山陰鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!
鉄道旅行を楽しむためのノウハウを、初心者の方にも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
眺めたえせぬ嵯峨御室
嵐の山の朝夕に
景色すぐれし渡月橋
さらに読みやすく!
眺めたえせぬ 嵯峨御室
嵐の山の 朝夕に
景色すぐれし 渡月橋
さあ、歌ってみよう!
♪なーがめたえせぬ さがおむろー
♪あらしのやーまの あさゆうにー
♪けーしきすぐれし とげつきょう
京都駅→二条駅→嵯峨嵐山駅→亀岡駅→園部駅和知駅→綾部駅→福知山駅→上川口駅→下夜久野駅→上夜久野駅→梁瀬駅→和田山駅→養父駅→八鹿駅→江原駅→豊岡駅→玄武洞駅→城崎温泉駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
嵯峨嵐山駅に到着
二条駅(にじょうえき、京都府京都市中京区)を出て山陰本線を進むと、線路は大きく西へ曲がり、
- 嵯峨野(さがの)
- 嵐山(あらしやま)
方面へ向かってゆきます。やがて、
- 嵯峨嵐山駅(さがあらしやまえき、京都府京都市右京区)
に着きます。

京都の観光地・嵐山
嵐山(あらしやま)は、現代でも京都の観光ベストスポットです。
この付近の地域のことを、嵯峨野(さがの)といいます。
また、山陰本線のこの区間(京都駅~園部駅間)も、地元では「嵯峨野線(さがのせん)」と案内されます。

平安時代から、皇族の別荘地となってきた嵯峨野
それは平安時代のはじめ(西暦810年頃)、
- 嵯峨天皇(さがてんのう)
がこの地域に別荘(離宮)を構え、余暇(よか)を過ごしたことに由来します。
つまり簡単にいえば、嵯峨天皇の別荘地かあった場所だから「嵯峨野」というわけです。
ちなみにこの地域に存在する仁和寺(にんなじ)は、御室桜(おむろざくら)が春になるととても美しいものになります。
また、仁和寺は学問の神様・菅原道真の時代の天皇である、
- 宇多天皇(うだてんのう)
の別荘・居所として造られました。
そのため、仁和寺は「嵯峨御室(さがおむろ)」ともよばれます。
また、仁和寺のある嵯峨御室(さがおむろ)ないし御室(おむろ)の地域は、京都府京都市に本拠地を置く「オムロン」という会社の発祥の地であり、また社名の由来となっています。
オムロンは、体組成計や体温計などの計測器を製造している電気機器メーカーになります。
ちなみに天皇の別荘のうち、
- 規模が大きいものを「離宮(りきゅう)」
- 規模が小さいものを「御用邸(ごようてい)」
といいます。

景色がとても良い場所は、(人類の長い歴史をみても)別荘地や保養地などに選ばれやすいのは共通です。
まぁ、だだっ広い原っぱや険しい山岳地帯などに、リフレッシュするための別荘を建てる人は(中にはそういう人もいるかもしれませんが)、普通いませんからね(^^;)
なお、先述の「だだっ広い野原」は、
- 開墾して、田や畑になって、農業が行われる
- あるいは、ビル建設によって、都市開発が行われ、不動産収入を得ることになる
といった事業が行われます。
また先述の「険しい山岳地帯」は、一般的にはリフレッシュする場所ではなく、田畑や都市開発もできません。
そのため、むしろ仏教において厳しい修行を行うための場所になります。
少し話が逸脱しましたが、話を戻します。
嵯峨野(さがの)地域も、
- 桂川(かつらがわ)の美しい水の流れ
- 嵐山などの綺麗な景色
があります。
そのため、1000年前の平安時代から既に、天皇や貴族などのリフレッシュや余暇の場所として使われてきたというわけです。
桂川にかかる「渡月橋」

渡月橋(とげつきょう)は、鎌倉時代の天皇である
- 亀山天皇(かめやまてんのう)
が、まるで月の上を渡っているかのような橋だとして、渡月橋と名付けたことが由来となりました。
鎌倉時代は源氏と北条氏の天下でしたが、天皇をはじめとする朝廷は、依然として京都に存在していたのでした。
そのため朝廷は、江戸時代の終わりと明治時代の始めに、東京に移るまで続いていたのです。
保津川(ほづがわ)は、嵐山の渡月橋を境に桂川(かつらがわ)と名前を変えます。
保津川では、「保津川下り」といって、人々が舟に乗って保津川を一気に下ってくるというレジャーを楽しむことができます。
嵯峨嵐山駅を出ると、山のトンネルをくぐり、保津峡(ほづきょう)に出てきます!
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