鉄道唱歌 関西編 第15番 鈴鹿の山のトンネルを過ぎ、伊勢国へ やがて関宿に至る

まずは原文から!

鈴鹿(すずか)の山のトン子ル(トンネル)を
くぐれば早(はや)も伊勢(いせ)の國(くに)
筆捨山(ふですてやま)の風景(ふうけい)を
見よや關(せき)より汽車(きしゃ)おりて

さらに読みやすく!

鈴鹿(すずか)の山のトンネルを
くぐれば早(はや)も伊勢(いせ)の国
筆捨山(ふですてやま)の風景(ふうけい)を
見よや関(せき)より汽車(きしゃ)おりて

さあ、歌ってみよう!

♪すずかのやーまの トンネルをー
♪すぐればはやもー いせのくにー
♪ふですてやーまの ふうけいをー
♪みーよやせきより きしゃおりて

(関西本線/大和路線)
木津駅→加茂駅

(関西本線)
加茂駅→笠置駅→(木津川橋りょう)→大河原駅→月ヶ瀬口→伊賀上野駅→佐那具駅→柘植駅→(鈴鹿峠のトンネル)→関駅→亀山駅→四日市駅→桑名駅→長島駅(→至・名古屋駅)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

柘植駅を東へ進むと、険しい鈴鹿山脈のトンネルへ 古くから交通の障壁となってきた難所

柘植駅(つげえき、三重県伊賀市柘植町)を東に関西本線を進めると、鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)の険しい山岳地帯に突入していきます。

険しい鈴鹿の山のトンネル(金場トンネル、加太駅~関駅間)に入る(関西本線)

鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)は、三重県と滋賀県の県境をなす険しい山岳地帯です。
かつての江戸時代の東海道(江戸から京都まで、人々が約20日かけて徒歩または馬で移動していた道)も、この険しい鈴鹿峠を越えており、難所の一つでした。

また、明治時代に鉄道を通す時も、東海道線が通る時、鈴鹿山脈は険しすぎて、鈴鹿山脈を貫くことができなかったため、現在のような関ヶ原(せきがはら)の中山道なかせんどう寄りのルートになりました。

鉄道の神様・スーツさんは、この鈴鹿峠のことを、こうした(明治時代の)鉄道の開通を妨げるほどの困難かつ険しい山、という意味で「罪深き山」と形容しています。

伊賀方面から、鈴鹿の山々をのぞむ(関西本線)

しかし明治時代の東海道線全通(1889年)から時間が経つにつれて(1896年)、鈴鹿峠を貫く鉄道ルートが、当時の「関西鉄道」という、民間のお金持ちの人達が独自にお金を出し合って出来た鉄道会社により、現代のJR関西本線となる線路が出来てゆきました。

歌詞では「鈴鹿の山のトンネルを」とありますが、実際にはそこまでトンネルは多くなく(1896年当時ではそこまで長大なトンネルは数多くは掘れなかった)、どちらかというと鈴鹿峠の険しい山々は極力避け、山と山の合間を縫うように巧みに線路を敷き詰めている印象があります(鈴鹿山脈と、布引山地の間を通る)。

なぜ関西本線が作られた?それはかつての東海道のルート・宿場町にあり!?

ではなぜ関西本線がこのような、鈴鹿峠を経由する、江戸時代までの「東海道」に沿ったルートを造ったのか。

1つは、東海道線のルートから外れたかつての宿場町(後述する「関宿」など)を衰退のリスクから救うため。

もう1つには、関ヶ原経由となった東海道線の(名古屋~大阪間を移動する)お客様のシェアを奪うためです。

実際、当時の東海道線を管轄していた「官設鉄道(つまり、国が主体で運営する鉄道)」と、「関西鉄道」との間で、激しいシェア争いが繰り広げられたといいます。

近鉄線との競合により、苦戦を強いられている関西本線

しかし現代は、さらに後の時代(1930年代)に出来た近鉄線の1本勝ちとなっています。
近鉄線は非常に長くて真っ直ぐなトンネルを掘り、しかも線路は概ね真っ直ぐでスピードが出しやすく、しかも電化されているためスピードが出ます。
さらに複線のため、列車の行き違いの待ち合わせの時間ロスもありません。
名古屋~大阪間の移動は、近鉄線(特急)だと約2時間20分で4,790円という距離感です。

