鉄道唱歌 山陽・九州編 第63番 諫早を出て、長崎へ 喜々津・大草・長与・道ノ尾と進む

まずは原文から!

故郷のたより喜々津(ききつ)とて
おちつく人の大草(おおくさ)や
春日(はるび)長與(ながよ)のたのしみも
道の尾(みちのお)にこそつきにけれ

さらに読みやすく!

故郷のたより喜々津(ききつ)とて
おちつく人の大草(おおくさ)や
春日(はるび)長与(ながよ)のたのしみも
道の尾(みちのお)にこそつきにけれ

さあ、歌ってみよう!

♪こきょうのたより ききつとてー
♪おちつくひとのー おおくさやー
♪はーるびながよの たのしみもー
♪みちのおにこそー つきにけれー

(大村線)
早岐駅→ハウステンボス駅→南風崎駅→川棚駅→彼杵駅→松原駅→大村駅→諫早駅

(長崎本線)
諫早駅→喜々津駅→大草駅→長与駅→道ノ尾駅→浦上駅→長崎駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ記載
※長崎本線は、長与経由のものを記載

諫早駅からは、長崎方面へ

諫早駅(いさはやえき、長崎県諌早市)を出ると、さらに西へ長崎方面へ進みます。
このとき、喜々津駅(ききつえき)、大草駅(おおぐさえき)、長与駅(ながよえき)、道ノ尾駅(みちのおえき)、そして浦上駅(うらかみえき)という風に過ぎて行きます。

長与駅(長崎県西彼杵郡長与町)
道ノ尾駅(長崎県西彼杵郡長与町)

今回の歌詞は、ほぼ全体が掛詞となっている

まずこの歌詞は、ほぼ全体がいわゆる「掛詞(かけことば)」で構成されています
掛詞とは、日本の歌における言葉遊びの1つで、洒落のようなものです。

なお、すぐ次の歌詞でも、

千代に八千代の末かけて 栄ゆく御代は長い
と「長崎」をかけています。

他にも、周辺の歌詞でも

旅の心や勇む(いさむ)」と「諫早(いさはや)」を掛けているかは微妙ですが、かなり関連付けられています。

めぐる車輪の早さ(はやさ)」と「早岐(はいき/はやき)」を掛けていたりします。

このように、鉄道唱歌 山陽・九州編のラストは掛詞の連続です
作者である大和田建樹(おおわだ たけき)さんの、遊び心満載な歌詞と、鉄道旅からくる旅のウキウキ・ワクワク感が感じられますね!!

海沿いのルート「長与経由」

長崎本線・長与経由・海の景色(長崎県)

この辺りは海沿いのルートであり、現在では長与経由(ながよけいゆ)という風に言われています。鉄道唱歌の明治時代から元々存在したルートであり、海がきれいですが勾配がきついため、高速での列車運転には向かないルートになります。

そのため、現在ではこの長与経由のほかに、後に南側で長くまっすぐなトンネルが造られたために、現在ではこちらの「新線」のルートの方がまっすぐで早いため、そちらの方がメインルートとなっています

全国的にこうした「新線」が造られる理由は、特急列車が通る区間(新幹線が通っていない区間)である場合に、速達・時間短縮のためにトンネルの長い真っ直ぐなショートカット路線が必要となったから、という事情で造られるものと思われます。

あくまで例ですが、広島県の山陽本線の場合も、明治時代は(コスト削減のために)トンネルを掘っていくのではなく、川や谷を縫うような形でカーブの多い路線となっています。しかし(新線が造られずに)明治時代のルートのままで存在するのは、これは恐らく山陽新幹線が1970年代に開通し、長距離輸送は(特急列車ではなく)新幹線がその役割を担ったため、新線が造られずに現代に至ったものだと思われます。
仮にですが、もし山陽新幹線が造られなくて(山陽本線を)特急列車がずっと走っていたとしたら、少しでもカーブや勾配を減らして(真っ直ぐなルートにすることで)所要時間を短縮するためも、長大トンネルが掘られて「新線」ができていたことでしょう。

長与経由のルートは列車本数が比較的少ないのですが、海側の景色がとてもきれいなので、時間に余裕がある場合は長与経由のルートもオススメです!

列車は浦上駅(うらかみえき)で新線と合流すると、長崎駅はあと少しです!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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