中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
上松の地理・歴史などについて、やさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
結びて行かん風越の
すそ野の尾花穗に出でゝ
まねくは雪の駒が嶽
さらに読みやすく!
結びて行かん 風越の
すそ野の尾花 穗に出でて
まねくは雪の 駒が嶽
さあ、歌ってみよう!
♪むすびてゆかんー かざごえのー
♪すそののおーばな ほにいでてー
♪まねくはゆきのー こまがたけー
塩尻駅→洗馬駅→贄川駅→奈良井駅→藪原駅→宮ノ越駅→木曽福島駅→上松駅→須原駅→野尻駅→南木曽駅→坂下駅→中津川駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
木曽福島を出て、上松へ
木曽福島駅を出発し、
- 御嶽山
- 木曽の桟
などを横にしつつ木曽路を南下すると、やがて
- 上松駅(長野県木曽郡上松町)
に到着します。

上松駅(長野県木曽郡上松町)
木材で栄えてきた、上松町
長野県木曽郡上松町は、歴史的に木材で生計を立てていた町になります。
木曽地域では、「林業」など木材が盛んだったことは、ここまでも何度も説明してきた通りです。
赤沢森林鉄道
上松町にはその昔、「赤沢森林鉄道」という路線がありました。
森林鉄道とは?
森林鉄道とは、採れた木材を、列車(正確には、蒸気機関車によって引っ張られて走る「貨車」)に載せて、運ぶための仕組みです。
現代では木材はみな、トラックや自動車などで運ばれるのが一般的です。
しかし、自動車が一般的でなかった明治時代には、鉄道がメインだったのでした。
そのため、こうした森林鉄道が、主流だったというわけです。
1960年代に入って自動車が普及しだしてからは、森林鉄道は役目を終えて、相次いで廃止されてゆくことになったのでした。
江戸時代、武家屋敷などの建設に、木材は重要だった
また、森林鉄道・貨物列車すらも無かった時代(江戸時代以前)には、恐らく
木曽川の上を、舟で木材を載せて運んでいたのではないかと思われます。
いわゆる「水運」です。
ちなみに木曽川では、木材を筏に載せて下流へと運ぶ「筏流し」という方法で、水運における重要な輸送ルートとして利用されていました。
舟で木材を運ぶときの、水に濡れるリスク
しかし、舟で木材を運ぶということは、それなりにリスクもあります。
例えば、折角の木材が水に濡れてしまい、使い物にならなくなる、といった可能性もあるわけです。
水に濡れることによって、いわゆる含水率が高くなりすぎると、強度が低下したり、また腐朽などといったリスクが高まる可能性があります。
江戸の武家屋敷や伊勢神宮にも使われてきた、木曽の木材
木曽の木材は、江戸の武家屋敷や伊勢神宮にも使われてきました。
そのため、間違っても濡れる・汚れるなどは御法度であり、こうした
- 「木材の品質を保つための苦労」
も絶えなかったことでしょう。
木曽八景・風越山
また上松には、風越山(標高1,535m)という山があります。
こちらはいわゆる、木曽八景の1つに数えられます。
前回も述べた「寝覚の床」も、「木曽八景」の一つです。
「木曽八景」とは
木曽八景には、以下の8つの景色が含まれています。
- 徳音寺
- 御嶽山
- 木曽の桟
- 寝覚の床
- 風越山
- 木曽駒ヶ岳
- 小野の滝
- 秋の与川の月
中央線鉄道唱歌では、これら8つの風景がすべて歌われています。
木曽駒ヶ岳
ここで木曽駒ヶ岳は、標高2,956mの、木曽山脈最高峰の山になります。
木曽山脈は、「中央アルプス」と呼ばれます。また、
- 飛騨山脈(北アルプス)
- 赤石山脈(南アルプス)
とともに、「日本アルプス」と呼ばれます。
これらの山脈では、標高3,000m級の山々が連なり、「日本の屋根」ともいえるような場所です。
伊那谷側の街・駒ヶ根市
ちなみに、諏訪湖近くの
- 辰野駅(長野県上伊那郡辰野町)
から飯田線で南へゆくと、駒ヶ根市という街があります。

※駒ヶ根市からの、南アルプス(長野県駒ヶ根市)
長野県駒ヶ根市は、伊那谷にある、
- 甲斐駒ヶ岳
- 木曽駒ヶ岳
の、二つの「駒ヶ岳」に囲まれた街です。
2つの駒ヶ岳の麓にある街であることから、「駒ヶ根市」と名付けられました。
飯田線と駒ヶ根市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

上松駅を出て、「寝覚めの床」が右側に
上松駅を過ぎると、窓の右下に、前回も紹介した景勝地である
- 「寝覚の床」
が登場しますので、必ず右側の窓をチェックしましょう。

寝覚の床(長野県)
※「上松駅」→「寝覚の床」の順番に注意
特急「しなの」では、「寝覚の床」の手前でアナウンスがあり、わざと列車のスピードを落として見やすくしてくれる場合もあるそうです。
次回は、須原・野尻へ
次は、
- 須原
- 野尻
に止まります!
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