もちろんJR線もこれを黙って見ているわけではなく、東海道新幹線の新大阪~名古屋駅間が約50分という速さで、5,940円という値段です。

この約1,200円の差は、速さを取るか安さを取るか。この判断はユーザー次第となります。

関西本線をゆく

JR関西本線に関しては単線(線路が1本のみ)で非電化区間(つまり、スピードが出る「電車」ではなく、「気動車」)であり、ローカル線扱いのようになっています(特に亀山駅加茂駅間)。
また、そもそも名古屋~大阪(JR難波駅)間を直通する列車(つまり、乗り換え無しで一本で来られる特急列車や快速列車など)が存在しないため、JR関西本線は近鉄線との勝負は諦めている印象すらあります。ただ先述の通り、その代わり東海道新幹線の方で近鉄線に対抗しているものと考えられます。

鈴鹿の山々を越えると、伊勢国・三重県へ

伊勢国(いせのくに)とは、現在の三重県北部~中部あたりの地域のことをいいます。
愛知県の西部の一部分や、岐阜県南部の一部分も、伊勢国の領域に含まれます。
なお、三重県西部は伊賀国(いがのくに)、三重県東部は志摩国(しまのくに)、三重県南西部は紀伊国(きいのくに)に含まれます。

東海道・関宿の町並みへの最寄駅・関駅に到着!

やがて、関駅(せきえき、三重県亀山市)に到着します。

関駅(三重県亀山市)

関駅を境に、JR西日本とJR東海の所掌範囲(しょしょうはんい)が分かれます。
関駅まではJR西日本ですが、1つ先の亀山駅(かめやまえき、三重県亀山市)ではJR東海の管轄下に入ります。
亀山駅では駅名標がオレンジ色になるため、亀山駅まで来るとJR東海のエリアに来たんだという実感が湧きます。

三重県亀山市(かめやまし)は、なんといっても東海道(とうかいどう)関宿(せきしゅく)が有名です。

関宿の町並み(三重県亀山市)

東海道(とうかいどう)とは、江戸~京都間を約20日かけて(徒歩または馬で)移動していた、江戸幕府が整備した(当時としては綺麗な)道路です。
ちなみに「当時としては綺麗な道路」というのは、江戸時代は現代のようにコンクリートで綺麗に舗装されていたわけではなく、所々砂利(じゃり)道だったり、雨の日は泥濘(ぬかる)んだりすることが多々あったためです。泥濘(ぬかるみ)対策のために、石畳(いしだだみ)という石を敷き詰めた道になっている場合もあります。
東海道は何日も何日も歩いて旅をするため、途中で旅人たちが泊まるための町や施設が必要になります。これを「宿場町」といいます。

関宿(せきしゅく)も、その宿場町の一つになります。

関宿の町並み(三重県亀山市)

関宿は、江戸時代の宿場の建物が当時のまま綺麗な形で残されており、当時の旅人たちが見た景色を現代でもそのまま眺めることができます。亀山市の主要観光スポットともいえるでしょう。
日本各地の都市は太平洋戦争(大東亜戦争)における空襲で焼き払われていて、江戸時代の建物はほとんど残っていないのですが、空襲の対象にならなかった都市は現代でも江戸時代の建物が残されており、とても貴重なのです。

また関宿は、これから鈴鹿峠(すずかとうげ)という難所に挑む旅人たちにとって、英気(えいき)を養うための場所としても貴重でした。
逆にいえば、京都側から鈴鹿峠を下りてきた旅人たちにとっても、関宿は一息つける憩いの場所でもあったことでしょう。

関駅より、鈴鹿峠・伊賀方面をのぞむ(三重県亀山市)

「筆捨山」とは?昔の画家が、怒って筆を捨ててしまった山!

筆捨山(ふですてやま)」は、関宿の北西にある山であり、なんでもその昔(室町時代)、この山で絵を描いていたある人(狩野元信(かのう もとのぶ)という画家)が、あまりにも山の景色が(風・雲・霧などで)変わってしまうため、「こんなんじゃまともな絵が描けねえよ!!」といって怒って筆を捨てたことから、「筆捨山」という名前になったそうです。
確かに、絵を描くときはモデルがじっとしていてくれないとちゃんと描けないように、山の景色も風や雲、霧などで一定でないと、正確な絵は描けませんね。
しかし、この人(画家・狩野さん)は大事な筆を捨ててしまったため、次の絵を描くときにはまた購入したんでしょうかね(^^;)

ちなみに、筆の名産地は、広島県安芸郡熊野町(くまのちょう)であり、全国トップの筆生産量を誇ります。それは毛筆(もうひつ)の筆のみならず、メイク(化粧)などに使う筆も含まれます。
熊野町は、タレントの有吉弘行(ありよし ひろいき)さんや、元陸上選手の尾方剛(おがた つよし)さんらの出身地でもあります。
熊野町は平地が少なく農業にあまり適さない地域だったため、19世紀に農業のかたわら副業として筆の販売や製造を始めたらバズった(売れるようになった)ため、筆で生計を立てていくことが可能となり、そこから筆の名産地となったそうです。

次回も、関宿についての話題になります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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