鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞(箱崎の観光・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
この箱崎を取りそへて
三松原とよばれたる
その名も千代の春のいろ
さらに読みやすく!
この箱崎を 取りそえて
三松原と よばれたる
その名も千代の 春のいろ
さあ、歌ってみよう!
♪このはこざきをー とりそえてー
♪さんまつばーらと よばれたるー
♪そのなもちよのー はるのいろー
まずは歌詞の意味を確認
現代では少し難しい歌詞ですが、一応歌詞の意味を確認しておくと、
三保の松原(みほのまつばら)、
そしてこの箱崎の松原を取り添えて、
これら三つを三大松原と呼ぶのだ。
その名は長い年月に渡って、続く春の色なのだ。」
などのような意味になります。
歌詞「千代」とは?
「千代(ちよ)」とは本来は「長い年月」という意味であり、全国各地でよく見かける地名である「千歳(ちとせ)」も同じような意味になります。
ただし、ここでは箱崎近辺の福岡市の地名である「千代(ちよ)」と掛けているものと思われます。
いわゆる、「掛詞(かけことば)」という言葉遊びの一種であり、日本の伝統的な歌に使われる洒落のようなものです。
箱崎にも、かつて「松原」があった?

箱崎駅(福岡県福岡市東区)
また、歌詞の内容から察するに、筥崎宮(はこざきぐう)の近くおよび箱崎(はこざき)地域には、松原が存在しているということになっています。
しかし現在では、箱崎の周りには、松原などは存在していません。
おそらく、鉄道唱歌のできた明治時代の当時にはこの地域(箱崎周辺)には松原があったのでしょう。
明治時代の「三大松原」
一応この内容が正しいとすれば、明治時代の「三大松原」は、
- 京都府の「天橋立(あまのはしだて)」
- 静岡県の「三保の松原(みほのまつばら)」
- 福岡県の「箱崎の松(はこざきのまつ)」
ということになります。

日本三景・天橋立の松原(京都府宮津市)

三保の松原(静岡県静岡市)
当時と現在では、地理的条件が異る?
しかし、当時と現在とでは、地形も歴史的事情もまた地理的条件も異なっていることもあります。
そのため、現在の三大松原と当時の三大松原は、大きく異なっているものと考えられます。
現代の「三大松原」
なお、現代における「三大松原」は、
- 佐賀県唐津市(からつし)の、「虹の松原」
- 福井県敦賀市(つるがし)の、「気比の松原(けひのまつばら)」
- 静岡県静岡市の、「三保の松原(みほのまつばら)」になります。

虹の松原(佐賀県唐津市)
三保の松原は、新旧「三大松原」どちらにも入っている!
なお、鉄道唱歌 東海道編の「三保の松原」のところでも書きましたが、三保の松原はなんと、新旧「三大松原」のどちらにも入ってます。
三保の松原って、今も昔も凄いんですね!
三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県駿河区にある巨大な松原で、遠くに富士山を眺めることができます。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。

日本三景・天橋立
天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市(みやつし)、つまり京都府の日本海側(北側)にある「日本三景」の一つです。
海に広がる巨大で美しい松原、そして大きく弧を描く砂州(さす)が有名です。○詳しくは、以下の記事をご覧ください。

唐津市・虹の松原
虹の松原(にじのまつばら)は、佐賀県唐津市(からつし)にある佐賀県の北側にある松原です。
佐賀県唐津市は古代より大陸との貿易や攻防の拠点となってきた他、主に海産物が特に有名です。

虹の松原(佐賀県唐津市)
福井・敦賀 気比の松原
気比の松原(けひのまつばら)は、福井県敦賀市(つるがし)にある巨大な松原のことです。
福井県敦賀市には、気比神宮(けひじんぐう)という官幣大社(かんぺいたいしゃ)の神社があります。
気比神宮は、神功皇后(じんぐうこうごう)および応神天皇(おうじんてんのう)という戦いの神様を祀るための神社です。
神功皇后は、第14代天皇である仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后であり、また第15代天皇である応神天皇(おうじんてんのう)のお母様にあたります。
箱崎に近い香椎宮(かしいぐう)も、仲哀天皇や神功皇后を祀る神社です。
福井県敦賀市は、かつてヨーロッパ方面とを結ぶ欧亜(おうあ)国際列車などがありました。まだ現代のように国際線などの航空機が一般的でなかった時代です。
敦賀市については、以下の記事でも解説しておりますのでご覧ください。

日本各地に「松原」が作られた理由
景観を作る・保つ目的
では、なぜこのような松原が作られたかと言うと、一つは景観を保つことで、観光客の誘致が図れます。
たくさん砂浜に美しい松原があると、観光名所として地域の活性化が図れます。
津波・塩害などを防止するため
そしてもう一つは、海からの津波を防止することです。
昔は現代のような高性能な防波堤が造れなかったので、昔の人々の手によってこうした松がたくさん植えられていったわけです。
また、海風に含まれる「塩分」から田畑・農業地を守るため、松林が植えられたりもしてきました。
こうした「松原の役割」についての詳細は、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

次は、博多駅へ
箱崎駅を過ぎると、列車はまもなく博多駅に到着します!
コメント