鉄道唱歌 関西編 第16番 鈴鹿の関と、関宿 古代の三つの関所、その跡はどこに

まずは原文から!

愛知(あらち)逢坂(おうさか)鈴鹿(すずか)とて
三(み)つの關所(せきしょ)と呼ばれたる
むかしの跡は知らぬども
關(せき)の地藏(じぞう)は寺ふるし

さらに読みやすく!

愛知(あらち)逢坂(おうさか)鈴鹿(すずか)とて
三(み)つの関所(せきしょ)と呼ばれたる
むかしの跡は知らぬども
関(せき)の地蔵(じぞう)は寺ふるし

さあ、歌ってみよう!

♪あーらちおうさか すずかとてー
♪みつのせきしょと よばれたるー
♪むかしのあーとは しらねどもー
♪せきのじぞうはー てらふるしー
(関西本線/大和路線)
木津駅→加茂駅

(関西本線)
加茂駅→笠置駅→(木津川橋りょう)→大河原駅→月ヶ瀬口→伊賀上野駅→佐那具駅→柘植駅→(鈴鹿峠のトンネル)→関駅→亀山駅→四日市駅→桑名駅→長島駅(→至・名古屋駅)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

古代の関所「愛発関」「逢坂関」「鈴鹿関」

列車は、既に三重県亀山市(かめやまし)の関駅(せきえき)に達しています。

関駅(三重県亀山市)

古代三大関所 その跡はいったいどこに?

歌詞では、三つの関所(せきしょ)が歌われています。

  • 愛発(あらち)の関:滋賀県と福井県の県境
  • 逢坂(おうさか)の関:滋賀県と京都府の県境
  • 鈴鹿(すずか)の関:滋賀県と三重県の県境

これら三つの関所は、古代の奈良時代・律令時代の、とても古い昔の関所ということになります
古すぎて今やどこに関所の跡があったのかわからないくらいになっています。

もう一つの関所「不破の関」

あともう一つ、不破(ふわ)の関といって、岐阜県と滋賀県の県境にあたる、関ヶ原(せきがはら)の由来となった関所もありました。

関ヶ原(せきがはら)は、言うまでもなくあの1600年の「関ヶ原の戦い」で有名であり、天下の分け目とも言われています。

つまり滋賀県(近江国)には、東西南北四つの関所が、古代には設置されていたともいえます

「関所」とは、何のためにあった?

関所(せきしょ)とは、不審者や反乱を起こしそうな者を取り締まるための機関です。

関所で有名なものに、江戸時代の

  • 箱根の関所
  • 静岡県の浜名湖(はまなこ)近くの、新居関所(あらいせきょ)

などがありました。

箱根関所については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

「入り鉄砲に出女」関所の役割

こうした場所では、「入り鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」といって、

  • 自分の領地(特に江戸)に入ってくる鉄砲(入り鉄砲)を、厳しく取り締まる
  • 参勤交代で、江戸に人質に取られている大名の妻が逃げていかないよう(出女)、厳しく取り締まる

といったことが行われていたのでした。

また、関所は「通して欲しくば金を払え」などのように、通行料を取ることで、それが関所の貴重な収入源だったりもしました。

これを「関銭(せきせん)」といいます。

琵琶湖や京都を守るために存在していた(と思われる)、数々の関所

愛発(あらち)の関なんて、もはやどこにあったのかすらわからない伝説レベルで、その跡地あとちについてはもう真実のほどはわからないと思います。

一応、愛発関あらちのせきは琵琶湖の北、現代の滋賀県と福井県の県境あたりにあったとされています。
北陸本線に疋田(ひきだ)という地名が出てきたと思いますが、この地域に若干「愛発(あらち)」という地名が残っています。

逢坂(おうさか)の関は、現代の滋賀県と京都府の間の、逢坂山(おうさかやま)の位置にあったとされています。

つまり、ほとんど滋賀県(近江国)を取りまく位置に関所はあったことになります。

近江国(おうみのくに)には琵琶湖という海上(湖上)の交通の要衝(ようしょう)がありますから、琵琶湖のガードは何としても固めておく必要があったのでしょう。

比較的新しい関所であれば、その跡が残っている?

一方、江戸時代にあった東海道五十三次の

  • 新居関所(あらいせきしょ)
  • 箱根関所(はこねせきしょ)

などといった、比較的新しい関所であれば昔の跡は残っています。
現代でも当時のものが現存し、観光名所として観光可能です。

関宿の地蔵院

もはや昔の関所の跡はわからない・・・けれども関宿の地蔵尊は、今も残り続ける

このように、古代の関所はもはや正確な場所を特定するのが困難なので、歌詞でも

昔の跡は知らねども(昔の跡はわからないけれども)」

と歌われているのでしょう。

関の地蔵」とは、関宿にある、地蔵菩薩地蔵院)のことをいいます。

昔の街道や宿場町では、その旅の途中で、沿線の神社やお寺を参拝していくことは、旅人たちの間ではもはやマナー・恒例行事・旅の楽しみ、などのように言ってもいいくらい重要なものでした。

その他の「地蔵院」の例 北陸道・木之本地蔵院

最後に、他の地域の地蔵院を、鉄道唱歌に関係する範囲で紹介します

江戸時代までの街道・北陸道(※)のうち、琵琶湖の東側にある木之本宿(きのもとしゅく)では、大きな地蔵菩薩のある「木之本地蔵院」があります。

※北陸道(ほくりくどう):滋賀県米原市を出発して、北へ敦賀・福井・金沢・富山・新潟へと至る街道)

木之本(きのもと)の地蔵院については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

関宿地蔵院も、恐らく東海道を行き交う旅人たちにとっては、関宿を訪れた際には是非とも訪れてゆきたい場所だったのでしょう。

東海道・関宿から眺めた鈴鹿の山(三重県亀山市)

次は、亀山・四日市方面へ

次は、亀山駅を一旦名古屋方面へ寄り道し、四日市(よっかいち)へ向かいます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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