今回は「機関車(きかんしゃ)」とは何か?について解説してゆきます!!
トー◯スに関しての解説、じゃないよ!!

列車をひっぱるための、機関車
機関車とは、簡単に言えば「列車を引っ張るための車両」です。または、列車を「後ろから押すための車両」でもあります。英語では”locomotive”といいます。ちなみに”locomotion”とは、「移動」という意味です。
リトル・エヴァや、カイリー・ミノーグの曲ですね!
より具体的に言うと、機関車は、自身の車内に動くための装置(例えば、蒸気機関やモーターなど)をもっており、それによって自分の力では走ることができない他の車両を「前から引っぱる」、あるいは「後ろから押す」ことで、線路を進んでいくことを目的とした車両のことです。
つまり、自分の力では動けない車両(例:客車や貨車、故障車など)を、前から引っ張って(あるいは、後ろから引っ張って)進むための車両となります。また、故障した車両や、回送列車などを引っ張るという役割があったりするわけです。
客車(きゃくしゃ)とは、お客様を乗せることに特化した車両のことです。蒸気機関車が一般的だった昔は、人々はこの「客車」に乗るのが基本でした。
貨車(かしゃ)とは、荷物を載せるための車両のことです。明治時代は、主に石炭などを運んだりしました。
どちらも、自力では動くことはできません。機関車に引っ張られることで、初めて動きます。
その他にも、電気方式の違い(例えば、直流や交流など。もっといけば、「直流仕様」の列車が、交流区間の線路を走るときなど)によって走れないときにも、機関車は使われます。
他にも機関車を使うシチュエーションとしては、例えば回送列車のときに、または何らかの理由(故障など)により自力で走るとことができない場合などに、機関車で引っ張るという場合があります。
他にも、峠道や山岳地帯などで勾配がきつくて登れないときの、パワーアップの手段としても使われます。例えば、機関車わずか1両だけで引っ張るとパワーが不足するというような場合には、補助機関車(補機)を列車の一番後ろに連結して、後ろから列車を押すということをさせるわけです。
つまり補助機関車を付け足してパワーアップすることで、坂を登りやすくするというわけです。鉄道は坂道に弱いため、まだトンネルを掘る技術が発達していなかった昔は、きつい勾配の峠道を越えていかなければならないケースも多かったのです。
そんなとき、峠のふもとで補助機関車(補機)をつけたり、また(山や峠を降りてきた時は)外したりしていたわけです。
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蒸気・軽油(ディーゼルエンジン)・電気など、様々な力で動く機関車
機関車は「引っ張る側」の車両なので、当然ですが自分の力で動ける必要があります。そのための動かす力(エネルギー源)には、「蒸気(石炭+水)」「軽油」「電気」などがあります。
- 蒸気(石炭+水)で動く機関車:蒸気機関車
- 軽油(ディーゼルエンジン)で動く機関車:ディーゼル機関車
- 電気で動く機関車:電気機関車
蒸気機関車は、たくさんの石炭と水を積んで走らなければならないため、車両の重量が大きくなってしまいます。しかし、電気機関車はそのような必要がないため車両の重量は小さく(軽く)なります。
ディーゼル機関車は、軽油を使うため燃料のコストが安いのと、電車と違い電気設備の導入が不要なため、そのぶんコストが安くなります。しかし大気中に大量のガスを排出するため、環境面で問題あるなどのデメリットがあります。
明治時代に機関車が重宝された理由
では、なぜ機関車が発明されたのか。
それはかつて、石炭を運ぶためでした。
明治時代になると、当時の日本は何を動かすのにも石炭が必要でした。
蒸気機関車はもちろんのこと、蒸気船(=蒸気機関車と同じく、石炭と水で動く船)にしても発電にしても、何をするにも石炭が必要だったのです。
石炭は、炭鉱という、山奥で掘り出した穴から産出されます。
こうして掘り出された石炭を、(石炭を必要とする)より遠くの場所へと運ぶために、機関車は発明されました。
つまり、石炭をたくさん載せて積んだ「貨車(かしゃ)」を引っ張るために、機関車は存在し、とても重宝されたというわけです。
もちろん、明治時代以降は鉄道は「より速く遠くへ行くため」の手段として、メジャーな移動手段になってきました。そして戦時中には兵士・武器・弾薬・食糧などを戦場へ運ぶためにも、国からとても重要視されました。
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明治時代~昭和にかけての蒸気機関車(SL)
