まずは原文から!
さわがぬ波の難波驛
いさみて出づる旅人の
心はあとに殘れども
さらに読みやすく!
さわがぬ波の難波駅
いさみて出づる旅人の
心はあとに残れども
さあ、歌ってみよう!
♪さわがぬなみのー なんばえきー
♪いさみていーづる たびびとのー
♪こころはあとにー のこれどもー
和歌山市駅→紀ノ川駅(旧・和歌山北口駅)→(旧・深日駅跡)→尾崎駅→樽井駅→泉佐野駅→貝塚駅→岸和田駅→泉大津駅→羽衣駅→浜寺公園駅→湊駅→堺駅→(大和川)→住吉大社駅→天下茶屋駅→なんば駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
今回で関西・参宮・南海編は最終回
長かった鉄道唱歌 関西・参宮・南海編も、この第64番で最後・最終回になります。
- 天下茶屋駅(てんがぢゃやえき、大阪府大阪市西成区)
- 新今宮駅(しんいまみやえき、大阪市西成区/浪速区)
を過ぎると、今回の旅のゴールであり、また南海本線の起点でもある、なんば駅(大阪府大阪市中央区)に到着します。
「天下茶屋」とは?

天下茶屋駅(大阪府大阪市西成区)
そもそも「茶屋」とは?
「えべっさん」こと今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
新今宮駅の少し北にある今宮戎神社は、「えべっさん」の名前でも親しまれる神社です。
兵庫県西宮市の、西宮神社が総本社(そうほんしゃ)になります。
恵比寿神社(えびすじんじゃ)は、全国に多数ありますが、そのトップの神社が西宮神社ということになります。
七福神の一人・恵比寿さま
恵比寿さま/えべっさんは、商売繁盛に関する神様です。
いわゆる「七福神(しちふくじん)」という七人からなる、人々に幸福をもたらす神様の一人となります。
七福神(しちふくじん)には、
- 毘沙門天(びしゃもんてん)
- 弁財天(べんざいてん)
といった神様も含まれ、インド由来の神様になります。
※神様は、本来は「~柱(はしら)」と数えます。
わかりやすさの観点から、あえて「~人」という数え方とさせていただいております。ご理解・ご了承くださいませ。
なんば駅(難波)に到着
- JR大和路線(やまとじせん)
- 大阪環状線
と交差して大阪市の内部に入ってゆくと、冒頭にも述べた通り、いよいよ鉄道唱歌 関西・参宮・南海編のゴールである、終点・なんば駅(難波駅)に到着です。

南海本線・なんば駅(大阪府大阪市中央区)

