鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
佐渡・順徳天皇の歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
順徳院の御陵あり
松ふく風は身にしみて
袂しぼらぬ人もなし
さらに読みやすく!
順徳院の 御陵あり
松ふく風は 身にしみて
袂しぼらぬ 人もなし
さあ、歌ってみよう!
♪じゅんとくいんの ごりょうあり
♪まつふくかーぜは みにしみてー
♪たーもとしぼらぬ ひともなしー
新潟港→両津港
※新潟港から佐渡島(両津港)へは、船での移動
現代語訳のまとめ
まずは、現代語訳から確認してゆきましょう。
- 海の向こうに見える佐渡島には、真野の深い山の中に、
- かつて流罪となった、順徳上皇(順徳院)のお墓(御陵)がある。
- その寂しいお墓のまわりを、松の木を揺らして吹き抜けていく寒々とした風は、まるで当時の上皇の悲しみを伝えるかのように、私たちの心に深く(身に)染みる。
- したがって、そのあまりにも切ない歴史の物語に心を打たれて、涙で衣服の袖(袂)を濡らし、それをきゅっと絞るほどに激しく泣かない人は、ここには誰もいないのである。
順徳院とは、鎌倉時代の第84代天皇である、順徳天皇のことです。
本編で詳しく解説します。
御陵とは、天皇や皇后など、最高に身分の高い方々のお墓のことです。
詳しくは本編で解説します。
今回も、佐渡観光の話題
かつて順徳天皇が流されてきた、佐渡島

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)
佐渡島はかつて、承久の乱で敗れた、順徳天皇が流されてきた場所でもあります。
鎌倉幕府から、政権を取り戻そうと戦った「承久の乱」
承久の乱とは、鎌倉時代の1221年に起こった、朝廷が鎌倉幕府から政権を奪い返そうとして起こった戦いのことです。
初めての武家政権だった、鎌倉幕府
源頼朝が1192年(現代では1185年と教えられているようです)に開いた鎌倉幕府は、初めての武家政権でありました。
詳しくは、こちらの記事(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。
これは逆に言えば、天皇をはじめとする公家や朝廷から政権を奪ったことにもなります。
後鳥羽上皇による挙兵
これを不服とする朝廷の後鳥羽上皇は、鎌倉に対して兵を挙げて攻撃します。
この時の鎌倉の執権が、あのドラマ「鎌倉殿の13人」でお馴染みの北条義時です。
執権とは、将軍に代わって政治を行う代役のようなものです。
しかし、鎌倉時代は徐々に将軍よりも「執権」の方が権力が大きくなってゆき、またその職は北条氏によって独占されてゆきました。
鎌倉幕府の団結力 上皇の軍を破り、承久の乱に勝利
この時の鎌倉の武士たちは、朝廷という天皇が率いる軍を敵にすることに、かなりを恐れて慌てふためいていました。
それに対して、源頼朝の妻であった北条政子がうまくまとめます。
北条政子のリーダーシップと説得力のある言葉によって鎌倉軍は一致団結し、迫り来る後鳥羽上皇の軍に対して見事勝利します。
ここに鎌倉幕府は、承久の乱に勝利しました。
北条政子については、以下の各記事でも解説していますので、ご覧ください。
【前編】

【後編】

承久の乱に勝利した鎌倉幕府の武士たちは、西国つまり西日本に元々あった天皇や公家の土地をどんどん獲得して、一時的にお金持ちなったのでした。
後鳥羽上皇は隠岐島に、順徳天皇は佐渡島に、それぞれ配流へ
しかし、敗れた後鳥羽上皇は残念ながら島根県の隠岐の島に流されてしまいました。
後鳥羽上皇の息子の順徳天皇も、佐渡に流されてしまいました。
順徳天皇の「黒木御所」

AIによる、佐渡に配流された順徳天皇の「黒木御所」のイメージです。 都の華やかな生活から一転、日本海を望む厳しい自然の中で、天皇が再起を願いながら過ごした日々の静寂と孤独、そして気高さを表現しています。
順徳天皇は、佐渡において、現在の佐渡市泉(※)にあたる場所に「黒木御所」を構え、約22年間をそこで過ごしました。
※黒木御所の位置は、前回解説した、佐渡島西部にあたる佐和田地域の、やや北あたりの地域です。
黒木御所は、佐渡島に配流された順徳天皇が、亡くなるまでの22年間を過ごした場所として知られています。
御所とは、天皇がお住まいになる場所のことを言います。
黒木(ほとんど何も施されていない木材のことだそうです)で作られた御所であることから、この名前が付けられたのでした。
それは木材としての体を成していないようなテキトーな木材で建てられた、なんとも粗末な御所であったと言われています。
それは、京都の御所での暮らしとは比べ物にならないほど、惨めな生活だったことでしょう。
また、順徳天皇は和歌を愛好していたため、普段は和歌を詠むなどして過ごしていたといいます。

かつて順徳天皇が配流された佐渡の地。 その当時の、厳しくも美しい自然と、人々の集落の様子をAIで再現してみました。 実際の黒木御所そのものというわけではありませんが、鎌倉時代の佐渡に漂っていたであろう静寂と、当時の里山の雰囲気を想像する一助となれば幸いです。
順徳天皇を祀るための「真野神社」
そして順徳天皇は、結局京都に戻ることはできず、佐渡にて46歳でその生涯を閉じたと言われています。
このようにして、佐渡の真野地域には、順徳天皇を祀るための真野神社が存在します。
歌詞の意味についても確認(佐渡)
御陵とは、つまり天皇の墓のことです。
歌詞の意味としては、今や
などという、ちょっと切ない意味になります。
そして「袂をしぼる」とは、「涙を流す」という意味になります。
すなわち、これは昔の日本において、
という様子を表す、定番の文学表現です。
「涙を流ない人もいない」、つまり、
などのような意味になるでしょう。

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の海より(新潟県佐渡市)
佐渡の観光を終えたら、直江津または新潟へ
佐渡の観光を終えたら、直江津まで戻ります。
直江津へと戻る道順については、
- 鉄道唱歌の旅のように、佐渡島の南端にある小木港までゆく
- オーソドックスに両津港までバスで戻り、新潟港まで戻ってから、鉄道などで直江津に向かう
などの方法があります。

筆者、小木港から直江津へ戻る(という設定のAIイメージ)。実際にはスケジュールの関係で小木港からは戻れず、両津港から新潟港へ戻ったため、このAIイメージでご了承ください(^_^;

筆者、小木港から直江津へ戻る(という設定のAIイメージ)。
次回は、直江津・伏木(富山)へ
おわりに:いかがだったでしょうか。
これまでの賑やかな街の景色や、美しい大自然の観光から一転して、歴史の切ない一幕にじっくりと寄り添うという、ものすごく情緒深い歌ですね!
松風の音だけが寂しく響くという深い山の中で、はるか昔の歴史に思いを馳せて涙を流す当時の旅人の姿に、何とも言えないような気持ちがこみ上げてきますね。
直江津に戻る詳細は、次回扱います!
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