かつて静岡県沼津市・西浦の海に停泊していたスカンジナビア号(旧ステラ・ポラリス号)の歴史について、わかりやすく解説してゆきます!
ステラ・ポラリス号から、スカンジナビア号へ

かつてスカンジナビア号(旧ステラ・ポラリス号)が停泊していた、沼津・西浦の海(静岡県沼津市)
前回で、今回解説するスカンジナビア号の原型となる、ステラ・ポラリス号について解説しました。
ステラ・ポラリス号については、以下の前回の記事でも解説していますので、まずはこちらをご覧ください。

日本・沼津の海にやってくる ホテルとしての営業を開始

かつて沼津・西浦の海で、ホテルおよびレストランとして経営していたスカンジナビア号(静岡県沼津市)
老朽化のために豪華客船としての運用ができなくなった(船としてはもはや使い物にならなくなった)ステラ・ポラリス号は、その翌年の1970年になって、ヨーロッパから日本の沼津・西浦の海にやってきました。
当時既に伊豆・箱根地方でリゾート地の開発や運営を行っていた伊豆箱根鉄道により、5億円で買い取られる形となったのでした。
豪華客船としての運用ができないのなら、ホテルとして活用
すなわち、
という構想のもとで、伊豆箱根鉄道のホテル事業として、使われていくことになったのでした。
船としても、「ステラ・ポラリス」の名前も使用できず
そのときに、ヨーロッパの会社と伊豆箱根鉄道との契約条項(約束ごと)の中には、「ステラ・ポラリスの、船としての継続使用は認めません」 という内容が含まれていました。
それは先述の通り、もし豪華客船としてそのまま使用したら先程の条約違反となるので、当然といえば当然でしょう。
そして、恐らくその規約では「ステラ・ポラリスという名前も使えない」という規定があったもの思われます。
なので、日本にやってきたタイミングで「スカンジナビア号」に改められました。
先述の通り、もはや「船」としての運営はやっていけないため、今度は「ホテル」としての転用・代用・運営がなされることになったのでした。
伊豆箱根鉄道が関連するこの会社は、既に箱根・伊豆地方でのリゾート事業の経験・実績があり、ホテルの仕事にはかなり慣れていたのでした。
そのため、そのノウハウや知識を生かしていこう、という形でホテル運営をやっていこうとしたわけですね。
ちなみに、伊豆箱根鉄道のような鉄道会社が、なぜリゾート事業までやるの?については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「スカンジナビア号」と改め、日本・沼津で「豪華ホテル」として第二の人生を進むことに