南海本線・なんば駅(大阪府大阪市中央区)
巨大な「高島屋」のビル
なんば駅(難波駅)の目の前には、高島屋(タカシマヤ)という巨大な百貨店があります。
難波は、全国に存在する「高島屋」の本店所在地になります。
近江・滋賀県発祥の「高島屋」
「高島屋」は、元々は近江国、すなわち琵琶湖の西側にある、滋賀県高島市に由来しています。
滋賀県高島市や近江八幡市などの出身だった江戸時代の商人が、近江(おうみ:現在の滋賀県)地方や全国で活躍したのでした。
これが、「近江商人」の始まりと言われています。
現代の企業にも、近江商人をルーツとする企業は多いということです。
琵琶湖の存在は、商売にとても向いていた
近江国(滋賀県)には琵琶湖があり、まだ鉄道や長距離トラックが無かった時代でも「船」というツールがありました。
そのため、琵琶湖の水運を生かして販路(はんろ)を拡大し、また京都や大坂といった大都市にも近いメリットを生かしあちこちに船や陸を通じて、商品や物資を運び売ることができました。
これにより、大きな利益を挙げることができたのでした。
高島屋の元祖となった近江商人のことを、飯田新七(いいだ しんしち)といいます。
「なんばウォーク」などの地下街が多い大阪市
大阪には地下街がとても多いイメージがありますが、難波にも「なんばウォーク」という地下街があります。そのため、飲食店や商業施設が数多く、決して退屈しないようになっています。
大都市に地下街が多い理由として、恐らく万が一戦争などの有事(ゆうじ)の際や災害などに巻き込まれた場合に、シェルターとしての役割を果たすことが考えられます。
梅田駅周辺には、少し西の堂島(どうじま)方面へ続く日本最大級の地下街があります。
またし、
- 淀屋橋駅(よどやばしえき)
- 北浜駅(きたはまえき)
との間にも、長大な地下経路があります(ただし、こちらはお店は無かったと記憶しています)。
さらに、
- 心斎橋駅(しんさいばしえき)
- 長堀橋駅(ながほりばしえき)
の間にも、「クリスタ長堀」という長大な地下街があります。
このように、地下街の位置を把握しておけば、万一の場合にシェルターのように逃れられるというメリットがあるわけです。
数多く存在する、難波の娯楽
難波の娯楽といえば、
- 吉本の「グランド花月」
- 食い倒れ
- 串カツ
- 道頓堀(どうとんぼり)
- グリコの看板
- 戎橋(えびすばし)
- 日本橋の「オタロード」
- NMB48
などでしょうか?
山本彩さんがメインで歌うAKB48の「365日の紙飛行機」は、今でも好きな曲です。
鉄道唱歌 関西・参宮・南海編 まとめ
さて、鉄道唱歌 関西・参宮・南海編、いかがだったでしょうか。
日本の歴史のはじまり「関西」 その歴史は長い
第1番のところでも書いたのですが、関西地方は「日本発祥の地」であり、日本の長い歴史の中でもトップクラスに歴史が長いです。
それだけ複雑であり、それだけ日本の歴史はマニアックで難しいと感じました。
特に奈良時代や飛鳥時代は難しく、特に「奈良めぐり」を初めとする奈良県は一番難しく感じました。
さすが「大和国」であり、日本のふるさとの県だけあるなと思いました。
また、この難解さにより記事を書くに当たっての私個人の勉強もなかなか進まず、全部書くのに想定していたよりも時間が掛かってしまいました。結局、5ヶ月もかかりました。
これによって更新が遅れてしまい、楽しみにしていた方々には本当に申し訳なく思います。
歌詞「勇みていずる旅人の 心は跡に残れども」
そして歌詞には
とあります。
つまり、勇ましく旅に出たはいいけども、いざ旅が終わってみるとなんだか名残惜しい、という意味ですね。
旅行が始まる前はそれなりにリスク等も覚悟をして出ていくわけですが、いざ終わってみるとなんだな名残惜しいなあ、と思うことはよくあります。
例えば、
- 「もっとこうしておけばよかったなあ」
- 「他にももっと行きたい場所があったのに」
- 「せっかく気に入った場所なのに、帰りたくないなあ」
などの気持ちです。
名残惜しい しかし「また来ればいいや」の精神で
しかし、ここで重要なのは、
という気持ちです。
これはスーツさんも過去の動画の中で言われていた言葉です。
たとえ1回目の旅行で失敗したことであっても、2回目の旅行でリベンジできる可能性はあります。
また、どうしても名残惜しい場合であっても、「また、来ればいいや」と思うことで気持ちが楽になります。
また、次回は前回よりも土地勘・経験値・知識もより成長しているはずですから、二回目に訪れたときの成長を実感することで、人生により幅を持たせることができます。
繰り返しになりますが、旅の終わりが名残惜しいときは
「また、来ればいいや。」
という、この心掛けを忘れないようにしましょう。
あなたも、ワンランク上の旅行を!
そして私(筆者)自信も、記事を書くにあたって相当知識が身についたので、次回関西地方へ旅行に行ったときはさらにレベルアップした、充実した旅行ができることになっていると思い、楽しみでもあります。
旅行は、あなたの人生に多大な充実感をもたらします!
コメント