房総半島一周の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
勝浦の観光・地理などを、やさしく解説してゆきます!
今回は、「勝浦の海」の話題
今回の房総半島の旅は、房総半島の南東端に位置する勝浦市、そして鵜原理想郷などの話題となります!
房総半島も半周を周り、この地域の旅を楽しむポイントをわかりやすく解説します!
安房鴨川駅→安房小湊駅→行川アイランド駅→上総興津駅→鵜原駅→勝浦駅→御宿駅→大原駅→上総一ノ宮駅→茂原駅→大網駅
※上記は全ての駅ではなく、スペースの都合上筆者が独断でピックアップしたもの
房総半島の南端・海岸沿いを東へ 勝浦方面へ向かう
列車は房総半島の南海岸沿いを走ってゆき、外房線で勝浦方面へと向かってゆきます。
鵜原駅に到着 鵜原理想郷
上総興津駅(千葉県勝浦市興津)を出ると、やがて、
- 鵜原駅(千葉県勝浦市)
に着きます。
大正時代に別荘地として栄えた景勝地
鵜原駅の近くには、「鵜原理想郷」と呼ばれる海の綺麗な景勝地があります。
鵜原理想郷は、かつて大正時代のお金持ちによって作られた理想郷になります。
ここからの海の景色はとても綺麗であり、また都会から離れていながら絶妙に遠くもないというこの地域に別荘やホテル・旅館・海水浴場などを築くことで、まさに「理想郷」という感じだったのでしょう。
一部の金持ちの皆さんがここで
といった具合に、悠々自適に海を眺めていた姿が、容易に想像出来ます。
第一次世界大戦がもたらした「大戦景気」により、理想郷が栄える
しかし房総半島の末端にあるこの地域は、やはりなんだかんだで(東京からみて)房総半島で最も交通アクセスが厳しい区間である感は否めません。
また、当時は第一次世界大戦(1914年~1918年)による好景気でした。
第一次世界大戦は、ヨーロッパで起こった戦争です。
そんなヨーロッパの各国は、戦争でいっぱいいっぱいであり、自国で武器や兵器を造る余裕がありませんでした。
そこで、日本に大量発注したことで、日本製の武器や兵器がたくさん売れたのです。
そのため、当時の日本は「大戦景気」という好景気だったのです。
ヨーロッパへ製品がたくさん売れ、大儲けした日本
このように、第一次世界大戦で日本は大儲けしたのでした。
そのため、例えば
- 一万円札でお尻を拭いたりする
- 一万円札を燃やして、部屋を明るくする
などといった、いわゆる「成金」とよばれる人達も登場しました。
もちろんこれらは極端な例であり、すべての成金が一万円札に対して、そんな無礼な振る舞いをしていたわけではないでしょう。
しかし、それだけお金に余裕のあった(使っても使い切れない)時代だったわけです。
これだけ儲かった大正時代ですから、一部の金持ちたちがこの地域(鵜原)に「理想郷を建ててみたくなった」という気持ちには、それはなることでしょう。
ヨーロッパの復興とともに、大戦景気は終了
ところが、そうした大正時代の日本の栄華は、長くは続きませんでした。
大戦が終わってヨーロッパの国々が復興してくると、次第に日本から製品を買わなくても自国で製造・販売できるようになってきます。
すると、日本の製品は今までのようには売れなくなります。
また、大量生産をするために投資して作った膨大な設備も使われなくなってしまいました。
すると、暇な工場がたくさん出来てしまい、必然的に従業員の仕事量も減って、解雇者が増えるようになります。
震災不況、昭和恐慌・・・まだまだ日本を襲うピンチ
さらには大戦から5年後の1923年には関東大震災が起こってしまい「震災不況」が起きました。
トドメには1929年の「昭和恐慌」「世界不況」が起こったこともあり、日本は一気に不景気に陥ってしまいました。
これにより、国内ではたくさんの失業者が出てしまいました。
この昭和恐慌を打破するために、「満州」という土地に日本の存続の希望を見出し、「満州事変」から「第二次世界大戦」へと繋がってゆくのです。
不況とともに、理想郷も衰退
鵜原理想郷も、こうした不況により金持ち達が資金不足に陥ったことで、恐らくではありますが、別荘やホテル・旅館、海水浴場などの設備を維持・管理するのが難しくなり、衰退を余儀なくされてしまったものと思われます。
不況になると、どうしてもそれまでのお金の使い方を考えさせられますよね。
例えば、これまでムダな支出は無かったか、贅沢しすぎていなかったか、などです。
また、東京からもっとも遠い、房総半島の南端部分にあたるこの地域は、世の中が一度不況になるとなかなか来づらい地域になってきます。
なので衰退していまうのも、ある意味仕方なかったのかもしれません。
房総半島南東の街・勝浦市に到着
鵜原駅を出て東へ進むと、やがて、
- 勝浦駅(千葉県勝浦市)
に到着します。

