山陰鉄道唱歌 第4番 保津峡と、矢のように速い保津川の流れ

山陰鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
保津川の観光・歴史などを、やさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

まどよりちか保津川ほづがわ
はやながれをながむれば
ふねよりもさら
いわにかくれ

さらに読みやすく!

まどよりちかき 保津川ほづがわ
はやながれを ながむれば
ふねよりも さら
いわに かくれ

さあ、歌ってみよう!

♪まどよりちーかき ほづがわのー
♪はやきながめをー ながむればー
♪ふーねはやよりも さらにとくー
♪みるみるいわにー かくれゆくー
(山陰本線)
京都駅→二条駅→嵯峨嵐山駅→亀岡駅→園部駅和知駅→綾部駅→福知山駅→上川口駅→下夜久野駅→上夜久野駅→梁瀬駅→和田山駅→養父駅→八鹿駅→江原駅→豊岡駅→玄武洞駅→城崎温泉駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

現代語訳

今回は京都を出て嵐山を過ぎ、亀岡へと向かう途中の保津峡ほづきょうの大絶景を歌った一節ですね!
激流を下っていく川下りの舟の凄まじいスピード感と、それを汽車から見下ろす興奮が臨場感たっぷりに描かれていて、本当に素晴らしいです。

では、現代語訳を確認していきましょう。

  1. ​列車の窓のすぐ間近を流れている、保津川ほづがわの、
  2. 激しくスピーディーな(早き)流れをじっと眺めれば、
  3. ​その激流を巧みに下っていく観光の舟が、まるで放たれた矢よりも、さらにずっと素早く(疾く)水しぶきをあげて滑り落ちていく。
  4. ​したがって、その舟を目で追っていると、あっという間(見る見る)に、大きな岩の向こう側へと隠れるようにして、またたく間に通り過ぎていってしまうのである。
江戸時代の保津川下りのイメージ(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の保津川下りのイメージ(画像はAIによるイメージです)

嵯峨嵐山を出て、トンネルをくぐり、保津峡駅へ

嵐山あらしやまを過ぎてトンネルをくぐると、保津川ほづがわの景色とともに、保津峡ほづきょうの険しくも美しい渓谷けいこくが姿を現します。

保津川の景色(山陰本線/嵯峨野線の車窓より)(京都府)

保津川の景色(山陰本線/嵯峨野線の車窓より)(京都府)

やがて、
  • 保津峡駅ほづきょうえき(京都府亀岡市保津町)

に着きます。

保津峡駅(京都府亀岡市保津町)

保津峡駅ほづきょうえきは、山と山に囲まれた険しい谷にできており、駅と線路の下に保津川ほづがわが流れます。

保津川ほづがわは、京都市内では桂川かつらがわと名前を変えます。
このように、同じ川でも地域や県によって川名が変化することはよくあります。

  • 山梨県→桂川かつらがわ神奈川県→相模川さがみがわ
  • 奈良県→吉野川和歌山県→紀ノ川

江戸時代、角倉了以が開削した保津川

保津川は、江戸時代に 角倉了以すみのくらりょうい という豪商が開削したことで知られます。

豪商ごうしょうとは、簡単に言えば「お金持ち商人」のことです。
つまり、江戸時代、大きな利益を挙げた商人というわけです。

江戸時代、大きな影響力を持っていた商人

江戸時代は争いのない平和な世の中だったため、武士が日本全体に貢献できるようや成果を出すことは、むしろなかなか難しいものでした。
いわば、武士にとってはそこまで活躍の機会が多いわけではなく、年収が上がらない時代でした。
また、「文武両道」といって、武術だけでなく、学業も修めていないといけない時代にもなっていました。

もしも大きないくさがあって、それに大勝利した武士であれば、大きな給料・恩賞・やりがいを手にできたかもしれません。

しかし平和な世の中だと、それは難しいのでした(いや、むしろ世の中平和なことに越したことはないのですが)。

むしろ江戸時代は、大きな利益を挙げる商人の方が、よほど大きな力と財力を持っていました
そのため、武士が商人に借金したりと、身分の上下関係が置き換わってしまうほどでした。

川の「開削」とは

開削かいさくとは、自然のゴツゴツした川を削って、舟を通りやすくすることです。

保津川の開削によって、大きな船を通すことが可能となりました。
川は自然の状態ではゴツゴツしていますから、そのままでは舟を満足に通すことができません。

そのため、角倉了以のような方(金持ち)が私財を投入して、保津川を開削して、舟を通りやすくしたのです。

江戸時代の川の開削のイメージ(画像はAIによるイメージです)

これによって、舟にたくさんの荷物を載せて運ぶことができます。

昔は長距離トラックや貨物列車などありませんでしたから、舟に荷物を載せて運ぶというやり方が効率よかったのです。

京都の台所・亀岡市

特に、京都の西側には亀岡市かめおかしという街があります。
亀岡市は「京都の台所」と呼ばれており、「京野菜きょうやさい」がたくさん採れました。
そのため、お偉いさんたちが食べる高貴な食材を、京都へ供給していくためにも、川の存在は重宝されてきたことでしょう。

京野菜(画像はAIによるイメージです)

京野菜」は、京都の料亭で使われる高級野菜です。

保津峡と、保津川の眺め(京都府亀岡市保津町)

保津峡と、保津川の眺め(京都府亀岡市保津町)

保津川のレジャー「保津川下り」

江戸時代の保津川下り(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の保津川下り(画像はAIによるイメージです)

また、保津川のレジャーに、保津川下ほづがわくだというものがあります。
それは舟に乗って、保津川を勢いよく下るという行為を楽しむものです。

保津川は、歌詞にある通り

流れが矢よりも速い(ほどの速さ)

であるため、とてもスリル満点だと思います。

しかしそれだけにリスクも高く、救命胴衣の着用が全員に義務付けられるなど、事前に様々な確認が必要です。

「疾く」昔の日本で最も速いものの代名詞だった「矢」に例える

​「疾く(とく)」とは、スピードがものすごく速いという意味です。

すなわち、ここでは昔の日本で一番速いものの代名詞だった「飛ぶ矢」を例に出し、

  • 「それよりもさらに(舟は)スピードが出ているぞ!」

と行った具合で、舟の圧倒的な迫力を大絶賛している表現であるというわけです。

次は、丹波方面へ

おわりに:いかがだったでしょうか。

​窓のすぐ下を、矢のような速さで川を下っていく舟と、それを「うわあ、速い!」と窓から身を乗り出して見送る鉄道の乗客たち。
当時の旅人たちが、車窓から目を離せずに大興奮していた様子がハッキリと伝わってきて、なんだか一緒にワクワクしてしまいますね!

保津峡駅を出て、さらにトンネルをくぐると、丹波たんば地域の

  • 亀岡かめおか
  • 園部そのべ

方面へ向かってゆきます!

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