏側にあるため、都会からのアクセスも容易です。
行かない手はないでしょう。

神戸駅

列車はこれより、神戸駅を出発します。

夏でもなお寒い、布引の滝の響きを後にして、神戸の街を今から出発する、山陽線の列車の道。

ここから山陽線、そして九州の旅がスタートします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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