飯田線の旅12(最終回)飯田→駒ヶ根→伊那→辰野 諏訪湖へ

南アルプス(赤石山脈)を右に走る(飯田線の車窓より)(長野県)

この全12回にわたって解説してきた「飯田線の旅」シリーズも、今回で最終回となります!

飯田(いいだ)→駒ヶ根(こまがね)→伊那市(いなし)→辰野(たつの)

といった行程で進んでゆきます!

南アルプス(赤石山脈)を右に走る(飯田線の車窓より)(長野県)

その地域の観光を楽しむための歴史などの知識を、わかりやすく解説してゆきます!

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飯田駅を出て、駒ヶ根方面へ

飯田駅(いいだえき、長野県飯田市)を出るとさらに北上し、駒ヶ根(こまがね)方面へ向かってゆきます。

途中、本当にたくさんの駅を過ぎて行きます。以下、主要と思われる駅をピックアップします。

  • 伊那上郷駅(いなかみさとえき、長野県飯田市)
  • 元善光寺駅(もとぜんこうじえき、長野県飯田市)
  • 市田駅(いちだえき、長野県下伊那郡高森町)
  • 伊那大島駅(いなおおしまえき、長野県下伊那郡松川町)
  • 伊那本郷駅(いなほんごうえき、長野県上伊那郡飯島町)
  • 飯島駅(いいじまえき、長野県上伊那郡飯島町)
  • 田切駅(たぎりえき、長野県上伊那郡飯島町)
  • 伊那福岡駅(いなふくおかえき、長野県駒ヶ根市)

などのたくさんの駅を進んでゆきます。

元善光寺駅(長野県飯田市)
飯島駅(長野県上伊那郡飯島町)
伊那福岡駅(長野県駒ヶ根市)

松川町(まつかわまち)と飯島町(いいじままち)が、下伊那郡(しもいなぐん)と上伊那郡(かみいなぐん)との境目になっています。

飯田線はとにかく駅の数が多いため、少し進むとすぐ次の駅みたいな感じになります。

飯田線の駅が多い理由は、前回の記事で解説しているため、ご覧ください

飯田線の旅11 飯田駅に到着 将来のリニア駅の街 伊那谷を北上

線路は大きく弧を描く

また、飯田線は(特にここから先の区間は)とてもカーブの多い区間になります。これは前回解説した通り、伊那谷(いだに)特有の田切地形(たぎりちけい)と、また明治時代に伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)という私鉄会社から始まった路線だから、という事情が関係してきています。

伊那谷の険しい田切地形をゆく(飯田線の車窓より)(長野県)

飯田線にカーブが多い理由についての詳しくは、同じく前回の記事をご覧ください

飯田線の旅11 飯田駅に到着 将来のリニア駅の街 伊那谷を北上

西にそびえる、中央アルプス(木曽山脈)の山々

飯田線をずっと北上していくと、西には中央アルプス(木曽山脈)の山々がそびえ立ちます。

中央アルプス/木曽山脈(飯田線の車窓より)(長野県)

中央アルプス(木曽山脈)は、日本の三大アルプスの一つです。

  • 北アルプス(飛騨山脈):新潟県・富山県・長野県・岐阜県にかけてまたがる山脈。最高峰は奥穂高岳(おくほだかだけ)の標高3,190mで、日本第3位の高さ。
  • 中央アルプス(木曽山脈):長野県の木曽谷(きそだに)と伊那谷(いなだに)にまたがる山脈。最高峰は木曽駒ヶ岳(きそこまがまけ)の標高2,956mで、日本第25位の高さ。
  • 南アルプス(赤石山脈):長野県・山梨県・静岡県にまたがって連なる山脈。最高峰は北岳(きただけ)の標高3,193mで、日本第2位の高さ。
中央アルプス/木曽山脈(飯田線の車窓より)(長野県)

