鉄道唱歌 北陸編 第29番 長野に到着!一生に一度は訪れたい「善光寺参り」の街

まずは原文から!

長野(ながの)に見ゆる大寺(おおてら)は 
是(こ)れぞしなのゝ善光寺(ぜんこうじ) 
むかし本田(ほんだ)の善光(よしみつ)が
ひろひし佛(ほとけ)なりとかや

さらに読みやすく!

長野(ながの)に見ゆる大寺(おおてら)は 
是(こ)れぞしなの(信濃)の善光寺(ぜんこうじ) 
むかし本田(ほんだ)の善光(よしみつ)が
ひろい(拾い)し仏(ほとけ)なりとかや

さあ、歌ってみよう!

♪ながのにみーゆる おおてらはー
♪こーれぞしなのの ぜんこうじー
♪むーかしほんだの よしみつがー
♪ひろいしほとけー なりとかやー

(しなの鉄道線)
軽井沢駅→信濃追分駅→御代田駅→小諸駅→大屋駅→上田駅→坂城駅→千曲駅→屋代駅→篠ノ井駅

(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

長野県の県庁所在地・長野市の中心駅 長野駅に到着!

犀川(さいかわ)を渡ってから川中島(かわなかじま)を過ぎると、窓の景色は徐々に県庁所在地に相応しい都の様相を呈してきます。
長野県の県庁所在地である長野市(ながのし)の中心駅・長野駅(ながのえき)に到着です。

長野駅(長野県長野市)

長野県長野市(ながのし)は長野県の県庁所在地であり、また全国の県庁所在地の中で最も標高が高い位置(標高371.3メートル)にあります。

長野駅前の街並み(長野県長野市)

長野県歌「信濃の国」が発車メロディーとして流れる、長野駅新幹線ホーム

長野駅の新幹線ホームでは長野県歌「信濃の国」が発車メロディーとして使われています。
信濃の国」は、明治時代に文部省によって作られた唱歌でもあり、長野県のあちこちの地名がふんだんに使われているため、勉強になります。
また、「信濃の国」は鉄道唱歌と内容が被っていることもあり、覚えやすく勉強しやすいです。
「信濃の国」が作詞されたのは鉄道唱歌と同じ1900年です。また歌詞も似ている箇所が多く、共通点も多いため、勉強しやすく覚えやすいです。

信濃の国」は、長野県民であればほとんどの人が知っていると言われたぐらい、それだけ地元の方々にとっては馴染みの深い曲です。

善光寺の門前町として栄えてきた、長野市

長野駅(長野県長野市)

長野県長野市は、歌詞にあるように善光寺(ぜんこうじ)の門前町(もんぜんまち)としても有名です。

門前町(もんぜんまち)とは、お寺に参拝に向かう人たちをもてなすことを目的で発展した町のことです。
例えば茶店(さてん)やお食事店、または宿場を提供することによって栄えてきた町のことをいいます。

長野の善光寺は昔(というか非常に大昔)、本田善光(よしみつ) という人物によって拾われた仏像から始まりまったとされています。
これは歌詞にあるとおりですね。
ただし、これは飛鳥時代くらいのとても古い昔の話なので、あくまで伝説であり真偽のほどは定かではありません。というより、タイムマシンでも発明されない限り、それだけの昔のことは確かめようがないのです。
それだけ、長野の善光寺の仏像は古いのです。

善光寺の仏像は、元々は物部氏(もののべし)という飛鳥時代の大和国(やまとのくに)を支配していた一族によって捨てられた仏像であり、それを本田善光(ほんだよしみつ)が難波(なにわ)の堀江(ほりえ)という場所で拾い上げたという伝説です。

歌詞でも「なりとかや(~だそうだな)」とあり、まるでうわさで聞いた程度のような言い回しになっています。
つまり断定的ではないので、「なるほど、昔そんな話があったんだな~」と思うくらいで問題ないでしょう。

善光寺の仏像は上述の通りとても古く、「日本最古」とも言われています。
ちなみに聖徳太子でおなじみの「法隆寺」は「日本最古の木造建築のお寺」ですので、混同しないようにしましょう。

