鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞(熊本の地理・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
町に着きたり我が汽車は
九州一の大都會
人口五萬四千あり
さらに読みやすく!
町に着きたり 我が汽車は
九州一の 大都会
人口五万四千あり
さあ、歌ってみよう!
♪まーちにつきたり わがきしゃは
♪きゅうしゅういちの だいとかい
♪じんこうごまんー しせんありー
小倉駅→折尾駅→箱崎駅→博多駅→都府楼南駅→二日市駅→鳥栖駅→久留米駅→木葉駅→田原坂駅→熊本駅→川尻駅→宇土駅→松橋駅→八代駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
熊本駅へ到着
田原坂(たばるざか)を過ぎてさらに鹿児島本線を南下すると、熊本市の平野部へ入ってゆきます。
そして、窓の景色は徐々に、都会的な様相を呈してきます。
熊本県の県庁所在地にして、最大の都市である熊本市の中心駅・熊本駅(くまもとえき、熊本県熊本市)に到着です。

熊本駅(熊本県熊本市)。駅舎は熊本城の「武者返し」の壁をイメージしている
熊本駅の「武者返し」デザイン
熊本駅は、駅舎がまるで熊本城の「武者返し」のようなデザインになっています。
「武者返し」とは、
という、熊本城の巨大な石がき(石の壁)です。

熊本城の「武者返し(写真中央~右下半分にある巨大な石の壁)」。
西南戦争で鉄壁の守りを果たした、熊本城の「武者返し」
「武者返し」は、1877年の西南戦争のとき、西郷隆盛の率いる薩摩軍の兵士をことごとくはじき返していったのでした。
そのため、薩摩軍の兵士は一人たりとも熊本城に侵入できませんでした。
熊本城はこの「武者返し」という巨大な壁により薩摩軍をことごとく突き返したため、「難攻不落の城」と呼ばれます。
九州新幹線「みずほ号」も止まる駅
また、熊本駅は2012年の九州新幹線の開業により、鹿児島中央駅と並んで、最速達の新幹線「みずほ号」が全停車する駅となっています。
これにより、博多・広島・新大阪への(からの)アクセスが容易になりました。
歌詞「九州一の大都会」熊本
明治時代の当時は、本当に「九州一」だった
熊本はかつて、歌詞にあるように「九州一の大都会」と呼ばれていました。
これには様々な理由があるのですが、かつて熊本(福岡や長崎と並んで)外国に最も近かったことにも由来しています。
当時は、現代のように飛行機などは無く、船がメインでした。
そのため、九州は外国に最も近い場所(の1つ)でした。
なぜ外国に近い場所が栄えるのかについては、後述します。
歌詞によると、当時の熊本は人口5万4千人いたようです。
現代でも人口約74万人ですから、全国的にみても熊本市はかなりの大都会です。
かつて「鎮西鎮台」が置かれた熊本
また、熊本にはかつて鎮西鎮台(ちんぜいちんだい)という機関が置かれておいました。
ここで、熊本だけでなく九州全体の
- 守りの要
- 税金など、お金の管理の中心地
- 軍事における拠点
などが置かれていたのでした。
「鎮西」とは?
ここで、鎮西(ちんぜい)とは、ここでは西日本・九州のことだと考えてもらえればOKです。
鎮西とは、おおむね以下の通りの意味です。
- 「九州」の大昔の呼び方。
- かつて奈良時代、大宰府のことを、「鎮西府」とも呼んだことから。
「鎮台」とは?
「鎮台(ちんだい)」という言葉は難しいのですが、ここでは
- 「九州の政治の中心地」
- 「九州の軍事の中心地」
などのように覚えておいてもらえれば大丈夫です。
つまり明治時代くらいまでの熊本は、九州における「首都」だったとも言うことができます。
またその「九州一」だった頃の名残から、現代でも熊本市には、政治・行政やお金、経済の中心となる機関が存在しています。
福岡・博多に、「九州一」の座をゆずっている現状
しかし、現在は福岡・博多に、その「九州一」の座をゆずっています。
その要因は色々あると思いますが、やはり福岡・博多が、東海道・山陽新幹線「のぞみ号」などに乗って東京から乗り換え無しで来られる場所である、ことが挙げられるでしょう。(約5時間かかるとはいえ)
また、福岡・博多が関門海峡を通じて本州(山口県以東)からの利便性も高かった、ということが言えるかもしれません。
さらに福岡空港も福岡市の中心部に近く、東京からのアクセスも抜群に良いのです。
福岡の強み
- 東京から「のぞみ号」1本で来られる
- 関門海峡をはさんで、本州とも近く、利便性が高い
- 福岡空港が博多に近い立地であるため、便利が良すぎる
利便性の高い福岡
福岡市はこうした利便性のため、九州の行政の中心となる機関が次々に(熊本から)福岡に移ってしまったことも要因として挙げられるでしょう。
そこで働く人々も増え、そうした働く人々にサービスを提供する商業施設も増えますからね。
旧帝大・九州大学の誘致にも失敗
また、熊本は九州帝国大学、つまり現在の九州大学の誘致にも失敗してしまい、これも痛手だったともされています。
(九州大学は、福岡県にありますよね。)
全力で「地域おこし」に励む熊本
現在の熊本は、残念ながら「九州一の大都会」の座を福岡に奪われていることもあり、それが少なからずコンプレックスでもあるようです。
日本の長年の歴史において熊本は九州の中心だったこともあり、熊本の人々にとってそのプライドや自負は大きいことでしょう。
熊本ではそのため、熊本城や「くまモン」などに始まる観光資源をふんだんに生かした、観光客の誘致を積極的に行っています。
九州新幹線で熊本へのアクセスが容易になったことも、観光への大きなチャンスとなったことでしょう。
外国からの玄関口・九州西海岸
また、先程も述べましたが、福岡・長崎・熊本といった町は外国に近い場所であったので、外国に向けた様々な施策がなされていました。
福岡・大宰府の場合
福岡には「大宰府」といって、
- 外国のお偉い方々(国賓)を招いて、もてなしたりする
- 外国からの攻めに対して、防御する
といった設備も備えられていました。
外国に対する防衛の例として、
- 「白村江の戦い(はくすんこうのたたかい)」
- 「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」
などの戦いが挙げられます。
大宰府については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

