鉄道唱歌 山陽・九州編 第34番 英彦山を窓のはるか向こうに眺めながら、宇佐に到着

まずは原文から!

白雲(しらくも)かゝる彦山(ひこさん)を
右にながめて猶(なお)ゆけば
汽車(きしゃ)は宇佐(うさ)にて止まりたり
八幡(やはた)の宮(みや)に詣(もう)でこん

さらに読みやすく!

白雲(しらくも)かかる彦山(ひこさん)を
右にながめて猶(なお)ゆけば
汽車(きしゃ)は宇佐(うさ)にて止まりたり
八幡(やはた)の宮(みや)に詣(もう)でこん

さあ、歌ってみよう!

♪しらくもかーかる ひこさんをー
♪みーぎにながめて なおゆけばー
♪きしゃはうさにて とまりたりー
♪やはたのみやにー もうでこんー

(日豊本線)
小倉駅→西小倉駅→城野駅→行橋駅→宇島駅→中津駅→宇佐駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

中津(なかつ)からは既に大分県に入っており、ここから先は大分県の北端の国東半島(くにさきはんとう)の方に向かっていきます。

国東半島(くにさきはんとう)とは、大分県の別府市(べっぷし)の北東にある、丸く大きく突き出た半島のことです。

中津駅を出て日豊本線(にっぽうほんせん)を南へ進んでいくと、窓の右側の遥か向こうには、英彦山(ひこさん)という山がそびえ立ちます。

窓の右側。写真やや左のはるか遠くに、うっすらと英彦山が存在する(手前の山ではないので注意)
拡大写真(不鮮明ですみません!) 中央にうっすら見えるのが英彦山

英彦山(ひこさん)は線路からはあまりにも遠い場所にあるので、晴れてないとなかなか確認することは難しいかもしれません 。

天気が充分によい日には、まるで新潟県の妙高山(みょうこうさん)のような、まるで王様の冠(かんむり)の形のような、非常に神々(こうごう)しい英彦山の姿を眺めることができます。

英彦山(ひこさん)は、もともとは歌詞の通りに「彦山(ひこさん)」さんという表記でした。
つまり、「」の字がついていなかったのです。

しかし、後述するように彦山は古くから「修験道(しゅげんどう)」という、山にこもって修業をする習わしがあり、また、彦山自体も神様が宿る山だと信じられてきました。

彦山は先述の通り、まるで王様の冠のような、神々しい形をした山です。こうした山は、彦山のみに限らず、全国的に「神様が宿る山」と信じられてきました。
これを「山岳信仰(さんがくしんこう)」といいます。

こうした山の神聖性を鑑(かんが)み、江戸時代になってイギリスの頭文字でもある「英」の文字がつけられ、現在の「英彦山(ひこさん)」という表記に変わったようです。

英彦山(ひこさん)は、実は英彦山という単独の山ではなく、複数の山々からなりまとめて「英彦山」と呼ばれます。これを「連峰(れんぽう)」といいます。
これらの連峰のうち、最も高い山が「南岳」という山であり、標高が約1,199mになります。
この最高峰「南岳」の標高イコール、英彦山の標高(1,199m)というわけです。

先ほども軽く述べましたが、もともとここは山の形が神々(こうごう)しいので、まるで神様が宿る山と信じられており、かつて修験道(しゅげんどう)と言って神道(しんとう)と仏教とが神仏習合(しんぶつしゅうごう)した修業が行われてきました。
「山に神様が宿る」という考え方は、いわゆる神道(しんとう)ならではの独特な考え方です。
日本のオリジナル宗教である神道(しんとう)は、八百万神(やおろずのかみ)といって、昔からありとあらゆるものに神様が宿ると信じられてきました。これを「アミニズム」といいます。
山もその例外ではなく、山にも神様が宿ると信じられてきたのです。これは「山岳信仰(さんがくしんこう)」といい、先ほど述べた通りです。
つまり、山にこもった修行が行われてきたわけです。
英彦山(ひこさん) は三大彦山の一つであり、
もう一つは新潟県の弥彦山(やひこやま)です。
弥彦山は標高634mであり、東京スカイツリーと同じ高さとして有名です。
そしてもう一つは、兵庫県姫路市の雪彦山(せっぴこさん)になります。

国東半島(くにさきはんとう)の方に向かって 南へ向かって進んでいくと、列車はやがて宇佐駅(うさえき、大分県宇佐市)に到着します。

宇佐駅(うさえき)の「うさ」という字は、ローマ字で書くと「USA」となるので、宇佐駅の駅名標はまるでアメリカ合衆国の星条旗(せいじょうき)のようなものがあります!

宇佐駅(宇佐市)

私は宇佐駅で降りたら、まるでアメリカに来たような感覚に陥るので、ちょっとアメリカ関連の話題に逸れてしまいました(^^;)
すみません。

大分県宇佐市(うさし)は、やはり宇佐神宮(うさじんぐう)で有名です。
宇佐神宮は三大八幡(さんだいやはた)の一つであり、また奈良時代は和気清麻呂(わけきよまろ)と道鏡(どうきょう)の事件があったことで有名です。

こちらについては次回詳しく解説します。

かつて宇佐駅からは、宇佐神宮に参拝するための鉄道路線がありました。
これは「大分交通」というバス会社によって運営されていた路線であり、豊後高田市を出て宇佐駅を経由し(日豊本線と交差)、宇佐神宮にまで伸びていた鉄道路線です。
しかしながら、全国の他地域と同様に1960年代のモータリゼーション(自動車)の普及や道路の整備などにより「鉄道よりもバスの方が小回りが効いて便利なんじゃね!?」という機運が世間的に高まり、大分交通も自社で宇佐駅~宇佐神宮までのバス路線を運営していたので、自社のバス路線と鉄道を競合させても仕方ないため、参拝のための鉄道路線は廃止となりました。

また、この大分交通による鉄道路線は、国東半島を一周させて繋げる計画もあったようですが、残念ながらこちらも断念されたようです。

先ほども述べましたが、高度経済成長期以降に自動車が一般家庭に普及し、車道や高速道路などが整備されると必然的に鉄道が衰退してくるのは仕方ないことなのです。
自動車は、家と目的地を「ドアツードア」で結べる上に鉄道よりも小回りがききますから、地域によってはやはり自動車がないと不便という事態はある意味避けられないでしょう。
これは貨物輸送にも同じことがいえます。
1960年代以降は高速道路や長距離トラックの発展により、鉄道による貨物は衰退を余儀なくされ、廃線になった路線は枚挙に暇(いとま)がありません。
しかし逆に、近年では「モーダルシフト」といって、環境面に負荷の少ない鉄道のメリットが見直され、鉄道への回帰の動きもなされています。

話がズレて申し訳ありませんが、次回は宇佐神宮の話題になります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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