かつてスカンジナビア号(旧ステラ・ポラリス号)が停泊していた、沼津・西浦の海(静岡県沼津市)
こうして、ステラ・ポラリス号は、人生の半分をヨーロッパをかけめぐる「豪華客船」として過ごしてきたわけですが、残りの第二の人生を「スカンジナビア号」として、日本・沼津で「豪華ホテル」としてのキャリアを歩むこととなったのです。
日本の沼津にやったきたスカンジナビア号は、ホテル・レストランとしての経営を開始し、人気となりました。
それはかつて「七つの海の女王」とまで呼ばれたスカンジナビア号の姿が、沼津・西浦の海と、富士山とのコラボ(景観)とで美しかったことが人気の一つの要因となっていたことです。
そして観光客や、沼津・西浦の地元の人々にとってはシンボル的な存在になっていきました。
もはや地元には欠かせない存在になっていったわけです。
バブル崩壊後 苦境へ(スカンジナビア号)
日本・沼津にやってきてからのホテルとしての経営は、とても順調にいっていました。
特に昭和後期には「バブル景気」で国民はみなお金を持っていたため、多くの人々がスカンジナビア号に宿泊し、リゾート気分を満喫していたのでした。
令和の現代の我々からすれば、羨ましい限りかもしれません。
不景気になると、人々の娯楽費用は真っ先に削られていく
しかしバブル崩壊後は、一気に苦境に立たされてしまいます。
不景気になると世の中の人々は「生活費」以外の支出は出し渋るようになったため、リゾートなどの娯楽費用は真っ先に削られていくことになります。
すると必然的に、全国のホテル業界は一気に苦境に陥ってゆくことになるのです。
ホテル事業は廃止、「レストラン経営」へ移行
そして、スカンジナビア号もその例外ではなく、ホテル事業ではもはや立ちゆかなくなったため、やむを得ずホテル事業は廃止することになります。
そして「レストラン経営」へと移行してゆきました。
レストラン経営の方が、施設の維持管理がホテル営業に比べて楽かつコストが抑えらるための判断だったのかもしれません。
ホテル事業だと24時間体制で大変な上、スタッフの人件費も大変なことになりますからね。
老朽化激しく 維持費高騰でレストラン営業が無理ゲーに
しかしスカンジナビア号は、この時点で既に建造後70年以上が経過しています。
そのため老朽化がかなり著しく、巨大な船体の「維持管理コスト」がとてもかかってしまい、その膨大な出費がレストランの経営すらも圧迫するようになっていました。
ただでさえバブル崩壊でなかなかお客様が来づらいのに、古くなった船の維持管理費用のために経営が圧迫されるようになっていたのです。
やがて「不採算事業」として扱われるようになり、
と判断されるという状況に陥っていました。
やむを得ず「レストラン営業の廃止」を決定
ついには、 「レストラン営業の廃止」 および 「船の売却」 がマスコミに対して発表されることになったのです。
もうバブル崩壊の不景気で客も来てくれないし、修理・維持費がとても高くつくし、もはやこれ以上レストラン経営は続けられないから、いっそのこと「船ごと誰かに売ってしまおう」という判断・発表がなされたわけです。
既にこの時点で、もはや「地元民のシンボル」へ
しかしながら「スカンジナビア号」はこの時点で、もはや「地元民のシンボル」のような存在になっていました。
つまり、地元に無くてはならないほど重要な存在感を誇っていたわけです。
したがって、いくら使い物にならなくなったからといって、売却されて船ごとどこかへ持っていかれるのは、地元民にとってはちょっと受け入れがたいことです。
地元有志の方々による、懸命な保存活動
なので、地域住民の有志たちからは
「海洋文化財(地元民の宝物)として、このまま地元に残すべきだ!」
などといった声が多く集まるようになります。
そこで地元民たちは、シンポジウム(=意見を集める会のこと)を開催したり、また保存を要望するための「署名」を人々からたくさん集めたりして、スカンジナビア号を所有する伊豆箱根鉄道株式会社へと持参して提出したのでした。
このように地元の有志たちによって、
という強い想いから、懸命な保存に向けての運動が繰り広げられたのです。
努力むなしく 「レストラン営業終了」と「船の売却」が正式決定
しかしながら、そうした懸命な保存活動の努力もむなしく、2005年にレストラン営業は終了となり、また「船をどこかへ売却する」ことも正式に決定されたのでした。
ちなみに令和の時代には、先述のアニメの舞台となった学校である沼津市立長井崎学校は、地元民による存続のための懸命な努力により、廃校にはならずに「小中一貫校」として存続になっています。
こちらはアニメ効果もあってか、「地元のシンボル」の学校の存続に成功したわけです。
難航した転売ののち、母国・スウェーデンへ戻ることが決定(スカンジナビア号)
転売・売却が決まったスカンジナビア号ですが、ここまで何度も説明してきた通り、この時点ではかなり老朽化しており、ちょっとやそっとじゃ買い手がつかない状況に陥っていました。
そもそも「船」なのに「船」としての使用・利用ができないという時点で、どこの国の会社もそう簡単には買ってくれなかったことと思います。
そんな転売が難航する中、約1年ほど経って、ようやく母国である北欧・スウェーデンの会社への売却が決定しました。
老朽化のため、大規模な改修なしにはまともに航行もできなかった
スカンジナビア号はこの2006年の時点では老朽化が著しいどころか、大規模改修なくしては船としての運行すらできません。
その理由は、前述の通り条約に定める最新の規格を満たしていないからです。
なので、まずは中国・上海(シャンハイ)まで別の船で引っ張ってもらって連れてゆき、上海にて大規模改修のための工事を行い、新しくリニューアルされたところで母国・スウェーデンまで自力で海を進んで帰る、という壮大な計画でした。
約35年間、長年にわたって地元民に親しまれただけあって、母国・スウェーデンへと帰らなければならないことに、名残惜しい思いをした地元民たちもいたことでしょう。
2006年、ついにお別れの「出航式」
そして2006年8月31日、伊豆箱根鉄道の社長さんや、沼津市長らが参加・出席して、船出するための「出航式」が行われました。
そして曳航(別の船に引っ張られる)されるという形で、沼津を出航してゆきました。
先述の通り、自力では動くことができなかったので、曳航という形で、別の元気な船に引っ張ってもらっていったわけですね。
ちなみに「曳」は、「引」の旧字体です。
まずは上海での大規模改修のあと、スウェーデンへ戻る予定だった
そして、大規模改修のために、まずは中国・上海を目指すことになります。
というのも、おそらくですが日本では思うように修理することができなかったものと思われます。
この時点で既に約80年前の船であり、しかも外国で造られた船だということもあり、さすがにそんな古い外国の船を治せるような専門的知識を持った技術者は、既に日本には存在しなかったということでしょう。
なので恐らく、まずは中国・上海で大規模改修を行い、そして自力で動けるように修理しようとしたものと思われます。
本来の予定では、まずは約1週間後の9月7日に中国・上海で大規模改修をして、自力で動かせるようにした後、次にはるか北欧・スウェーデンにたどり着いて、再び「ホテル兼レストラン」として営業する予定でした。
しかしそれは、後述の通り叶わないものとなってしまいます。
和歌山県・紀伊半島沖にて沈没 79年の生涯に幕
日本・沼津を出港したスカンジナビア号でしたが、この後、事件が起きます。
あまりにも船体が老朽化していたため、激しい波打ちに耐えることができず、和歌山県・潮岬の沖合いの海に沈没してしまったのです。
老朽化のため、和歌山・潮岬の沖で船が傾き始めた
というのも、曳航(別の船に引っ張られること)中の9月1日、夜21時頃に、なんと船体が左に傾きはじめてしまったのです。
その約2時間後に和歌山県・串本町潮岬の、西側の入江にいったん退避し、様子をみることにしました。
串本町とは、和歌山県最南端(いやむしろ、本州最南端)の町になります。
潮岬は、串本町にある、本州最南端の地になります。
しかしスカンジナビア号の傾斜はいっこうにおさまらず、徐々に浸水して(水につかって)ゆき、船体が丸ごと沈み始めていってしまいました。
和歌山・潮岬の沖で沈没 犠牲者は出ず
そして日付が変わり、9月2日深夜、午前1時30分頃になって、ここでスカンジナビア号は再び沖合いに向かうこととなります。
これはおそらくですが、後述するように、「どうせ沈むかもしれない巨大な船体を沿岸に近づけると、沈没したときに串本町に対しても迷惑になるだろう」と判断されたものと思います。
その後、スカンジナビア号の傾斜および浸水の状況は改善することはなく、深夜・午前2時頃に、潮岬から約3kmほど離れた沖の、海底72mの深さの位置に沈没してしまいました。
ここに79年間、活躍の場と名前を変えて活躍し続けたステラ・ポラリス号(スカンジナビア号)は、和歌山県の沖にてその生涯を終えたわけです。
そしてついには、母国・スウェーデンには帰ることが出来なかったのでした。
ちなみにスカンジナビア号はあくまで「別の船に引っ張られていた」という状態なので、誰も乗ってはおらず、犠牲者は出てはいません。
地元住民のへの配慮か、わざと沖合いで沈没させた
そしてわざと沖合いで沈没させた理由については、もし沈んでしまった場合、巨体ゆえになかなか回収できず、巨大な船体が海に沈んだままの状態だと町民や漁村に迷惑がかかるから、と判断されたものと思われます。
なので完全に沈んでしまう前に、沖合いへと引っ張っていったのでしょう。
また、船の中にはたくさんの様々な高級美術品なども残っていたようでしたが、それらも残念ながら、船と運命を共にしてしまいました。
西浦に来たときは、スカンジナビア号の「夢のあと」を偲んでみよう

