鉄道唱歌 山陽・九州編 第48番 今や鐘の音を聴くのみ 菅原道真公の漢詩 

鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!

↓まずは原文から!

かねきくと菅公かんこう
つくられて觀音寺かんのんじ
ほとけるや千代ちよまでも
つきぬうらみのがたりは

さらに読みやすく!

かねきくと 菅公かんこう
つくられて 観音寺かんのんじ
ほとけるや 千代ちよまでも
つきぬうらみの がたりは

さあ、歌ってみよう!

♪かねのねきーくと かんこうのー
♪しにつくられてー かんのんじー
♪ほとけもしーるや ちよまでもー
♪つーきぬうらみの よがたりはー

今回でようやく、長かった大宰府シリーズ編も終わり

今回で、長かった大宰府シリーズ編最後となります。

太宰府に鳴り響く、観世音寺の鐘の音

観世音寺かんぜおんじは、太宰府天満宮や、大宰府政庁近くに存在するお寺のことです。

観世音かんぜおんとは、仏様が世の中の音を聞くということです。
これはつまり、愛のある仏様が人々の苦しみや悲しみなどを聞いて守ってあげる(救ってあげる)という意味になります。

菅原道真公が詩に詠んだ「鐘の音」

そして観世音寺は、菅原道真公がんだ歌にも出てきます。

ここで、

ただ金の音を聞く

というフレーズが出てきます。

これは「不出門(門を出でず)」という、菅原道真公が詠んだ漢詩に登場するフレーズです。

漢文「門を出でず」

中学生の国語の授業のとき「漢文」って習いましたよね。
あの「レ点」とか「反語」とかあるやつです。

不出門」を、「縦書き」と「レ点」で





と書いて、「門を出でず」となります。
「不」は「ず」と読みます。
レ点は、一つ前の文字に戻る記号です。

現代語に訳すと、単純に

  • 「(私は)門を出ない

となります。

なぜ彼は「門を出なかった」のか?

ではなぜ菅原道真公が「門を出ない」という意志でいたのか。
それは、彼が左遷中の身であり、不必要な行動は慎んでおこう、という彼なりのポリシーがあったのではと考えられます。

門からは出ないため、

「(近くにある)都府楼については、瓦(かわら)の色を眺めるばかりである。」
「(近くにある)観世音寺については、ただ鐘の音を聞くばかりである。」

という具合にうたっているわけです。

あくまでストイックさを貫いた、菅原道真公

門からは決して出ることなく、ただ都府楼の瓦の色を眺め、観世音寺の鐘の音を聴くにすぎない。

彼なりの「こだわり」と「自らを律する」精神があってこそのことでしょうか

やはり、偉大な成功者には「こだわり」が強く、「ストイック」な性格の特徴があることは、今も昔も変わらないようです。

菅原道真公亡き後に起こった、様々な事件

菅原道真公が大宰府で亡くなった後、京都では様々な事件が起こり、菅原道真公の「たた」だとして恐れられました。
彼にあらぬ罪を着せて左遷に追い込んだ藤原時平ぶじわらのときひらも、その後にほどなくして亡くなっています。

そして、菅原道真公の恨みは

  • 清涼殿落雷事件せいりょうでんらくらいじけん

となって、宮中を襲います。
清涼殿とは、天皇陛下が公務を行う場所のことをいいます。

歌詞「仏様もきっとわかってくれるだろう」

そして歌詞の3、4行目ですが、

仏様もきっとわかってくれることだろうよ、この先のずっと未来までも。
尽きることのない、恨みの(菅原道真公の)お話しについては。

とあります。

現代では「学問の神様」として祀られる、菅原道真公

菅原道真公は、後に無罪と潔白が証明されることとなりました。

やがて、彼は「学問の神様」として信仰されるようになり、現代に至ります

次回からは、鳥栖方面へ

さて、長かった大宰府シリーズ編も、これにて終了となります。

次は、鳥栖駅とすえきに向かってゆきます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

コメント