中央線鉄道唱歌 第36番 岡谷の製糸業と桑畑の歴史 そして諏訪湖と工業

まずは原文から!

岡谷(おかや)の里(さと)の工塲(こうじょう)は
日本無雙(にほんむそう)の製絲業(せいしぎょう)
引き出す絲(いと)は細くとも
國家(こっか)の富(とみ)はいや増(ま)さむ

さらに読みやすく!

岡谷(おかや)の里(さと)の工場(こうじょう)は
日本無双(にほんむそう)の製糸業(せいしぎょう)
引き出す糸(いと)は細くとも
国家(こっか)の富(とみ)はいや増(ま)さん

さあ、歌ってみよう!

♪おかやのさーとの こうじょうは
♪にーほんむそうの せいしぎょう
♪ひきだすいーとは ほそくともー
♪こっかのとみやー いやまさんー

(中央東線)
甲府駅→竜王駅→韮崎駅→新府駅→日野春駅→小淵沢駅→富士見駅→青柳駅→茅野駅→上諏訪駅→下諏訪駅→岡谷駅(→至・塩尻駅)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

諏訪大社・下社(しもしゃ)の参拝も終わり、また下諏訪宿(しもすわしゅく)の観光をも終えると、再び下諏訪駅(しもすわえき、長野県諏訪郡下諏訪町)を出発します。
すると、ほどなくして岡谷駅(おかやえき、長野県岡谷市)に到着します。

岡谷駅(長野県岡谷市)

長野県岡谷市(おかやし)は、諏訪湖北西(地図的には左上)にある街です。
歌詞にもあるように、岡谷市では明治時代に製糸業、つまり細い糸および桑(くわ)という植物の生産が盛んであったわけです。

岡谷市は片方は諏訪湖に面していますが、もう片方は山々に囲まれています。
そのため、桑が育ちやすい山の斜面を生かした段々畑があります。桑は、生糸(きいと)を生み出すカイコという幼虫が食べる植物です。
一般的に、農地には平地が適しており、山がちな町には農業は栄えにくくなっています。
しかし、山がちな地域にもメリットがあり、山の斜面だと太陽の日にあたりやすく、カイコのエサとなる桑が育ちやすいのです。
そのため、岡谷にはかつて山の斜面に桑畑がたくさんありました。そこから採れた桑をカイコが食べることによって、生糸の生産が立ちゆくようになります。これによって岡谷の人々は生計を立てていたわけですね。

歌詞では、引き出す糸は例え細くても、国家の富や絆は太くてたくましい(強くなっていく)、という意味になります。

長野県歌「信濃の国」でも、
蚕養(こがい)の業の打ちひらけ ほそきよすがもかろからぬ
と歌われています。

こちらも、たとえ糸(や絆)は細くとも、それは決して軽んじれない我々の途切れない)ほど太くて固いなどのような意味になります。

よすが」とは縁、拠り所、絆などの意味をさします。

また、明治時代の岡谷の製糸業の勢いは、隣の下諏訪町にも及ぶようになります。下諏訪も岡谷の影響を受けて、しだいに桑や養蚕業が盛んになってゆきました。

現代では、こうした生糸や、生糸からできる織物業は衰退しています。なぜなら、明治時代の後半や大正時代にもなると機械化・自動化が進み、大量生産と低価格化ができるようになり、そうした工業製品に勝てなくなってきたからです
しかし、元々の工業のノウハウと、戦時中の精密機器会社の諏訪地域への(東京からの)疎開があったため、こんにちの「東洋のスイス」と呼ばれるほどの精密機器が盛んになったわけですね。

釜口水門からの諏訪湖の眺め。左奥に八ヶ岳(長野県岡谷市)

諏訪湖の天竜川への出口として、釜口水門(かまぐちすいもん)があります。
ここは諏訪湖の景色がとてもきれいです。また、東には遠く八ヶ岳(やつがたけ)の遠望もよいです。
しかし岡谷駅から徒歩で行くと、それなりに距離もあり車の交通量も結構あるので、注意していきましょう。

岡谷駅からは、みどり湖・塩尻方面の新しい線路と、川岸・辰野方面の古くからの線路にわかれています。新しい方の線路は鉄道唱歌の時代にはまだ出来ていなかったので、今回は古くからの旧線に乗り換えます。

次は、旧線に乗り辰野駅に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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