かつてスカンジナビア号(旧ステラ・ポラリス号)が停泊していた、沼津・西浦の海(静岡県沼津市)
当時からスカンジナビア号に馴染みのある方であれば、今はなき美しい「女王」の姿が、西浦の海をみればきっと富士山の背景・バックとともに思い浮かぶのでしょう。
西浦に来たときは、こうしたスカンジナビア号(ステラ・ポラリス号)の昔のあとをしんみり偲ぶのもよいかもしれません。
ウルトラマンA 第20話にも、ステラポラリス号と沼津・西浦の海が登場

かつてウルトラマンAの舞台ともなった、スカンジナビア号の停泊していた西浦の海(静岡県沼津市)
1972年放映の特撮番組「ウルトラマンA(エース)」の第20話「青春の星 ふたりの星」というエピソードにおいても、スカンジナビア号と、ロケ地となった沼津・西浦の海が登場します。
物語は、スカンジナビア号がこの海にやってきた1969年の3年後という設定になっており、当時の沼津・西浦の景色と、当時のスカンジナビア号の中の風景が、リアルに写し出されているという貴重な映像になっています。
「ウルトラマンタロウ」の主役・東光太郎役を演じた篠田三郎さんのゲスト出演
そしてこの回は、後の「ウルトラマンタロウ」で主役・東光太郎役を演じた篠田三郎さんが、「篠田一郎」という役でゲスト出演されています。
こちらは、次作の「ウルトラマンタロウ」の出演に備えて、「篠田さんに現場の雰囲気を知ってもらいたい」という番組側の意向から、出演が決まったのだそうです。
「タロウ」において東光太郎が白いマフラーをしているのは、この出演のときに(Aの主役・北斗星司役を演じた)高峰圭二さんが白いマフラーをつけているのを見て、真似したくなったから、ということです。
「自らの手で船を動かしたい」熱い男の物語
ここまで説明してきた通り、スカンジナビア号はこの時点ではもやは船としては動かなくなっており、ホテル経営となっていました。
しかし、船で働いていた篠田は、そんな動かなくなったスカンジナビア号を「いつか動かしたい」という願いを込めていました。
そんな熱血漢を、若き篠田三郎さんは演じられたわけですね。
私(筆者)は、ラブライブのみならず、ウルトラシリーズのファンでもあります!
おまけトーク アニメの力は偉大だ
沼津・内浦のこの地域に来れば、いつもAqoursの曲が頭を流れます。
とても元気付けられています。

バスで帰路へ(静岡県沼津市)

バスで帰路へ(静岡県沼津市)
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
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