中央アルプス(木曽山脈)は、西側に木曽川(きそがわ)の流れが削ってできた峡谷である木曽谷(きそだに)があり、ここに昔の旅人たちが通ってきた中山道(なかせんどう)、また鉄道の線路である中央本線中央西線)、そして木曽谷のメイン道路である国道19号が走っています。そして中央アルプス(木曽山脈)の東側が、ここ飯田線国道153号が走る伊那谷(いなだに)というわけです。

言い換えれば、中央アルプスの向こう側は木曽谷(木曽路)というわけです。

最高峰の木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ、標高2,956m)は、江戸時代から「山の神様を信仰する」という目的で登山する、ということが盛んに行われてきました。昔は(今でも)「山には神様が宿る」と信じられてきたのです(山岳信仰)。特に「高い・大きい・美しい・インパクトある」などの要素が揃っている山は、ほぼ山岳信仰の対象になっています(もちろん富士山もその例外ではありません)。

東にそびえる、南アルプス(赤石山脈)

また、木曽山脈とは反対側の東側には、南アルプス(赤石山脈)などの山々がそびえ立ちます。

南アルプス/赤石山脈の景色(飯田線の車窓より)(長野県)

南アルプスは甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ:標高2,967m)の山々が印象的で、最高峰は先述の通り、日本第2位の北岳(きただけ:標高3,193m)です。

両アルプスのふもと・駒ヶ根市

駒ヶ根市・南アルプスの眺め(飯田線の車窓より)(長野県)

アルプスを横に北上すると、やがて駒ヶ根駅(こまがねえき、長野県駒ヶ根市)に着きます。

駒ヶ根駅(長野県駒ヶ根市)

長野県駒ヶ根市(こまがねし)は、また、先述の木曽駒ヶ岳甲斐駒ヶ岳両方の駒ヶ岳のふもとにある街であることから、このような地名になっています。

駒ヶ根市は、飯田市(いいだし)や伊那市(いなし)などとともに、伊那(いな)地方における重要な街となっています。

高遠城を最期まで守り抜いた、仁科盛信

駒ヶ根駅をさらに北上すると、伊那市(いなし)のエリアに入ってゆきます。

伊那市駅(長野県伊那市)

伊那市駅(いなしえき、長野県伊那市)の東には、高遠城(たかとおじょう)のあとがあります。

高遠城(たかとおじょう)は、戦国時代に武田勝頼が「長篠の戦い」において織田信長に敗れ、これがきっかけで味方に次々に裏切られていくなか、最期まで武田勝頼の味方について戦った仁科盛信(にしな もりのぶ)が無念にも討たれた場所として知られます。

1575年の「長篠の戦い」で織田信長の鉄砲隊の前に無惨にも敗れてしまった甲斐・山梨のトップである武田勝頼(かつより)は、この戦いで約10,000名にもおよぶ犠牲者を出してしまい、地元の甲斐・山梨に対して大きなショックを与え、その後急速に衰退してゆきました。味方にもどんどん裏切られてしまい、仲間は次々にいなくなってゆきました。

長篠の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

飯田線の旅5 大海→鳥居→長篠城 織田信長・武田勝頼「長篠の戦い」の舞台

一方、勝利した織田信長徳川家康の側はどんどん勢いづいてゆき、彼らの拠点である岐阜・愛知・静岡から甲斐・山梨へと向かって、織田・徳川の軍が次々に攻めてくるのです。

それに伴って高遠城(たかとおじょう)は、武田側にとって織田・徳川の勢力を防ぐための重要な軍事拠点となっていきました。もしここが落とされると、次は諏訪(すわ)まで攻めて来られ、諏訪まで乗っ取られるとさらに甲府(こうふ)まで攻めてくることが現実的となってしまいます。

また武田勝頼は、甲府にあったそれまでの武田氏の拠点だった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を捨てて、(より諏訪・高遠に近い)甲府からやや北西の新府城(しんぷじょう)へと拠点を移したのでした。
しかしこの築城作業は、とても金と人手のかかる作業であり、結局は完成することなく、仕方なく勝頼は作りかけの城を焼き払って捨て、再び甲府側に逃げています。

