鉄道唱歌 山陽・九州編 第49番 大宰府を後にして、鳥栖・久留米・熊本方面へ

まずは原文から!

宰府(さいふ)わかれて鳥栖(とす)の驛(えき)
長崎(ながさき)ゆきのわかれ道
久留米(くるめ)は有馬(ありま)の舊城下(きゅうじょうか)
水天宮(すいてんぐう)もほどちかし

さらに読みやすく!

宰府(さいふ)わかれて鳥栖(とす)の駅(えき)
長崎(ながさき)ゆきのわかれ道
久留米(くるめ)は有馬(ありま)の旧城下(きゅうじょうか)
水天宮(すいてんぐう)もほどちかし

さあ、歌ってみよう!

♪さーいふわかれて とすのえきー
♪ながさきゆきのー わかれみちー
♪くるめはありまの きゅうじょうか
♪すいてんぐうもー ほどちかしー

(鹿児島本線)
小倉駅→折尾駅→箱崎駅→博多駅→都府楼南駅→二日市駅→鳥栖駅→久留米駅→木葉駅→田原坂駅→熊本駅→川尻駅→宇土駅→松橋駅→八代駅

長かった大宰府シリーズ編も終わり、鹿児島本線を南下して、原田駅(はるだえき、福岡県筑紫野市原田)を過ぎて、鳥栖(とす)方面へ進んでいきます。

歌詞では大宰府を「宰府(さいふ)」となっています。

鳥栖駅(佐賀県鳥栖市)

鳥栖駅(とすえき、佐賀県鳥栖市)は、歌詞にあるように長崎本線(ながさきほんせん)との分かれ道です。
鳥栖駅で、一旦佐賀県に入ります。
というのも、佐賀県鳥栖市(とすし)は佐賀県の大きく右に(東に)突き出た領域にあるからです。
なので、鳥栖駅を南下すると、すぐまた福岡県に戻ります
そして、福岡県大牟田市(おおむたし)まで南下すると、その次は県境を越えて熊本県に入ります。

鉄道唱歌では、現時点では長崎方面へは寄らずに、一旦熊本県の八代(やつしろ)方面までずっと南下していきます。
ただし、鉄道唱歌の当時(西暦1900年)は八代(やつしろ)から南、つまり薩摩川内(さつませんだい)・鹿児島方面への路線はまだ開業していなかったので、再び鳥栖駅に戻ってから長崎方面へ向かうことになります。

鳥栖駅を過ぎて鹿児島本線をさらに南下すると、先程も述べたように列車は県境となる大きな川を渡り、再び福岡県に入ります。
この佐賀県と福岡県の県境をなす大きな川を、筑後川(ちくごがわ)といいます。

筑後川(ちくごがわ)は、末は有明海(ありあけかい)に流れ出る大きな川です。
筑後川は、古くから「日本三大暴れ川」の一つと呼ばれ、治水(ちすい)など洪水を防ぐための取り組みがなされてきました。

なお、「日本三大暴れ川」とは、以下の3つを言います。

利根川(とねがわ)→坂東太郎(ばんだうたろう)
筑後川(ちくごがわ)→筑紫次郎(つくしじろう)
吉野川(よしのがわ)→四国三郎(しこくさぶろう)

筑後川を渡ると、やがて久留米駅(くるめえき、福岡県久留米市)に到着します。

久留米駅(福岡県久留米市)

水天宮(すいてんぐう)は、久留米市にある安産祈願にご利益のある神社です。
水天宮は東京都にもあり、安産祈願にご利益があります。
なお、他にも「安産祈願」にご利益がある寺社について、鉄道唱歌に関係あるところを以下に列挙します。

山神社(やまのかみしゃ)宮城県
 →小牛田駅(こごたえき)の近く
帯解寺(おびとけでら)奈良県
虎渓山永保寺(こけいざんえいほうじ)岐阜県多治見市

など。

なお、妊娠5ヶ月の「戌の日(いぬのひ)」には、安産祈願に訪れて、腹帯(はらおび)を巻くという風習が一般的に行われてます。
なぜ「戌の日」なのかというと、犬は繁殖に優れており安産のシンボルとされているからです。
また、「戌(いぬ)」とはいわゆる十二支(じゅうにし)の1つであり、「子(ね)丑(うし)寅(とら)・・・」と続くアレです。中学校あたりで習いましたよね。
「年」に十二支があるように、「日」にも十二支があるので、妊娠5ヶ月の「戌の日」に安産祈願を行うわけです。

また、日本神話きっての美女である「コノハナサクヤヒメ」も、「安産」にご利益(りやく)のある神様として知られます。
ニニギノミコトという神様の子を一晩で身ごもる高い妊娠能力、炎の中で出産するなどの高い出産能力などのエピソードが語られていることから、「子宝祈願」「安産祈願」の信仰対象となります

久留米駅を南下すると、羽犬塚駅(はいぬづかえき、福岡県筑後市)、筑後船小屋駅(ちくごふなごやえき、福岡県筑後市)、瀬高駅(せたかえき、福岡県みやま市瀬高町)などを過ぎて、やがて大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)に着きます。

福岡県大牟田市(おおむたし)は、鹿児島本線における福岡県での最南端の街であり、ここで熊本県と県境を接します。
大牟田市と熊本県荒尾市(あらおし)は、県境を接してしていて、しかも市街地続きなので、なかなか珍しい光景です。

熊本県荒尾市(あらおし)は、三井三池炭鉱(みついみいけたんこう)という大きな炭鉱があり、かつて炭鉱で大きく繁栄してきた世界遺産に登録された町であります。

かつて明治時代は、何を動かすにしても、軍事的にも、石炭が特に重要なものでした。
現代では石油や電気などが特に重要ですが、当時は石炭だったのです。
石炭は当時としては非常によく燃え、とても効率よくエネルギーが生み出せるため、どんな産業でも重宝され、「黒いダイヤモンド」とも呼ばれました。
しかし、1960年代の「エネルギー革命」で、主なエネルギー源が石炭から石油に移行していくと、石炭は売れなくなるため、世の中の炭鉱は姿を次々に姿を消していくことになります。

また、炭鉱で作業をする行為は、非常に危険なことでもあります。
例えば、鉱山を掘り進めて天井が落ちてくる「落ばん」があります。
また、地下を掘ると地下水が急に溢れてくるので、溺死の危険性もあります。
さらに、洞窟の奥深くまで酸素が届かない、酸素欠乏症などの様々な事態も懸念されます。
このようや事故が三池炭鉱でも次々と問題化して世間に知れ渡るようになり、三池炭鉱も衰退していきました。
なにもこれは三池炭鉱に限らず、北海道の夕張炭鉱(ゆうばりたんこう)など、名だたる炭鉱にも同じ事が言えるのです。

そして時代とともに、こうした労働災害や事故というまのは改善される傾向にあります。
現在の我々は、非常に安全な環境の中で仕事ができているとも言うことできます。
確かに今の時代、「給料が低い」など不平不満はあると思いますが、昔の労働環境と比べたら現代の我々は遥かに恵まれた環境で働いているという事実もあるのです。

また長洲駅(ながすえき、熊本県玉名郡長洲町)は、海にほど近い駅であり、遥か海の向こう(有明海の向こう)側には雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)もよく見えます。
とても眺めのいい景色です。

雲仙岳(鹿児島本線の車窓より)

そして玉名駅(たまなえき)を過ぎて、田原坂(たばるざか) にほど近い木葉駅(このはえき)に到着します。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました