鉄道唱歌 山陽・九州編 第13番 福山に到着!広島県東部の重要都市 福山城の苔のあと

まずは原文から!

疊(たたみ)おもての備後(びんご)には
福山町(ふくやままち)ぞ賑(にぎ)はしき
城の石垣(いしがき)むしのこす
苔(こけ)にむかしの忍(しの)ばれて

さらに読みやすく!

畳(たたみ)おもての備後(びんご)には
福山町(ふくやままち)ぞ賑(にぎ)わしき
城の石垣(いしがき)むしのこす
苔(こけ)にむかしの忍(しの)ばれて

さあ、歌ってみよう!

♪たーたみおもての びんごにはー
♪ふくやままちぞー にぎわしきー
♪しーろのいしがき むしのこすー
♪こーけにむかしの しのばれてー

(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ

広島県福山市(ふくやまし)は広島県第二の都市であり、広島県東部の重要な位置を占める街です。
福山駅は限定的ではありますが新幹線「のぞみ号」も一部停車し、東京方面へのアクセス(その逆も)も乗り換え無しで可能です。

福山駅(広島県福山市)

畳表(たたみおもて)というのは、簡単にいうと畳のことです。
厳密にいうと、畳の我々がお尻をついて座る黄色い部分のことです。
つまり、簡単にいえば福山は畳(たたみ)が盛んであるということを意味します。

なお、畳の原料になる草のことを「い草(いぐさ)」といいます。
い草の生産は、熊本県が主に盛んです。
特に国内のい草の9割以上は、熊本県八代市(やつしろし)が生産していると言われています。

備後(びんご)とは、福山およびやや北の府中市あたりのことをいいます。
備中(びっちゅう)とは、倉敷市辺りのことをいいます。
備前(びぜん)とは、岡山市辺りのことをいいます。
これらは、いわゆる「吉備国(きびのくに)」からきています。
恐らく、京都に近い順に前、中、後となっているのでしょう。

なぜ吉備国が3つに分割されたのかというと、奈良時代に吉備国が勢力を持ちすぎたため、それを警戒した当時の日本の中心である大和国(やまとのくに。現代の奈良県)によって分割されたからだそうです。

また、福山市の北側に府中市(ふちゅうし)という自治体があります。
こちらは備後国(びんごのくに)の国府(こくふ)があったことから、府中という名前になったようです。
(くに)とは、現在でいうところの都道府県にあたります。
国府(こくふ)とは、国の行政を司る機関であり、現在でいうと県庁のようなものになります。

なお、東京都にも多摩地域(たまちいき)に府中市(ふちゅうし)という同名の自治体があります。これは法的には問題ないそうです。
東京の府中市もまた、武蔵国(むさしのくに)の国府が置かれていたことから、このような名前となっています。

福山城は、かつて幕末の老中(ろうじゅう)阿部正弘(あべ まさひろ)の出身の場所でもあります。
阿部正弘(あべ まさひろ)は、1853年にペリー提督(ていとく)が黒船で来航した時の老中であり、日本の開国要求を呑(の)み開国を決意しました。
老中(ろうじゅう)とは、簡単に言えば将軍にかわって政治を政権を握るポジションのことをいいます。なぜ将軍に代わって政治をするのかというと、考えられる理由として将軍が幼い・将軍が政治に興味がない(他の趣味に没頭している)・将軍に政治の知識やスキルが不足している・老中や大老の方が優秀である、など、様々な場合があります。
阿部正弘は7代目福山藩主であり、開国をせまられた時に静岡県伊豆半島南端の下田(しもだ)と、北海道の函館(はこだて。当時は「箱館」の表記)の2港を開港することになりました。
もしこれが江戸に近い港を開いたら、軍事的にも大変なことになっていたでしょう。
しかし、老中阿部正弘は、何とか交渉で粘って江戸から遠い下田と函館の開港に成功したのでした。
ただしその後、どのみち1858年の日米修好通商条約によって、江戸に近い横浜を含む5港を開港することになりました。横浜は江戸に近いことから、軍事的に問題視されたようです。
しかしこれが逆に利便性をもたらし、横浜の港は群馬県八王子などで生産された大量の生糸を輸出しやすくなり、明治時代の日本の殖産興業に大きく貢献するとなりました。

なお歌詞の意味にもどりますが、
城の石垣に苔(こけ)がたくさんついていて、それを見た時に長い年月が思い返されてしみじみ思い深いな
などの意味になります。

福山城(福山市)
福山城(福山市)

福山市は1960年代以降の高度経済成長期に多くの工場ができてからは目覚ましい発展を遂げ、人口が増大しました。
この時期はまだ「冷蔵庫」「洗濯機」「自動車」「炊飯器」などの家電製品が現代ほど普及していなく、こうした製品をいかに安く大量に製品できれば飛ぶように売れて大量の利益が上げられるという時代でした。逆にいえば現代の我々はこうした製品は当たり前のように持っているので、作れば売れるという時代では決してなく新しいアイデアが求められている時代であることに気をつけなければなりません。

また、当時の街(自治体)としてはこうした製造業の会社や工場を多く誘致することに加え(雇用が増えて人口が増える)、当時はエネルギー源が石炭から石油に移ってゆくエネルギー革命の時代だったため、石油を生産する石油コンビナートを大量に誘致することが、街の人口が増えて税収もアップするという時代でした(それと同時に、高度経済成長期は「公害」に悩まされた時代でもあります)。

こうして福山市も高度経済成長期に大きく発展して人口も増え、それまで広島県で第2の都市だった尾道市(おのみちし)をも抜いてしまい、広島県第2の都市の地位を確立してきました。

福山市は広島県ではありますが、西の広島市とは大きく離れているため、広島でも岡山でもない中間的な位置づけという雰囲気にも思えます。
また、同じ広島県ではありながら広島市とも文化や雰囲気、土地感など若干異なるような印象も受けます。
福山出身の芸能人といえば、個人的には真っ先にPerfume(パヒューム)が思いつきます。
テレビであーちゃん(西脇綾香さん)の発する、独特のカワイイ広島弁の乱発は、特に印象的でしたね。

福山は大きな街なので、福山駅周辺は飲食店も充実しており、途中下車の休憩にはもってこいです。
この先の旅に疲れた場合は、ぜひ一度福山駅で降りて休憩していきましょう。

次は、福山きっての観光地・鞆の浦の解説をします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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