「SL」とは、いわゆる「Steam Locomotive」の略です。
Steam:蒸気(スチーム)のこと
locomotive:機関車のこと
蒸気機関車は、石炭を燃やしまくって、大量の水を沸騰させます。そのときに発生した水蒸気のエネルギーによって、機関車を動かします。
日本の蒸気機関車のなかでも、最も数多く製造されたのは、D51形蒸気機関車です。
D51は「デーごじゅういち」と読むため「デゴイチ」とも呼ばれます。
D51形蒸気機関車は、戦時中の1936年から1945年にかけて製造された、大型の機関車であり、通算で1,115両が製造されました。戦争中に兵士・武器・弾薬・食糧などを大量に運ばなければならないという当時の国家からの需要に対応するため、長い期間にわたって製造されてきたのでした。

機関車を発明した、イギリスの偉人
1802年、イギリスの機械技術者であるリチャード・トレビシックが、イギリス・ウェールズの製鉄所で、人を載せて走ることができる蒸気機関車の原型のようなものを作ったのでした。
これが「世界初の蒸気機関車」とされています。
1802年というと、日本ではまだ江戸時代です。江戸時代の日本はまだ東海道にはじまる五街道が長距離移動(旅)の基本であり、「徒歩」または「馬」、大名であれば「駕籠(かご)」によって担(かつ)がれての移動が基本でした。このときはまだ鉄道はおろか、「自転車」ですらタイムマシンで当時の日本に持っていってあげたら人々に大喜びされたであろう時代です。
ちなみにウェールズとは、イギリスの四つの国のうち、西にあたる地域のことをいいます。イギリスは、実はイングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランドという、4つの国からなる連合国家(United kingdom:UK)となっています。このうち、最初の3つの国は、イギリスのメインの大きな島であるグレートブリテン島にあります。
鉄道の発明にも大きく影響した、イギリスの産業革命
イギリスは18世紀の後半に、世界初の産業革命を起こしました。これにより、機械によって大量生産ができるようになったというわけです。
それまでは手による工業であり、大量生産による価格下げなどは、とても難しいものでした。
しかし機械の力で大量生産をすることで、モノの値段を安くすることができ、競争でも優位になり勝てるようになります。
そんな産業革命を世界で初めて成し遂げたのが、イギリスだったというわけです。
そして、この産業革命は、鉄道の発明・発展にも大きく寄与してゆきます。
イギリスは、世界中から原材料を輸入し、当時としては最先端の機械によって「原料」を「製品」に変え(これを「加工」といいます)、世界中に輸出して大きな利益を挙げるというビジネスに成功してゆきました。このことから、イギリスは「世界の工場」とも呼ばれるようになりました。
産業革命においては、紡績(繊維を加工して糸をつぐむこと)などの工業を行うための機械に、動力として「蒸気機関」が使われるようになったのでした。これによって、それまでの手でやっていた工業と比べて、圧倒的に生産性アップです。つまり、より少ない時間・労力で、大量に生産できるようになったのでした。
蒸気機関が次々に発展していくと、「蒸気機関車」や「蒸気船」などが発明されてゆき、交通手段よりが発達していったのでした。
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本格的な蒸気機関車を発明した、ジョージ・スチーブンソン
さらに10年ほど経ち1814年、ジョージ・スチーブンソンが、石炭輸送のための実用的な蒸気機関車を設計しました。それまでのリチャードの蒸気機関車は「人がようやく乗れる」ものでしたが、ジョージによるものは「石炭をバンバン積んで運べる」という、本格的に石炭を運べる蒸気機関車を作ったというわけです。これを自宅裏の作業場において製作し、1814年に初めて走行することに成功しました。
この蒸気機関車は、時速6.4kmの速さで坂を上ってゆき、しかも30トンもの量の石炭を運ぶことができたのでした。
これは1853年にペリー率いる黒船がやってきて初めて日本に鉄道が伝わる、約40年も前の話でした。そして日本で初めて鉄道が開業したのは1872年なので、当時のイギリスはどれだけ進歩してたんだと思うと凄いですよね。
しかし、日本の新幹線の技術はイギリスに輸出されていたりするので、日本の技術もこれまた凄いのです。
ジョージ・スチーブンソンは本格的な蒸気機関車を発明した人物としてとても名高く、冒頭で少し述べた「ロコモーション号」を1825年に発明しています。
現在のSL(蒸気機関車)は、どんなものがある?