長崎の場合
長崎も、地理的には九州の西端にある地域になります。
また長崎の佐世保(させぼ)は、入り組んだ地形で防御にも優れていたため、長崎は防御力の高い防御の拠点としても機能してきました。
佐世保については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

熊本・三角港の場合
熊本も、「三角港(みすみこう)」という長崎のような入り組んだ防御力の高い港を備えていたため、こちらも外国からの入り口として発展しました。
外国からの入り口として機能する港町は、とくに明治時代に入って多くの外国人が移り住むようになります。
そのため、まるで異国のような西洋風の建物やキリスト教の教会、さらに外国人をセキュリティ的に監視したりする奉行所(ぶぎょうしょ)などが置かれたりします。
熊本も、三角港(みすみこう)の西港(にしこう)付近に、明治時代の西洋風の建築物が現在でも残されています。
三角港については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

森高千里さんが育った街・熊本
熊本はご当地キャラの「くまモン」が人気である他、歌手の森高千里(もりたか ちさと)さんの育った街でもあります(ただし、出身は大阪府)。
森高千里さんが1990年に発表した大ヒット曲「この街」は、熊本のことが歌われています。
2016年・熊本地震の被害
また、2016年には熊本地震に襲われ、熊本市のやや東にある益城町(ましきまち)が甚大な被害を受けたほか、難攻不落の熊本城ですらダメージを負ってしまい、復興までに約7年の年月を要しました。
2023年現在には、天守閣は復活しています。
次回は、熊本城の話題
熊本駅の一つ前の上熊本駅(かみくまもとえき)の近くには、青春18きっぷユーザーの強い味方である「快活CLUB 上熊本店」があります。
また、上熊本駅からは熊本市電を使えば、熊本城や市外中心部へのアクセスも容易です。
次回は、熊本城についてさらに深掘りしていきます!
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