中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!
鉄道旅行を楽しむためのノウハウを、初心者の方にも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
命をからむ蔦もなく
寢覺の床のあさ衣
木曾の川波靜かなり
さらに読みやすく!
命をからむ 蔦もなく
寝覚の床の あさ衣
木曽の川波 静かなり
さあ、歌ってみよう!
♪いのちをからむー つたもなくー
♪ねざめのとーこの あさごろもー
♪きーそのかわなみ しづかなりー
塩尻駅→洗馬駅→贄川駅→奈良井駅→藪原駅→宮ノ越駅→木曽福島駅→上松駅→須原駅→野尻駅→南木曽駅→坂下駅→中津川駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅の
木曽福島を出て、上松方面へ
列車は現在、木曽福島駅(きそふくしまえき、長野県木曽郡木曽町)を出発し、
- 上松駅(あげまつえき、長野県木曽郡上松町)
方面へ向かってゆく最中となります。
「木曽の桟(かけはし)」
すると、古くから交通の難所とされた、「木曽の桟(かけはし)」の横を通ります。
ただし、この「木曽の桟」の付近は列車はトンネルの中を走るため、列車から「木曽のかけはし」を見ることはできません)。
命がけで渡っていた、木曽の桟
木曽の桟(きそのかけはし)とは、松尾芭蕉の歌にも読まれた、木曽川の崖っぷち・断崖にかけられた非常に危険な橋となります。
それは崖っぷちに、申し訳程度の丸太で打ち込んで作ったような、本当に簡素で危ない橋でした。
今は、崖に沿って綺麗な道路が舗装されてますので、そこまで危険なわけではありません。むしろ現代の道路は安全です。
松尾芭蕉の詩「命をからむ蔦(つた)」
松尾芭蕉の歌には、
命をからむ
蔦(つた)かつら
と詠まれました。
つまり、命にからみつくような蔦(つた)があり、かつて松尾芭蕉も命懸けでここを通ったということが、うかがい知れます。
恐らく落ちたら死ぬでしょうし、歴史的にもそうした事故は多かったことでしょう。
実際、ここは中山道(※)のルートでしたから、多くの旅人たちを苦しめてきた難所だったのでした。
※中山道(なかせんどう):江戸時代、まだ鉄道や自動車が無かった時代に、人々が何日もかけて旅をして通った道のことです。
松尾芭蕉の信濃の旅「更科紀行」
また、これは松尾芭蕉が長野の善光寺(ぜんこうじ)の旅に出たときの、
- 「更級紀行(さらしなきこう)」
のときのものです。
松尾芭蕉も、かつて美濃(みの:岐阜県)から中山道・木曽路を通って、長野へと至る旅をしたのでした。
また、松尾芭蕉はその途中で、姨捨山(おばすてやま)にも寄っています。
寝覚めの床
そして、次回と順番が前後しますが、
- 上松駅(あげまつえき、長野県木曽郡上松町)
を過ぎると、窓の右下に
- 「寝覚の床(ねざめのとこ)」
という景勝地が登場します。
こちらは、列車の窓からもかろうじて見下ろすこもができます。

※寝覚の床(長野県)
※順番に注意 本当は「上松駅」→「寝覚の床」
次回も解説しますが、以下の点に気をつけてください。
浦島太郎の伝説にも登場する、寝覚めの床
寝覚の床(ねざめのとこ)とは、木曽の谷にある、「浦島太郎の伝説」も存在する景勝地でございます。
真っ白な岩がとても整った形で侵食され、しかも木曽川の色が、微妙にエメラルドグリーンとなっています。
そのため、「白と緑」みたいな色合いも抜群の景勝地となります。
寝覚の床は、浦島太郎が竜宮城から戻ってきた時に、そこで「目が覚めた場所である」とされています。
浦島太郎は、上松町(あげまつちょう)の土地と寝覚の床の景勝地が大変気に入ったようです。
また、
- 「木曽の桟」
- 「寝覚の床」
は、長野県歌「信濃の国(しなのなくに)」の第4番でも歌われています。
次は、風越山・木曽駒ヶ岳などの話題へ
次は、
- 上松駅
- 風越山(かざこしやま)
- 木曽駒ヶ岳
の話題となります!
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