現代でも走るSL(蒸気機関車)には、たとえば以下のようなものがあります。
- SL冬の湿原号
- JR北海道、釧網本線(せんもうほんせん)・釧路駅(くしろえき、北海道釧路市)~標茶駅(しべちゃえき、北海道川上郡標茶町)
- 普通列車
- C11形
- SLばんえつ物語
- JR東日本、磐越西線(ばんえつさいせん)・新津駅(にいつえき、新潟県新潟市秋葉区)~会津若松駅(あいづわかまつえき、福島県会津若松市)
- 臨時快速列車
- C57形、屈指の保存状態の良さ。
- SLみなかみ号
- JR東日本、上越線・高崎駅(たかさきえき、群馬県高崎市)~水上駅(みなかみえき、群馬県利根郡水上町)間
- 臨時快速列車
- D51形・C61形
- SLもおか号
- 真岡鐵道(もおかてつどう)、下館駅(しもだてえき、茨城県筑西市)~茂木駅(もてぎえき、茨城県芳賀郡茂木町)
- C12形
- パレオエクスプレス
- 秩父鉄道(ちちぶてつどう)、熊谷駅(くまがやえき、埼玉県熊谷市)~三峰口駅(みつみねぐちえき、埼玉県秩父市)
- SLかわね路号
- 大井川鐵道(おおいがわてつどう、静岡県)
元々は戦前の軍事輸送のために開発されたSL車両が、現在でも良好な状態かついつでも走れる状態で保存(動体保存)され、残されています。
蒸気機関車の環境問題
ここでは、蒸気機関車の負の側面についても扱っておきます。
蒸気機関車は、たくさんの有害な煙やガスなどを排出してしまうため、これまでにも大気汚染など、様々な環境問題を引き起こしていました。
- 蒸気機関車は石炭を大量に燃焼するため、不完全燃焼を起こして大量の煤(すす)を発生させる。煤は吸い込むと、ぜんそくなど健康に害をもたらす。
- 煤煙には硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)などの不純物が含まれており、これが大気に放出されてしまう(これらは四日市ぜんそくの原因にもなった)。これが、大気汚染や酸性雨などの原因となります。
- 蒸気機関車の煙は、運転士や乗客だけでなく、沿線住民の健康にも深刻な被害を与えてきました。また、トンネルに入ったときに、トンネル内で煙が充満してしまい一酸化炭素中毒に陥ってきたケースもあります。
※蒸気機関車のネガキャン(ネガティブキャンペーン)を行う意図はありません。また、蒸気機関車の地球環境への影響を配慮した、新たなエネルギー源が研究されていたりもします。
まとめ:蒸気機関車
以下、機関車について簡単にまとめます。
- 機関車とは、自力で動けない車両を引っ張るための車両である
- きつい坂道を登るとき、さらに前・後ろに追加される補助機関車(補機)というものもある
- 蒸気機関車は、石炭を燃やして水をふっ騰させたときに生じる蒸気の力で動く
- 蒸気機関車は、石炭などを大量に運ぶために、19世紀前半のイギリスで発明された
- イギリスの産業革命は、鉄道の発展にも大きく貢献した
- 今でもSLは、各地で動体保存され、観光用の「臨時列車」などとして一部で動いている
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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