鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
詩に作られて觀音寺
佛も知るや千代までも
つきぬ恨みの世がたりは
さらに読みやすく!
詩に作られて 観音寺
仏も知るや 千代までも
つきぬ恨みの 世がたりは
さあ、歌ってみよう!
♪しにつくられてー かんのんじー
♪ほとけもしーるや ちよまでもー
♪つーきぬうらみの よがたりはー
今回でようやく、長かった大宰府シリーズ編も終わり
今回で、長かった大宰府シリーズ編も最後となります。
太宰府に鳴り響く、観世音寺の鐘の音
観世音寺は、太宰府天満宮や、大宰府政庁近くに存在するお寺のことです。
観世音とは、仏様が世の中の音を聞くということです。
これはつまり、愛のある仏様が人々の苦しみや悲しみなどを聞いて守ってあげる(救ってあげる)という意味になります。
菅原道真公が詩に詠んだ「鐘の音」
そして観世音寺は、菅原道真公が詠んだ歌にも出てきます。
ここで、
というフレーズが出てきます。
これは「不出門(門を出でず)」という、菅原道真公が詠んだ漢詩に登場するフレーズです。
漢文「門を出でず」
中学生の国語の授業のとき「漢文」って習いましたよね。
あの「レ点」とか「反語」とかあるやつです。
「不出門」を、「縦書き」と「レ点」で
レ
出
レ
門
と書いて、「門を出でず」となります。
「不」は「ず」と読みます。
レ点は、一つ前の文字に戻る記号です。
現代語に訳すと、単純に
- 「(私は)門を出ない」
となります。
なぜ彼は「門を出なかった」のか?
ではなぜ菅原道真公が「門を出ない」という意志でいたのか。
それは、彼が左遷中の身であり、不必要な行動は慎んでおこう、という彼なりのポリシーがあったのではと考えられます。
門からは出ないため、
という具合に詠っているわけです。
あくまでストイックさを貫いた、菅原道真公
門からは決して出ることなく、ただ都府楼の瓦の色を眺め、観世音寺の鐘の音を聴くにすぎない。
彼なりの「こだわり」と「自らを律する」精神があってこそのことでしょうか。
やはり、偉大な成功者には「こだわり」が強く、「ストイック」な性格の特徴があることは、今も昔も変わらないようです。
菅原道真公亡き後に起こった、様々な事件
菅原道真公が大宰府で亡くなった後、京都では様々な事件が起こり、菅原道真公の「祟り」だとして恐れられました。
彼にあらぬ罪を着せて左遷に追い込んだ藤原時平も、その後にほどなくして亡くなっています。
そして、菅原道真公の恨みは
- 清涼殿落雷事件
となって、宮中を襲います。
清涼殿とは、天皇陛下が公務を行う場所のことをいいます。
歌詞「仏様もきっとわかってくれるだろう」
そして歌詞の3、4行目ですが、
尽きることのない、恨みの(菅原道真公の)お話しについては。」
とあります。
現代では「学問の神様」として祀られる、菅原道真公
菅原道真公は、後に無罪と潔白が証明されることとなりました。
やがて、彼は「学問の神様」として信仰されるようになり、現代に至ります。
次回からは、鳥栖方面へ
さて、長かった大宰府シリーズ編も、これにて終了となります。
次は、鳥栖駅に向かってゆきます!
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