善光寺の仏像は絶対秘仏(ぜったいひぶつ)とされ、誰もその中身を見ることはできません。
これは「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」が天皇陛下ですら見ることはできないのと似ています。

「一生に一度は善光寺参り」として人々の憧れだった、善光寺参り

また「一生に一度は善光寺参り」と言われており、「善光寺街道(ぜんこうじかいどう)」という江戸時代の街道が敷かれていました。

善光寺街道(ぜんこうじかいどう)とは、いわゆる「北国街道(ほっこくかいどう)」のことであり、軽井沢の追分(おいわけ)から中山道(なかせんどう)と分岐してゆきます。

北国街道(ほっかくかいどう)とは、江戸時代に旅人たちが徒歩で何日間も宿泊するために整備された道です。
軽井沢の追分(おいわけ)からスタートし、長野(善光寺)を通って越後国(えちごのくに。現在の新潟県)に至ります。
鉄道でいうと、現在のJR信越本線、しなの鉄道、北しなの線などのルートに準拠しています。
また、北国街道はかつて佐渡金山(さどきんざわ)からの金を運んだ道であり、また参勤交代にも使われたことでも知られます。

一生に一度は善光寺参り」というくらいですから、旅人たちは江戸を出発して中山道を通り、碓氷峠(うすいとうげ)の険しい山道を通り、また軽井沢の追分(おいわけ)からは北国街道(善光寺街道)を通り、長野に至っていたことでしょう。
そして長野には北国街道の宿場町である善光寺宿(ぜんこうじしゅく)がありましたから、宿場でははるばると参拝にやってきた旅人たちが宿泊し、男女入り乱れて「飲めや歌えや踊れや」と大いに盛り上がったことでしょう。
善光寺は女人禁制でありながら女性の救済も行っていたという珍しい仏教だったので、女性の参拝客も多かったそうです。
(仏教では、修行僧が(女性の体を見て)性欲をかき立てられることのないよう、修業のときは女人禁制を行っているケースもあったのです)

「信濃の国」でも歌われる、善光寺平

また、長野市がある内陸部の平野のことを
善光寺平(ぜんこうじだいら)」ともいいます。

これは長野県歌「信濃の国」でも歌われています。

その他、松本市がある内陸部の平野のことを
松本平(まつもとだいら)」といいます。

また、飯田市(いいだし)や伊那市(いなし)などがある、JR飯田線が通る伊那(いな)地域の平野のことを
伊那平(いなだいら)」または「伊那谷(いなだに)」といいます。

さらに、佐久市(さくし)や小諸市(こもろし)がある内陸部の平野のことを
佐久平(さくだいら)」といいます。
こちらは、新幹線佐久平駅(さくだいらえき、長野県佐久市)の駅名にも採用されています。

長野県歌「信濃の国」では上記
「松本平」「伊那平」「佐久平」「善光寺平」の4つの平(たいら、平野)のことを「肥沃(ひよく)の地」と表現しています。
肥沃(ひよく)」とは、土壌に栄養がたくさんあって作物がとれやすく、農業が盛んであるという様子を示しています。

さらに、県歌「信濃の国」では
海こそなけれ物(もの)さわに (よろ)ず足らわぬ事ぞなき
(長野県は海こそ無いが、物はたくさんある。何も物に困ることはない)

としています。

つまり、長野県は海こそ存在しない内陸県ではあるけども、善光寺平を含む4つの平野は土壌がとても肥沃(ひよく)であり、作物も豊富に採れて何も困ることはない(不便なことはない)、ということです。

長野駅(長野県長野市)。善光寺のデザインを模した駅舎となっている

夏も涼しく避暑地・移住先としても人気の、信州・長野県

信州(しんしゅう)・長野県は、標高の高い場所に位置する高原地域のため、夏はすずしくリゾート地として人気です。
また、近年は移住先としても人気があります。

次は、戸隠山(とがくしやま)についての解説をします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました