まずは原文から!
風に絲(いと)よる柳井津(やないづ)の
港にひゞく産物(さんぶつ)は
甘露醤油(かんろじょうゆ)に柳井縞(やないじま)
からき浮世(うきよ)の鹽(しお)の味
さらに読みやすく!
風に糸よる柳井津(やないづ)の
港にひびく産物(さんぶつ)は
甘露醤油(かんろじょうゆ)に柳井縞(やないじま)
からき浮世(うきよ)の塩の味
さあ、歌ってみよう!
♪かーぜにいとよる やないづのー
♪みなとにひびくー さんぶつはー
♪かんろじょうゆに やないじまー
♪かーらきうきよの しおのあじー
(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ
岩国を西へ進み、柳井へ 水運と甘露醤油で栄えた街
山口県柳井市(やないし)は、かつてより瀬戸内海に面した港町として繁栄してきた歴史を持ちます。
歌詞には「柳井津(やないづ)」とありますが、「津」とは簡単にいうと「港」「港町」などの意味になります。
柳井市はその水運の利便を生かした商業が発展してきたため、街中に江戸時代の商人で栄えた街並みが現在でも残っています。
また、歌詞にあるように「甘露醤油(かんろじょうゆ)」という甘い醤油(しょうゆ)や、「柳井縞(やないじま)」という織物(昔の高級な衣服のこと)が栄えてきた街です。
「岩国藩のお納戸」柳井
柳井市は、江戸時代に多くの商人が住んだことから、「岩国藩のお納戸(おなんど)」という異名を持ちました。
納戸(なんど)とは、建築用語で難しい言葉ではありますが、簡単にいうと「人の住む場所」と思ってもらえればよいでしょう。
つまり柳井市は岩国藩の商人のまちとして発展してきた街という意味になります。
柳井市街地を流れる柳井川は、水運による貨物輸送のために大きく活用されてきました。
昔は街中を荷物を載せたトラックなどが走ることはなかったため、川に舟を通して、舟に荷物を載せて運ぶやり方が効率よかったためです。
そのため、柳井市は川と海の立地条件を最大限に生かし、古くから瀬戸内海の水運の重要拠点として栄えてきました街といえます。
柳井の「白壁の町並み」
柳井市には、「白壁の町並み」という江戸時代の街並みがそのまま残されており、貴重なものとなっています。
こうした街並みは、中国地方であれば広島県福山市の「鞆の浦(とものうら)」、岡山県倉敷市の「倉敷美観地区(くらしきびかんちく)」などがあります。
こうした街並みは、全国的にみてあまり残っていません。その理由は、明治時代以降に都市開発が進んで古い建物から優先的に取り壊されていったことや、戦争で空襲の被害を受けてしまったことなどが考えられます。
しかし、地元の人々の長年の努力や、存続のための努力によって残っているケースもあるのです。
柳井の名物「甘露醤油」
甘露醤油(かんろじょうゆ)は、江戸時代に誕生した柳井市の名産物です。
「かんろ」とは、「甘い」「おいしい」などの意味があるそうです。
江戸時代に、当時の岩国藩の藩主であった吉川(きっかわ)大名に献上したところ、
「甘露、甘露(かんろ、かんろ)」との言葉を賜り、これに由来して甘露醤油(かんろじょうゆ)という名前がついたと言われています。
柳井の名物「柳井縞」
「柳井縞(やないじま)」は、柳井市の伝統的な織物です。
昔は現代のように「ユニクロ」「しまむら」などがなかったので、当時は「織物」「着物」「絣(かすり)」などが一般的でした。
明治時代に産業革命が一般的になるまでは衣服の大量生産も難しかったでしょうから、必然的に職人の手で造ったりするため、また手間も多いことから現代と比較して高価になりがちです。
京都の「西陣織(にしじんおり)」や茨城県の「結城紬(ゆうきつむぎ)」レベルになると、もはや習得には数十年の熟練が必要とも言われています。また、昨今の人手不足により後継者や若い世代にその高度な技術ノウハウが伝わっていかず、伝統的織物も絶滅の危機にあるため、地元の人々に伝統を途絶えさせないための取り組みが行われています。
こうした江戸時代までの伝統的織物も、明治時代になって産業革命が起こり、機械で大量かつ安く製造販売できるようになり、衣服は多くの大衆(決して金持ちではない世の中のほとんどの人々)に行き渡るようになりました。
すると、それまでの伝統的織物は高価で手間がかかるだけのものとなり、次第に世の中からの需要がなくなり姿を消していきます。
柳井縞も、そうして大正時代には姿を消してしまいました。
しかし、当時は無用のものであっても、それから100年以上経った今となっては歴史的に価値のある貴重なものとなります。
柳井縞も、地域住民の方々によってその伝統を途絶えさせないための取り組みがなされています。
「からき浮世の塩のあじ」うまく掛け合わせた、歌詞の味
「からき浮世の塩のあじ」
これは、本当にうまいこと言うなあ・・・って思います(^^;)
「からき」とは、本当に「辛い(からい)」という意味もあれば、また辛い「(つらい)」という意味もあると思います。
「浮世(うきよ)」とはつまり人生のことですが、人生でもどちらかというと「辛い人生」みたいな意味合いが強いです。
別の漢字で「憂き世(うきよ)」とも書くことがあります。
つまり、醤油の塩の味が辛い(からい)と同時に、辛い(つらい)人生、みたいに、うまく言葉を掛け合わせています。
作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんの、作詞センスの素晴らしさが垣間見えますね!
柳井駅を出て、田布施・光・徳山へ
柳井駅を過ぎると、田布施駅(たぶせえき、山口県熊毛郡田布施町)、光駅(ひかりえき、山口県光市)、下松駅(くだまつえき、山口県下松市)などを過ぎてます。
やがて徳山駅(とくやまえき、山口県周南市)に至ります。
しかし次回は徳山駅は一旦飛ばして、さらにその次の防府駅(ほうふえき、山口県防府市)に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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