新府城については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

中央線鉄道唱歌 第28番 甲府を出て、竜王・韮崎・新府を登ってゆく やがて日野春、小淵沢へ

このとき、勝頼の異母弟(異なるお母さんから産まれた弟)であった仁科盛信(信盛)に対して命じ、高遠城のトップを任せたのでした。

1582年2月になると、織田信長は武田氏の本拠地である甲斐国・山梨県に対する侵攻(甲州征伐)を、いよいよ本格的に開始したのでした。
そして織田信長は、長男の織田信忠(のぶただ)に対して約3万の大軍を与えて、高遠城へと向かわせたのです。そして仁科盛信らのいる高遠城は、織田の軍に包囲されてしまったのでした。

高遠城にこもって籠城(ろうじょう)していた兵士の数はわずか約3,000人であり、もはや落とされるのは時間の問題でした。
仁科盛信は、織田信忠からの「降伏せよ」との勧告・命令を突っぱねてしまい、降参することなく最期まで徹底的に抗戦したのでした。
しかしながら、必死の奮闘もむなしく高遠城にいた軍隊は玉砕してしまいました。

そして仁科盛信は無念にも戦死してしまい、敗れた高遠城はここに落城したのでした。

仁科盛信(もりのぶ)は、武田勝頼から味方がどんどん裏切っていくなかで、最後の最後まで主君・武田勝頼に背かずに信念を貫き通したのでした。そのため、長野県歌「信濃の国」では、第5番の歌詞において長野県出身の偉人の一人として歌われています。ただし盛信は「信盛(のぶもり)」と呼ばれることもあり、「信濃の国」でも「信盛」と歌われています。

高遠城が落城したことにより、織田軍はさらに勢いづいて、山梨県に入ってゆきました。
武田勝頼は先述の通り新府城を焼き払って東へ逃げ、追い詰められ、ついには甲府の東の山地にある天目山(てんもくざん)において滅亡したのでした。

武田勝頼の滅亡については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

中央線鉄道唱歌 第18番 逃げ場を失った武田勝頼が滅びた、甲斐大和駅の東の天目山

伊那谷もかなり北に 辰野駅に到着

伊那谷北部からの南アルプスの眺め(飯田線の車窓より)(長野県)

伊那市駅を出ると、南箕輪村(みなみみのわむら)・箕輪町(みのわまち)を過ぎて、さらに北上してゆきます。

やがて、中央本線との分岐駅であり、飯田線の終着駅である辰野駅に到着です。

辰野町(たつのまち)は、伊那谷(いなだに)の北端に位置する町です。また辰野町は、古くから北の松本方面・南の伊那方面などとを結ぶ「交通の要衝」として発展してきたのでした。

明治時代に中央本線がここを通ったとき、伊那方面への鉄道を誘致できなかったため、危機感と「鉄道の必要性」をおぼえた地元の人々は「伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)」としてここから南へと線路を延ばしていったのです。
それが今の「飯田線」へとつながっているというわけです。

諏訪湖の景色

はるか南の豊橋駅(とよはしえき、愛知県豊橋市)からやってきた飯田線の旅も、ここにて終わりを迎えました。

諏訪湖の景色(長野県諏訪市)

諏訪湖(すわこ)の美しい湖の景色は、もはや目前です。飯田線の旅の達成感を感じますね!

飯田線の旅の終わり

辰野駅からの旅の選択肢は、以下のように数多くあります。

例えば、

  • 西へ向かえば木曽路(中央本線)で名古屋方面
  • へ向かえば中央本線で山梨県・東京方面
  • へ向かえば松本・長野・新潟方面

となります。

どこへいくもよし。素晴らしい鉄道の旅に感謝です。

このシリーズはここまでです。

お疲れ様でした!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

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