中央線鉄道唱歌 第44番 松本の奥座敷・浅間温泉と里山辺 神話に登場の「束間の湯」

中央線鉄道唱歌の歌詞(浅間温泉・里山辺・束間(筑摩)の湯など)について、歴史に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

淺間あさま温泉いでゆにぎはひて
入浴ゆあみの客の足繁あししげ
くる人絶えぬ白絲しらいと
御湯おゆ山邊やまべの里にあり

さらに読みやすく!

浅間あさま温泉いでゆ にぎわいて
入浴ゆあみの客の 足繁あししげ
くる人絶えぬ 白糸しらいと
御湯おゆ山辺やまべの 里にあり

さあ、歌ってみよう!

♪あさまのいーでゆ にぎわいてー
♪ゆあみのきゃくの あししげくー
♪くるひとたーえぬ しらいとのー
♪おーゆはやまべの さとにありー
(篠ノ井線)
塩尻駅→村井駅→松本駅→田沢駅→明科駅→西条駅→聖高原駅→冠着駅→姨捨駅→稲荷山駅→篠ノ井駅

(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表

松本市の温泉地「筑摩」「里山辺」「美ヶ原」の湯

列車は既に、長野県松本市まつもとし松本駅まつもとえきに達しています。

松本駅。松本市には、かつて日本書紀に書かれた「束間の湯(筑摩の湯)」と思われる、浅間温泉がある(長野県松本市)

松本駅(長野県松本市)

松本駅(長野県松本市)

松本市のやや東にある温泉地

今回は、松本市のやや北または東側にある「温泉地」の話題となります。

松本駅の北東へ約3~4kmほど進んだ場所には、「浅間温泉あさまおんせん」という温泉地があります。

また、松本駅から東へ約3~4kmほど進んだ場所に、「里山辺さとやまべ」という温泉地があります。
里山辺は、歌詞4行目では「山辺の里」と歌われています。

松本市の「奥座敷」

これらの温泉地は、松本市の奥座敷おくざしきと言われています。
とは、都会からちょっと離れた温泉地、のような意味で使われます。

例えば、東京の奥座敷は

  • 静岡県の熱海あたみ
  • 栃木県の鬼怒川温泉きぬがわおんせん

などになります。

里山辺さとやまべという地域には、美ヶ原高原うつくしがはらこうげんという高原があり、その高原のふもとには「美ヶ原温泉うつくしがはらおんせん」という温泉があります。

その歴史は、日本書紀にあり!?「筑摩の湯」の歴史

この里山辺の美ヶ原温泉に、「筑摩の湯つかまのゆ」という日本書紀に出てくる温泉があります。

日本書紀に「束間の湯つかまのゆ」という記述があり、これが筑摩の湯ではないかといわれているのです。

698年に開湯した「筑摩の湯」

そして日本書紀によれば、筑摩の湯は698年に開湯かいとうした温泉として伝えられます。

そして飛鳥時代より、天皇や貴族の保養地ほようち(つまり、リフレッシュするための場所)として、活用されてきたのでした。
また、松本城の大名(殿様)らによる、リフレッシュの場所としても使われてきたため、御殿場ごてんばとも言われます。

この束間の湯が、里山辺にある美ヶ原温泉うつくしがはらおんせん(または、冒頭に挙げた浅間温泉)ではないか、と言われているということです。

長野県歌「信濃の国」でも歌われている

筑摩の湯は、長野県歌「信濃の国」第4番でも、

来る人多き筑摩つかまの湯

と歌われています。

なぜ「束間の湯」が「筑摩の湯」であるといえるのか

ではなぜ日本書紀の「束間の湯」が、長野県松本市の「筑摩の湯」であると推定できるのか。

それは恐らくですが、松本市は、元々は「筑摩県ちくまけん」と言われていた地域であり、時代とともに

束間つかま筑摩つかま

となり、さらに

つかま→ちくま

となりました。
これが関係しているのではないかと思われます。

つまり、「つかま→ちくま」
のようになまって変化したわけですね。
それも長い年月をかけて。

千曲川

また、筑摩ちくま千曲ちくまの表記揺れではないかとされます。
あの「千曲川ちくまがわ」ですね。

千曲川ちくまがわは、まるで千の曲がりがある(それだけ長い)川というのが名前の由来とされていますが、
一方で「千曲ちくま」は、「筑摩ちくま」の表記揺れではないかともされているのです(諸説あり)。

新潟県では「信濃川」に

千曲川は、

  1. 長野県の蓼科山たてしなやまの、はるか東方から流れはじめ、
  2. 新潟県に入ると「信濃川しなのがわ」に名前を変え、
  3. 末は新潟県・越後の海に注ぐ

という川になります。

千曲川・信濃川は、「日本一長い川」になります。

長野県歌「信濃の国」でも

♪流るゝ川はいや 遠し(流れる川はとても長いよ)
♪流れ淀まずゆく水は(流れがよどむことなくゆく川の水は)
♪北に犀川さいがわ千曲川ちくまがわ
♪南に木曽川きそがわ天竜川てんりゅうがわ
みなこの国のかためなり

と歌われていますよね。

国の固め」とは、この国の生活の基盤となることをいいます。
つまり、川の水をうまく利用すれば魚が取れたり飲み水生活用水にもなります。

小笠原長時の居城「林城」

松本市の東には、かつて「林城はやしじょう」というお城がありました。
林城は、戦国時代には小笠原長時おがさわらながときのお城でした。

小笠原長時は、「塩尻峠の戦い」において武田信玄に敗れた人物です。

それまで武田信玄に敗れ続けていた小笠原長時は、なんとかして武田信玄に復讐したいと思っていました。

それが、武田信玄が長野県上田市で行われた「上田原の戦い」において(信玄にしては)珍しく負けると、小笠原長時はこれぞチャンスといわんばかりに、信玄に挙兵します。
しかしこの挙兵は、ただの寄せ集めで団結力がなく、うまく統率が取れません。
そして信玄の軍がわざと遅く行進してきたために、油断して兵士みんな寝ていたところを信玄の軍にめった打ちされて総崩れとなりました。
これが、長野県塩尻市で行われた「塩尻峠の戦い」になります。

そして小笠原長時は「林城」に逃げ込みましたが、武田信玄に滅ぼされてしまいました。

そして武田信玄は松本を抑え、さらに北東の長野へ進み、上杉謙信と5回にも及ぶ「川中島の戦い」となるのです。

次回からは、長野方面へ

次は、松本駅を出発し、長野方面へと向かいます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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