鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
おもひまつればいかならん
御前の池に鯉を呼ぶ
をとめよ子等よ旅人よ
さらに読みやすく!
おもいまつれば いかならん
御前の池に 鯉を呼ぶ
おとめよ子等よ 旅人よ
さあ、歌ってみよう!
♪おもいまつればー いかならんー
♪おまえのいーけに こいをよぶー
♪おとめよこーらよ たびびとよー
まだまだ続く、大宰府シリーズ編
まだまだ続く大宰府シリーズ編です。
前回までの復習で、
- 平安時代、菅原道真公があらぬ罪を着せられて、ここ大宰府に左遷され、
- 亡くなるまでの二年間、ここで惨めな生活を送られていた
ことは、これまでも説明した通りです。
太宰府にたたずみながら、当時のことを想う
まずは歌詞の意味を確認
歌詞の意味について確認しておきましょう。
「當時」とは、シンプルに「当時」という意味です。
「當」は、「当」の古い漢字となります。
「御心」とは、ここでは菅原道真公の、当時の心情のことをいいます。
「御前の池」とは、ここでは太宰府天満宮の境内にある、大きくて綺麗な池のことをいいます。
また、最後の行については、
- おとめ(乙女):池の周りで鯉にエサをあげたり、自撮りなどを楽しむ若い女性たち
- 子等:池の周りで鯉にエサをあげたり、あそんだりする子供たち
- 「旅人」:作者の大和田建樹さんのように、旅や観光で太宰府天満宮を訪れた人たち
のことをいいます。
境内の池の周りで、コイにエサをあげて楽しむ人達
これは、
- 太宰府天満宮の境内には、大きな池があり、
- 自分が当時の菅原道真公のことを哀れに思いながら、感慨にふけっているときに、
- 池の周りを見渡せば、「合格祈願」に訪れた若い女の子たちがスマホで自撮りしていたり、
- また鯉を呼んで、エサを与えている子供達がいたり、
- みんなで楽しそうに、会話している観光客たちがいる
といった情景ですね。
ここでは、
- そうした作者の大和田建樹さんの心情
- 私(筆者)が太宰府天満宮に訪れたときの、リアルな心情
を、この歌詞では歌っています。
池の周りで楽しむ人たちをよそに、自身は当時のことを思う
大宰府天満宮は、受験生の皆さんにとっては学問の神様であり、「合格祈願」に訪れる人は多いでしょう。
例えば若い学生さんたちであれば、友達や周り、親などから
などのように言われ、
- なんとな~くのテンションで太宰府天満宮にやってきて(※)、
- 境内に大きな池があるのを見て、
- それに感動して「インスタ映え」するような写真をキャッキャいいながら、自撮りする・・・
みたいな雰囲気にも、そりゃなるでしょう。
※注意:もちろんそれがいけないわけでなく、世の中の大半の人々は太宰府天満宮に観光や合格祈願のために来ているため、それは仕方ないでしょう。
菅原道真公の当時のみじめな暮らしを想うと、なんとも哀れである
しかし、
- 私(筆者)のような無駄に意識の高い歴史マニアや、
- 鉄道唱歌の作者の大和田建樹さんのように、特に菅原道真公について深く勉強されていて、思い入れの深い方
にとってはどうしても、
・池の前で自撮りに熱中している若い女の子たち
・鯉にエサをあげている子供達
・そして楽しそうに会話している、他の観光客の皆さんたち
は、当時の菅原道真公のことをどう思ってるのだろうか・・・」
みたいな気持ちになってしまいます。
「御前の池」とは?今と昔では、「お前」の意味が違う
なお、ここでいう「御前」とは、菅原道真公の祀られている社殿の前、ということになります。
ちなみに現代では侮蔑的な意味合いの強い
- 「お前」
- 「貴様」
と言う二人称は、元々は天皇陛下や高貴な方々などに対して使う言葉でした。
「御前」の「御」という字は、尊い人に対して使う言葉です。
また、「貴様」の「貴」についても、貴い人に対して使う言葉ですよね。
ところが、いつしか「オマエ」「キサマ」などというと、相手を正当な理由なく見下して呼ぶ二人称のような意味に、時代とともに変化してしまいました。
会社などでも、上司が正当な理由なく(法令に則らずに)「お前辞めろ」などと感情的に言うと、パワハラになる可能性がありますよね。
「お前」という言葉は侮蔑的で、辞書から消すべき?
なお、福岡出身のマコなり社長は、
こんな相手を見下したニュアンスのある二人称はない。」
と主張されています。
あなたは、どう思うでしょうか。
ちなみにマコなり社長とは、YouTubeチャンネルの登録者数が100万人を超える、福岡出身のインフルエンサーです。
詳しくは以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

次回もまだまだ続く、大宰府シリーズ編
さらにまだまだ、大宰府シリーズ編は続きます!
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