鉄道唱歌 山陽・九州編 第15番 尾道の港の壮麗な景色 千光寺からの壮大な眺め

まずは原文から!

淨土(じょうど)西國(さいこく)千光寺(せんこうじ)
寺の名たかき尾道(おのみち)の
港を窓の下に見て
汽車の眠りもさめにけり

さらに読みやすく!

浄土(じょうど)西国(さいこく)千光寺(せんこうじ)
寺の名たかき(高き)尾道(おのみち)の
港を窓の下に見て
汽車の眠りもさめにけり

さあ、歌ってみよう!

♪じょうどさいこく せんこうじー
♪てらのなたかきー おのみちのー
♪みなとをまーどの したにみてー
♪きしゃのねむりも さめにけりー

(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ

福山方面から尾道方面へ進むと、電車の窓の左側の景色は、徐々にクレーンや向島(むかいしま)、そして海の綺麗な景色に変わってきます。

歌詞にあるように、「尾道の港を窓の下に見て、それまでの長旅の徒然(つれづれ/とぜん)や眠気も覚めてしまったなぁ」という感覚になるでしょう。

広島県尾道市(おのみちし)は、かつてから港湾の町として栄え、後述するように広島県第2位の街として栄えていた時代もありました。そして、坂道やお寺が多く、海も近いためとても風光明媚な景色が美しい街です。

尾道はかつて、福山の鞆の浦(とものうら)と並んで、海上交通の要所として栄えました。
現在と違って海上の交通輸送が主流だった頃には、尾道の港または船を使った荷物の輸送の方が、都合がよかったわけです。
これはこれまで何度も説明してきましたが、昔は高速トラックや航空機などでの輸送がなかったため、舟にたくさんの荷物を積んだ方が大量の荷物を運べて、都合が良かったのです。
そのため、尾道は海上の交通の要所として繁栄してきたわけです。

また、平清盛(きよもり)が全盛期を握っていた頃、神戸(こうべ)を都(みやこ)にしていたことはこれでも述べてきた通りです。
京都からの反発に遭いながらも、神戸に福原京(ふくはらきょう)という都を一時的に置いていました。
平清盛にとっては神戸が本拠地であり、また日宋貿易(にっそうぼうえき)といって(そう。当時の中国の王朝名)との貿易をたくさんしていたので、瀬戸内海の海運の整備は必須でした。
そのため、尾道の海上交通の拠点としての役割は非常に重要でした。

また、尾道は周りをたくさんの島々に囲まれて おり、簡単に敵の船が入ってこれない地形になっており、防御力にも優れていました。
こうした、自然の恵みを受けた港を、「天然の良港(てんねんのりょうこう)」といいます。
 
しかしながら、明治時代に入って交通の主流が鉄道に置き換わっていくと、海上交通は徐々に衰退を余儀なくされてきました。
そのため、尾道の街も必然的に衰退を余儀なくされることになりました。

さらに追い打ちをかけたのが、1970年代になり山陽新幹線を通す時も、街の美しい景観が新幹線の線路によって壊れることを恐れた尾道市民は、尾道市街地に新幹線を通すことに反対し、街中に新幹線の駅を誘致できませんでした。
そのため、さらに街の衰退を余儀なくされてしまい、高度経済成長期に著しい発展を遂げてきた東隣の福山市にも抜かれてしまいました。もともと、尾道市は広島県で第2の都市だったのです。
一方、西隣の三原市(みはらし)は新幹線の停車駅となったため、代わりに大きく発展することとなりました。
これに焦った尾道では、やはり尾道にも新幹線駅が必要だということで、北の市街地から外れた位置に地元の請願(せいがん)によって新尾道駅(しんおのみちえき)を建てたそうです。

※私(筆者)は尾道を舞台とした漫画「ぱすてる」の大ファンであり、尾道には漫画の聖地巡礼に何度も行っていたので、上記の話はその時に尾道の現地住民の方(お年を召された方)から直接伺ったものです。
なので、ネットの情報とは乖離(かいり)があるかもしれませんが、ご了承ください。

しかし、近年特にここ10年ではインターネットはやYouTube などを通じて、尾道の坂道を中心とした風光明媚な景色が話題となり 、また隣の「うさぎの楽園」と言われる大久野島(おおくのしま)と並んで、外国人観光客をはじめ多くの観光客が訪れるようになりました。
それもあってか、尾道駅周辺は非常にきれいに整備されていて、とても楽しむことができるようになっています。
駅前広場では心地よい海風を気軽に楽しめます。

また尾道は、浄土寺(じょうどじ)や西国寺(さいこくじ)、そして千光寺(せんこうしま)など、とてもお寺が多いことで知られます
なぜ尾道に寺が多いのかについて疑問に思うこともあるかもしれませんが、尾道はかつて交通の拠点にあったことは先ほど述べた通りです。
尾道が港町として発展すると、それだけそこで働く人が増えます。そうなると、港の人口が多くなるので、そうすると布教には適した場所ということになります。
仏教を布教するにあたり、多くの信徒を獲得するには、なるべく人が多い町であった方がいいので、それによって尾道には仏教に人がお寺が増えたものと思われます。
ただ、上はあくまで私の予想です。港が栄えている町はイコールで必ずお寺が多い、ということにはなりません必要十分条件ではないので、ご注意ください。

また、尾道は港町なので、もしかしたら海上交通の安全を願う意味もこめて、お寺が多くなったのかもしれません。

千光寺から眺めた、これぞ尾道の最強の景色。

千光寺(せんこうじ)は、山の上にある非常に眺めがいよ場所です。
尾道の千光寺は806年に、弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)によって開かれました。
恋人の聖地とも呼ばれます。

尾道は、尾道水道(おのみちすいどう)を挟んで、向かい側に向島(むかいしま)という島があります。
ここは船で100円でわずかで行くことができ、観光にはとても便利です。
なお、水道(すいどう)とは、内海(ないかい)と似たように意味を持つ言葉で、ここでいう尾道水道は本州(本土)と向島の間の狭まった海、ということになります。

向島(尾道市)

また、尾道は坂道も多いので、ドラマのロケ地マンガの舞台などに使われてきました。
私が昔ハマっていた「ぱすてる」という漫画も、尾道を舞台とした漫画です。
そして尾道の坂道にはたくさんの猫もおり、またこれにも癒されます。

坂道巡りをするもよし、お寺巡りをするもより、向島へ行くもよし、ドラマや漫画の聖地巡礼をするもよし。尾道は観光地としては非常に秀逸です!!

尾道を出ると、糸崎三原方面へ向かいます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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