鉄道唱歌 関西編 第34番 桜井駅からは乗り換え・寄り道 雄略天皇の本拠地・初瀬朝倉へ

まずは原文から!

こゝよりおりて程(ほど)ちかき
長谷(はせ)の觀音(かんのん)ふし拜(おが)み
雄略帝(ゆうりゃくてい)が朝倉(あさくら)の
宮の遺跡(いせき)もたづねみん

さらに読みやすく!

ここよりおりて程(ほど)ちかき
長谷(はせ)の観音(かんのん)ふし拜(おが)み
雄略帝(ゆうりゃくてい)が朝倉(あさくら)の
宮の遺跡(いせき)もたずねみん

さあ、歌ってみよう!

♪ここよりおーりて ほどちかきー
♪はせのかんのんー ふしおがみー
♪ゆうりゃくていが あさくらのー
♪みやのいせきもー たづねみんー

(桜井線/万葉まほろば線)
奈良駅→帯解駅→天理駅(旧・丹波市駅)→三輪駅→桜井駅→香久山駅→畝傍駅→高田駅

(近鉄大阪線)
桜井駅→大和朝倉駅→長谷寺駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

列車は既に、奈良県桜井市(さくらいし)の桜井駅(さくらいえき)に到着しています。

ここからは、初瀬(はつせ)・長谷寺(はせでら)方面の寄り道となります。
近鉄大阪線に乗り換え、初瀬方面へ向かって行くわけです。

近鉄大阪線は、青山峠(あおやまとうげ)を通り、三重県名張市(なばりし)を経て、伊勢中川駅(いせなかがわえき、三重県松阪市)、そこからやがて名古屋または伊勢方面へ至る路線です。
そのルートは、名張までは江戸時代の初瀬街道(はつせかいどう)におおよそ準拠した経路でもあります。
つまり、かつて旅人たちが徒歩または馬で移動していた砂利(じゃり)や石畳(いしだたみ)の道が、近代以降は鉄道や道路に置き換えられていったイメージです。

近鉄大阪線はJR関西本線よりも線路が真っ直ぐかつ電化・複線のため、近鉄線が圧倒的有利という状況にあります。
しかしJRは東海道新幹線で新大阪~名古屋間のスピードが凄まじく、トータルとしてはJRもあまり近鉄に完敗というわけではない印象です。

というか、1964年の東海道新幹線開業までは、それまで大阪~名古屋間は近鉄の一本勝ちだったのが、東海道新幹線の登場で近鉄が一時的にピンチに陥った経緯があります。しかしその後近鉄は様々に試行錯誤を繰り返し、現代に至っています。

初瀬街道(はつせかいどう)とは、奈良県の桜井市から三重県の名張市(なばりし)・伊賀市(いがし)を経由して三重県の津市(つし)・伊勢(いせ)方面に向かっていた、江戸時代までの道です。
初瀨街道は、奈良・飛鳥の都から伊勢神宮方面へ向かう目的で使われた、昔の人が徒歩または馬で、何日もかけて移動するための道でした。
そして途中に旅人達が泊まるための宿場町もありました。

初瀬街道(奈良県桜井市)

ここから東へ進むと長谷(はせ)または初瀬(はつせ)という、古くから歴史ある地域があります。

初瀬」と書いて「はせ」と読む場合もあるので、「長谷」と「初瀬」は表記揺れの部類ともいっていいでしょう。
昔は現代ほど漢字の充て方が統一されていませんでしたから、このような表記揺れはよくありました。
例:かも→「鴨」「加茂」「賀茂」(京都府)、みしま→「三島」「御島」(静岡県)、しなの→「信濃」「科野」(長野県)など

初瀬地域からみた奈良の山々

この長谷・初瀬という地域に長谷寺(はせでら)というお寺があり、ここは奈良県桜井市の名所になります。
また長谷寺には境内にたくさんの桜が植えてあるため、春には桜満開の観光名所ともなります。

またこの辺りに、今から約1500年ほど前に雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が本拠地としていた宮である、泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)があったと伝えられており、その伝承地があります。

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、第21代の天皇になります。 恐らく古墳時代あたりに実在したとされており、またの名を「ワカタケル大王」「倭王武(わおうぶ)」とも言われてます。

埼玉県の稲荷山古墳(いなりやまこふん)から出土した鉄剣の銘文に「ワカタケル大王」と書かれており、これが雄略天皇ではないかという風に言われているわけです。熊本県でも、同様の鉄刀が見つかっています。
雄略天皇は九州を征伐して、また埼玉県をも征伐・統治していますから、当時彼が全国の広範囲において権力を及ばせていたことがわかるでしょう。

朝倉(あさくら)」とは、奈良県桜井市の、桜井駅のやや東の地名です。
近鉄大阪線では、大和朝倉駅(やまとあさくらえき、奈良県桜井)が最寄駅になります。

その朝倉に、雄略天皇が宮(政治の本拠地)をおいた場所があった、というのです。
ただしあくまで「そこに宮があったよ」と古くから伝わる地、つまり「伝承地」ということです。
なにせ今から1500年も昔のことなので、本当に実在したかどうかは、タイムマシンでも無い限りわからないのです。
しかし「信じる者は救われる」ので、実際に桜井市の朝倉を訪れた際には「ここで雄略天皇が政治を行っていたのかぁ~」と感慨に浸りながら観光・探訪した方が、よほど楽しめるでしょう。

次は、初瀬川(はつせがわ)と、長谷寺(はせでら)の観光になります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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