まずは原文から!
湖水(こすい)を出ずる天龍川(てんりゅうがわ)
流れに波も辰野驛(たつのえき)
伊那(いな)に赴く旅人(たびびと)は
降りて電車(でんしゃ)に乘(の)り替へよ
さらに読みやすく!
湖水(こすい)を出ずる天竜川(てんりゅうがわ)
流れに波も辰野駅(たつのえき)
伊那(いな)に赴く旅人(たびびと)は
降りて電車(でんしゃ)に乗り替えよ
さあ、歌ってみよう!
♪こすいをいーずる てんりゅうがわ
♪ながれになみもー たつのえきー
♪いーなにおもむく たびびとはー
♪おりてでんしゃに のりかえよー
(中央東線)
岡谷駅→(塩嶺トンネル)→みどり湖駅→塩尻駅
(中央東線・辰野支線)
岡谷駅→辰野駅→小野駅→塩尻駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
岡谷駅からは、辰野支線で辰野方面へ
岡谷駅(おかやえき、長野県岡谷市)を過ぎると、今度は辰野支線(たつのしせん)に乗り換えて、やがて辰野駅(たつのえき、長野県上伊那郡辰野町)に止まります。

ただしこれはあくまで鉄道唱歌の明治時代のルートになります。
現代では、岡谷駅からは北西まっすぐに塩尻駅(しおじりえき、長野県塩尻市)へのルートが出ています。
その理由は、1983年に塩嶺トンネル(えんれいとんねる)という、5,994mにもおよぶ長大トンネルが開通したからです。
これによって、特急「あずさ」にとってもショートカットとなり、東京~松本間の所要時間も短縮されたものと思われます。
塩嶺峠の勾配を避け、迂回ルートが取られた辰野支線
ただし、昔はこのような長大トンネルを掘ることはできませんでした。
なので、勾配をなるべく避けるために、やむを得ず辰野方面へ大きく南へ迂回するルートが取られたというわけです。
なお、地元の有力な政治家によって線路が南側の辰野方面へ誘致されたという「我田引鉄(がでんいんてつ)説」もあったりします。
しかし、これは政治というデリケートな話になるため、ここでは敢えて触れないことにします。
諏訪湖から流れ出る、天竜川 川に沿って進む、辰野支線
また、この区間が選ばれたのは、「天竜川(てんりゅうがわ)」に沿った平地だから、というのも理由の一つとして挙げられます。
川の周りには平野・平地ができますから、ここに沿って線路を敷けば、難儀なトンネル工事をするのを回避しやすかったのでしょう。
天竜川は、諏訪湖から南西へ流れてこの地域を通り、伊那谷(いなだに)を飯田線(いいだせん)とともに南下し、はるか南の静岡県浜松市(はままつし)の海に流れます。

鉄道唱歌 東海道編 第26番でも、
この水上(みなかみ)にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき
とありますよね。
「この水上」とは、まさにこの場所・天竜川のはるか上流、諏訪湖のことをいいます。
これについては以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください。
その昔、多くの旅人たちを苦しめてきた塩嶺峠
江戸時代の中山道(なかせんどう)の時代には、岡谷と塩尻を北西まっすぐに結ぶ塩嶺峠(えんれいとうげ)を通っていました。
塩嶺峠は「塩尻峠(しおじりとうげ)」ともいいます。
ただ岡谷と塩尻をまっすぐに結ぶとはいっても、いかんせん険しい峠道なので、旅人たちは地獄の苦しさを味わうことになります。
せっかく軽井沢から和田峠(わだとうげ)という険しい峠道を越えて下諏訪宿(諏訪湖)まで来たのに、また険しい塩尻峠を越えないといけないという、当時の旅人たちの「憂鬱な気持ち」が想像できます。
なので、和田峠と塩尻峠の間にある「下諏訪宿」は旅人たちの「一休み」と「憩いの場所」としてとても賑やかで栄えたのです。
辰野駅から南へ延びる「飯田線」 伊那方面と、はるか南の豊橋へ続く線路
辰野駅からは、飯田線(いいだせん)が延びています。
飯田線は、天竜川に沿って走る列車路線ですね。
明治時代終わり、辰野駅から伊那地方(南)へ出ていた伊那電気鉄道
歌詞4行目の「電車」とは電気で走る鉄道であり、それまでの「蒸気機関車」から置き換えられていったものです。
伊那地方(いなちほう)へは、明治時代の終わりの1909年に、伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)という鉄道会社によって開通しました。
当初は、辰野駅~伊那松島駅(いなまつしまえき、長野県上伊那郡箕輪町)の区間でした。
また、当時としてはまだ珍しかった「電車」でスタートしました。
明治時代はまだ蒸気機関車が主流でしたから、電気で走る「電車」は、明治時代ではまだその存在が珍しい存在だったことでしょう。
ただ、明治時代の後半から大正時代にかけて(スピードアップと省エネのため)次々に鉄道の電化がなされていっています。
伊那電気鉄道の歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
日本初の「電車」とは?
ちなみに日本最初の「電車」は、1895年の京都の路面電車であった「伏見線(ふしみせん)」です。
しかし、今では「京都市営地下鉄」が存在するため、廃止されています。
また、関東地方で初の「電車」は1899年の「大師電気鉄道(だいしでんきてつどう)」でした。
こちらは、川崎大師(かわさきだいし)への参拝客を乗せる目的で建設されました。
こちらは京浜急行電鉄の起源の路線でもあります。
伊那谷をまっすぐ貫く、飯田線
飯田線(いいだせん)は、伊那谷(いなだに)をまっすぐ南に貫く路線です。
伊那谷(いなだに)は、天竜川によって削られ(侵食されて)できた平野のことです。
飯田線は、はるか南の豊橋駅(とよはしえき、愛知県豊橋市)へと至ります。


伊那谷の東西には、
- 木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ、標高2,956m)
- 甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ:標高2,967m)
をはじめとする山脈がそびえ立ちます。
飯田線の伊那谷区間については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
飯田線の概要については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
リニア中央新幹線の駅設置予定の街となる、飯田市

また長野県飯田市には、リニア中央新幹線の駅が出来るともされています。
もし出来たら東京と約45分で結ばれるため、飯田市から東京への通勤も十分に可能となります。
これにより、飯田市の住民が東京通勤することで、いわゆる飯田市に納められる「住民税」が増加して街が発展する効果が期待でき、やがて東京のベッドタウンとして発展する(飯田市や長野県への移住が促進される)効果も期待できます。
ただしその一方で、リニアで東京へ進学・就職・買い物などの目的である程度人が流れるリスクやデメリット(ストロー効果)も考慮する必要があります。
飯田線は当初はたくさんの私鉄が別々に線路を作っていたこともあり、駅間距離がわずか1~2kmほどと短く、駅数がとても多く、またカーブがとても多いため列車は速度が出せないことで知られています。
なぜ飯田線はカーブと駅数が多いのかについて詳しくは、先ほど紹介した飯田線関連の記事において解説しておりますので、ご覧ください。
次回は、小野・塩尻方面へ
次は、小野(おの)・塩尻(しおじり)方面へ向かってゆきます!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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