鉄道唱歌 関西編 第5番 「桜井の別れ」 楠木正成父子の、涙ながらの別れ そして四条畷の戦い

鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
桜井の別れについて、やさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

心の花も櫻井さくらい
父の遺訓いくんを身にしめて
引きは返さぬ武士もののふ
戰死せんしのあとは土地とち

さらに読みやすく!

心の花も 桜井さくらい
父の遺訓いくんを 身にしめて
引きは返さぬ 武士もののふ
戦死せんしのあとは この土地とち

さあ、歌ってみよう!

♪こころのはーなも さくらいのー
♪ちちのいくんをー みにしめてー
♪ひーきはかえさぬ もののふのー
♪せんしのあとはー このとちよー
(JR東西線)
大阪城北詰駅(網島町)→京橋駅

(片町線(学研都市線))
京橋駅→放出駅→徳庵駅→住道駅→四條畷駅→星田駅→津田駅→祝園駅→木津駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※網島駅、旧桜ノ宮駅は1913年に廃止
※現在の駅で最も近いものに置き換えてあります

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

「桜井の別れ」四条畷で敗れた、楠木父子の伝説

前回より、「四條畷の戦い」について解説しています。

「四条畷の戦い」とは

四條畷しじょうなわての戦い」は、簡単に復習しておくと、楠木正成まさしげの息子・正行まさつらが、室町幕府側の軍と戦って、無念にも戦死した戦いです。

「桜井の別れ」とは

桜井の別れ」とは、かつて楠木正成くすのきまさしげと息子の楠木正行まさつらが、涙ながらに別れた歴史的出来事のことをいいます。

「桜井」とは? 京都線・島本駅が最寄駅

桜井」とは、現在のJR京都線の島本駅しまもとえき近辺の地名です。
大阪府のほぼ北東端に位置し、京都府とのほぼ県境にあります。

島本駅前・桜井駅跡(大阪府三島郡島本町桜井)

島本駅前・桜井駅跡(大阪府三島郡島本町桜井)

「桜井の別れ」の像(写真左側)。左側が父・正成、右側が息子・正行。島本駅前、史跡桜井駅跡にて。(大阪府三島郡島本町桜井)

「桜井の別れ」の像(写真左側)。左側が父・正成、右側が息子・正行。島本駅前、史跡桜井駅跡にて。(大阪府三島郡島本町桜井)

なぜ涙ながらに、親子は別れたのか?

なぜ涙ながらに別れたのかというと、前回も解説したように、父親の楠木正成は、(1度撃退して九州から京都に迫り来る足利尊氏の軍に

もう、勝ち目はない・・・

と判断して、神戸の港川みなとがわに、死にに行く覚悟で息子と別れたからです。

JR京都駅から、普通列車で島本駅へ

島本駅の前には、「桜井の別れ」の舞台となった公園があり、この父子ふしの像があります。

この公園に行きたい場合は、新快速列車だと京都駅~高槻駅の間がノンストップで島本駅で降りられないため、普通列車で向かいましょう。

鎌倉末期 後醍醐天皇とともに戦った楠木正成

時代は、鎌倉幕府の滅亡にさかのぼります。

「建武の新政」の失敗

鎌倉幕府は、楠木正成などの悪党あくとうや、隠岐おきしまを脱出した後醍醐天皇らの手によって滅ぼされました。1333年のことです。

しかし、後醍醐天皇によって始まった

  • 建武の新政

は、公家くげや貴族ばかりを優遇し、武士を冷遇する政治だったため、武士達は不満を持ちます。

その筆頭格が、足利尊氏でした。

足利尊氏の反抗

足利尊氏は後醍醐天皇らに反抗しますが、楠木正成らの手によって、一旦は九州へ撃退されます。

しかし、九州で力を蓄えた足利尊氏は、再び物凄い勢いで京都を攻め落とさんとしていました。

桜井にて涙ながらに別れた、楠木父子

この勢いに、楠木正成は

もはや、これまでか

と悟り、桜井の地で息子に別れを告げます。

桜井の地で別れ、神戸・湊川へ向かう父・楠木正成

息子の正行まさつらはは、自分を残して一人で神戸の港川に向かおうとする父親に対して、

自分も一緒に行かせてください
私も父上と一緒に死なせてください

嘆願たんがんしたのですが、断られます。

父の正成は、息子に対して、

いや、お前はここに残れ。私が死んだ後は、必ず足利尊氏の時代になるだろう。
そうなったら、お前は残された母親の面倒をみるのだぞ

と言い残し、涙ながらに息子と別れました。
そして、一人で神戸湊川みなとごわへ、決死の覚悟で向かいました。

そして、湊川で足利尊氏の軍に敗れた楠木正成は、

たとえ七回生まれ変わっても、この国を守り抜いてみせる。」

と言い残し、その最期を遂げました。

楠木正成および湊川神社については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第64番 楠木正成公と湊川 たとえ七回生まれ変わっても、国を守りたい
鉄道唱歌 東海道編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

父亡き後、四条畷で戦った息子・正行

四条畷での敗北

残された息子の正行は、四条畷の飯盛山いいもりやまで足利尊氏の仲間の高師直こうのもろなおと戦って、無念の最期を遂げました。

これが四條畷の戦い」であります

足利尊氏の天下・室町時代のはじまり

そして時代は足利尊氏の天下となり、室町時代がスタートするのでした。

次は、交野市へ

大阪府四條畷市しじょうなわてしを探訪された際には、このような歴史の跡もしのびながら探訪されるとよいでしょう。

次は、交野市かたのし方面へ向かってゆきます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

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