勝浦駅(千葉県勝浦市)
千葉県勝浦市は、房総半島の南東の海岸沿いにある街になります。
ちなみに、紀伊半島の南東にも
- 紀伊勝浦駅(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
があるため、同じ「勝浦」でイメージが被ります。

紀勢本線・紀伊勝浦駅(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
実際、千葉県勝浦市と、和歌山県・那智勝浦町は、お互いに交流があるそうです。
海に近く、漁業も盛んな勝浦市

勝浦の海(千葉県勝浦市)
勝浦市は、主に漁業が盛んであり、とくにカツオの水揚げはかつて1990年には日本一になったこともあります。
ちなみに、勝浦漁港の水揚げ量は、銚子漁港に続いて、県内2位となっています。
勝浦の街で賑わってきた「勝浦朝市」
また勝浦市内には、歴史的に賑わってきた朝市である「勝浦朝市」もあります。
朝市とは、簡単にいうと朝のみ開く市場のことをいいます。
なぜ朝のみに開かれているのかというと、昔は
- 「二日市」
- 「四日市」
- 「五日市」
などという風に、毎日いつでもお店をやっている、というわけではなかったわけです。
つまり、
という形式だったようです。
このように、ある定期的に開かれる市場のことを、定期市といいます。
また、例えば三重県四日市市などのように、地名として定着しているケースもあります。
現在と昔では、「買い物」の常識がそもそも異なっていた
しかし時代ともに、消費人口(買い物をする人の数)が増えていくことになり、こうした定期的に開かれるだけの定期市では足りなくなってゆきます。
それにともなって、現在のようないつでもどこでも買い物できる形になっていったものと思われます。
朝市が一般的だった時代には、もし
- 朝の買い物を逃してしまった
- その日のうちに、買い物が出来なかった
としたら、食事が作れなくて、途方に暮れる、といったことが普通だったのでしょう。
現在の我々の常識(24時間365日のコンビニがある)からすれば信じられないような感じもしますね。
しかし、今よりも人口が少なかった昔の常識では、それが当たり前だったわけですね。
逆に、当時の人々からすれば、現代の24時間365日のコンビニというものがある方が信じられない、という感じになるでしょう。
現在のコンビニとは全く異なるような、まさに朝に繁盛して賑わっていた朝市が勝浦では歴史的に栄えてきたというわけです。
「朝市」は、他にも
- 北海道函館市にある「函館朝市」
- 石川県・能登半島の輪島市にある「輪島朝市」
- 岐阜県高山市にある「宮川朝市」
などが有名になります。
移住先として人気に!?夏でも涼しい勝浦市
房総半島の南東端にある勝浦市は、夏ではとても涼しい気候のため、近年では移住先としてもとても人気があるそうです。
都会・首都圏での夏の暑くてたまらない暮らしに耐えかねた人々が、涼しい場所を求めて、勝浦市に引っ越してくるというケースが増えているとのことです。
そのため、勝浦の街では一気に若い年代の人々や家族連れの方々が増え、活気が増しているということです。
素晴らしいことですよね。
次回は、御宿・上総一ノ宮方面へ

勝浦駅を出発する筆者(千葉県勝浦市)
勝浦駅を出ると、次は徐々に房総半島の東海岸を北上してゆき、
- 御宿
- 上総一ノ宮
- 茂原
- 大網
方面へと向かってゆきます。
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