鉄道唱歌 山陽・九州編 第51番 眠る暇も無く、とうとう熊本へ到着 九州きっての大都会

まずは原文から!

眠る間(ま)もなく熊本(くまもと)の
町に着(つ)きたり我が汽車(きしゃ)は
九州一(きうしゅういち)の大都會(だいとかい)
人口(じんこう)五萬四千(ごまんしせん)あり

さらに読みやすく!

眠る間(ま)もなく熊本(くまもと)の
町に着(つ)きたり我が汽車(きしゃ)は
九州一(きうしゅういち)の大都会(だいとかい)
人口(じんこう)五万四千(ごまんしせん)あり

さあ、歌ってみよう!

♪ねーむるまもなく くまもとのー
♪まーちにつきたり わがきしゃは
♪きゅうしゅういちの だいとかい
♪じんこうごまんー しせんありー

(鹿児島本線)
小倉駅→折尾駅→箱崎駅→博多駅→都府楼南駅→二日市駅→鳥栖駅→久留米駅→木葉駅→田原坂駅→熊本駅→川尻駅→宇土駅→松橋駅→八代駅

田原坂(たばるざか)を過ぎてさらに鹿児島本線を南下すると熊本市の平野部へ入ってゆき、窓の景色は徐々に都会的な様相を呈してきます。

熊本県の県庁所在地にして、最大の都市である熊本市の中心駅・熊本駅(くまもとえき、熊本県熊本市)に到着です。

熊本駅(熊本県熊本市)。駅舎は熊本城の「武者返し」の壁をイメージしている

熊本駅は、駅舎がまるで熊本城の「武者返し」のようなデザインになっています。

武者返し」とは、地上では緩やかな壁なので登っていけそうだけれども(そのように錯覚してしまう)、上にいくにつれて急になるので登れないという、熊本城の巨大な石がき(石の壁)です。

熊本城の「武者返し(写真中央~右下半分にある巨大な石の壁)」。

「武者返し」は、1877年の西南戦争のとき、西郷隆盛の率いる薩摩軍の兵士をことごとくはじき返し、薩摩軍の兵士は一人たりとも熊本城に侵入できませんでした。

熊本城はこの「武者返し」という巨大な壁により薩摩軍をことごとく突き返したため、「難攻不落の城」と呼ばれます。

また、熊本駅は2012年の九州新幹線の開業により、鹿児島中央駅と並んで速達の新幹線が停車する駅となり、博多・広島・新大阪への(からの)アクセスが容易になりました。

熊本はかつて、歌詞にあるように「九州一の大都会」と呼ばれていました。
これは様々な理由があるのですが、熊本はかつて(福岡や長崎と並んで)外国に最も近かったことにも由来しています。
当時は現代のように飛行機などはなく船がメインだったため、九州は外国に最も近い場所(の1つ)でした。
歌詞によると当時の熊本は人口5万4千人おり、現代でも人口約74万人ですから、全国的にみても熊本市はかなりの大都会です。

また、熊本にはかつて鎮西鎮台(ちんぜいちんだい)という機関が置かれており、ここで熊本だけでなく九州全体の守りの要・税金などお金の管理の中心地・軍事の拠点などが置かれていました。
鎮台(ちんだい)」という言葉は難しいのですが、ここでは「九州の政治の中心地」「九州の軍事の中心地」などのように覚えておいてもらえれば大丈夫です。
つまり明治時代くらいまでの熊本は、九州における「首都」だったとも言うことができます。
またその「九州一」だった頃の名残から、現代でも熊本市には政治・行政やお金、経済の中心となる機関が存在します。

しかし、現在は福岡・博多に、その「九州一」の座をゆずっています。
その要因は色々あると思いますが、やはり福岡・博多が東海道・山陽新幹線「のぞみ号」などに乗って東京から乗り換え無しで来られることが挙げられるでしょう。(約5時間かかるとはいえ)
また、福岡・博多が関門海峡を通じて本州(山口県以東)からの利便性も高かったことが言えるかもしれません。さらに福岡空港も福岡市の中心部に近く、東京からのアクセスも抜群に良いのです。
福岡市はこうした利便性のため、九州の行政の中心となる機関が次々に(熊本ではなく)福岡に移ってしまったことも要因として挙げられるでしょう。そこで働く人々も増え、そうした働く人々にサービスを提供する商業施設も増えますからね。

また、熊本は九州帝国大学、つまり現在の九州大学の誘致にも失敗してしまい、これも痛手だったともされています。
(九州大学は福岡県にありますよね。)

現在の熊本は残念ながら「九州一の大都会」の座を福岡に奪われていることもあり、それが少なからずコンプレックスでもあるようです。
日本の長年の歴史において熊本は九州の中心だったこともあり、熊本の人々にとってそのプライドや自負は大きいことでしょう。

熊本ではそのため、熊本城や「くまモン」などに始まる観光資源をふんだんに生かした観光客の誘致を積極的に行っています。九州新幹線で熊本へのアクセスが容易になったことも大きなチャンスでしょう。

また、先程も述べましたが、福岡・長崎・熊本といった町は外国に近い場所であったので、外国に向けた様々な施策がなされていました。
福岡には「大宰府」といって、外国のお偉い方々(国賓)を招いてもてなしたり、また外国からの攻めに対して防御する設備も備えられていました。
それは「白村江の戦い(はくすんこうのたたかい)」「蒙古襲来(もうこしゅうらい)」などが挙げられます。
長崎も地理的に九州の西端にあるので、また入り組んだ地形で防御にも優れていたので、長崎は防御力の高い外国からの玄関口としても機能しました。
熊本も、「三角港(みすみこう)」という長崎のような入り組んだ防御力の高い港を備えていたため、こちらも外国からの入り口として発展しました。

外国からの入り口として機能する港町は、とくに明治時代に入って多くの外国人が移り住むようになるので、まるで異国のような西洋風の建物キリスト教の教会、さらに外国人をセキュリティ的に監視したりする奉行所(ぶぎょうしょ)などが置かれたりします。

熊本も、三角港(みすみこう)の西港(にしこう)付近に、明治時代の西洋風の建築物が現在でも残されています。

熊本はご当地キャラの「くまモン」が人気である他、歌手の森高千里(もりたか ちさと)さんの育った街でもあります(出身は大阪府)。
森高千里さんが1990年に発表した大ヒット曲「この街」は、熊本のことが歌われています。
私は熊本出身YouTuberの「橋本からあげ」さんが好きです。

また、2016年には熊本地震に襲われ、熊本市のやや東にある益城町(ましきまち)が甚大な被害を受けたほか、難攻不落の熊本城ですらダメージを負ってしまい、復興までに約7年の年月を要しました。2023年現在には、天守閣は復活しています。

熊本駅の一つ前の上熊本駅(かみくまもとえき)の近くには、青春18きっぷユーザーの強い味方である「快活CLUB 上熊本店」があります。
また、上熊本駅からは熊本市電を使えば、熊本城や市外中心部へのアクセスも容易です。

次回は、熊本城についてさらに深掘りしていきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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