まずは原文から!
駿州一(すんしゅういち)の大都會(だいとかい)
靜岡(しずおか)いでゝ阿部川(あべかわ)を
わたればこゝぞ宇津の谷(うつのや)の
山きりぬきし洞(ほら)の道
さらに読みやすく!
駿州一(すんしゅういち)の大都会(だいとかい)
静岡(しずおか)いでて阿部川(あべかわ)を
わたればここぞ宇津の谷(うつのや)の
山きりぬきし洞(ほら)の道
さあ、歌ってみよう!
♪すんしゅういちの だいとかいー
♪しずおかいでてー あべかわをー
♪わたればこーこぞ うつのやのー
♪やまきりぬきしー ほらのみちー
(東海道線)
沼津駅→富士駅→富士川駅→興津駅→清水駅→静岡駅→安倍川駅→焼津駅→藤枝駅→島田駅→掛川駅→袋井駅→磐田駅(旧・中泉駅)→天竜川駅→浜松駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ抜粋
清水駅からさらに西へ進み、静岡駅へ
三保の松原の観光を終え、清水駅(しみずえき、静岡県静岡市清水区)を出ると、やがて草薙駅(くさなぎえき、静岡県静岡市清水区)、東静岡駅(ひがししずおかえき、静岡県静岡市葵区)を過ぎて、静岡県の県庁所在地であり、また駿河国で最大の街でもある静岡市の中心駅、静岡駅(しずおかえき、静岡県静岡市葵区)に到着します。
静岡駅は新幹線のぞみ号こそ止まりませんが、ひかり号は止まる静岡県の中でも大きく重要な駅です。
ここから先の長旅に備え、静岡駅で休憩 「さわやかハンバーグ」などがおすすめ
青春18きっぷで東京から大阪(あるいはその先)まで安く移動している初心者の場合、静岡県内の移動は快速列車が存在しないため、過酷な移動になります。そのため、列車での移動に疲れたら無理をせず静岡駅で是非一度途中下車して、1時間程度の休憩を取られることを強くお勧めします。
静岡駅周辺は飲食店も多く、簡単な買い物できるため、休憩には是非オススメです。静岡県のご当地グルメ「さわやか」ハンバーグで食事を取られるのも良いでしょう。ただし、超人気で有名なので人が多いことにも注意しましょう。
駿河国の国府があり、「駿府」と呼ばれた静岡市
静岡県静岡市(しずおかし)は静岡県の県庁所在地であり、また南北に非常に長いので、北のリニアの線路も一瞬だけかすめます(これが静岡県のリニア問題に直結してきます)。
駿河国(するがのくに)の国府(こくふ)があったため、「駿府(すんぷ)」とも呼ばれます。国府とは、現在でいうところの県庁のようなもので、政治の中心的機関がおかれていた場所です。戦国時代には現在の駿府城があった場所に今川氏が館(やかた)を構えて支配していました。
しかし今川氏は1560年の桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で織田信長に敗れてしまったため、急速に衰退しました。
その後は甲斐国(かいのくに。現在の山梨県)を支配していた武田信玄に滅ぼされてしまいました。
徳川家康が幼少期と晩年を過ごした駿府・静岡市
また前々回説明したように、静岡市は徳川家康にとっては(今川家の人質の身分だったとはいえ)幼少期を過ごした思い入れ深い場所です。
徳川家康は二代目将軍秀忠(ひでただ)に将軍職を譲った後、大御所(おおごしょ)として静岡に戻ってきました。
大御所となった家康は、将軍様のお父上ということで、実質将軍様よりも大きな影響力を持っていました。そのため、当時はまるで静岡(駿府)にも首都があるかのような影響力でした。
それからの家康は73歳に至るまで、その晩年を静岡市、つまり駿府(すんぷ)で過ごしました。
そのため静岡駅前(北側)には、晩年の徳川家康の像が建てられています。
徳川家康は73歳という、当時としては異例の長寿でした。その理由として、徳川家康は無類の健康マニアであったことが知られています。食事も質素で、運動もよくされていたようでした。
なぜ徳川家康が長寿と健康に徹底的にこだわったのかというと、それは豊臣秀吉にあったようです。豊臣秀吉は天下を取った後、贅沢三昧(ざんまい)の生活を送り、まだまだ活躍の余地があったはずなのに、(現代でいう)生活習慣病にかかって亡くなってしまいました。そのため、徳川家康はこうした豊臣秀吉の諸行を反面教師として学び、健康に留意するようになったのでしょう。
実は誤解を招きやすい、今回の歌詞 「駿州一の大都会」は正しい
さて、この第21番の歌詞は、現代において二つの意味で誤解を招きやすい歌詞になっています。
まず、「駿州一の大都会」という歌詞について「これは誤りである」との誤解を抱く方が多くいらっしゃいます。
それは静岡県=駿州、というイメージによる誤解からきます。
しかし、静岡県は必ずしも駿州だけとは限りません。
静岡県は駿河国(するがのくに)の他に、伊豆国(いずのくに)、遠江国(とおとうみのくに)からなります。
駿河国(駿州)=静岡県中部~東部(するがのくに/すんしゅう)
遠江国(遠州)=静岡県西部(とおとうみのくに/えんしゅう)
伊豆国(豆州)=伊豆半島の地域(いずのくに/ずしゅう)
静岡県最大の都市は浜松市ですが(人口約79万人)、浜松市は駿州ではなく遠州(えんしゅう)にあたるので、駿州一の大都会ということにはなりません。
つまり、静岡市(人口約68万人)は確かに「駿州一の大都会」という認識で間違いない、ということになります。
歌詞の誤解その2 鉄道のトンネルは、宇津ノ谷峠を通ってはいない
また歌詞には「宇津の谷の 山きりぬきし洞(ほら)のみち」とあります。
まるで歌詞だけ読んでいると、鉄道がかつての東海道の難所であった 「宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)」の下にトンネルを通っているかのようにも思えますが、実際の鉄道の線路は宇津ノ谷峠よりも南の海岸沿いのトンネルを通っています。
このトンネルを石部トンネル(せきべトンネル)といいます。
つまり宇津ノ谷峠は鉄道の線路よりもやや北にあるのです。
このように、鉄道唱歌では一定数の誤植や解釈違いがあります。
他にも例を挙げると、鉄道唱歌山陽・九州編第33番では
「中津は豊後の繁華の地」
とあります。しかし、大分県中津市(なかつし)は実際には豊後国(ぶんごのくに)ではなく、豊前国(ぶぜんのくに)にあります。
これは大分県の中津市を除く大部分が豊後国にあたることによる誤解と思われます。
鉄道唱歌奥州・磐城編第32番では、
「一の関より陸中と きけば南部の旧領地」
とあります。しかし、岩手県一関市(いちのせきし)は、実際には南部藩の領域ではなく、伊達藩の領域になります。
歌詞や書籍の誤りは、人間が作る以上仕方がない
このように、本にせよ書籍にせよ、人間が書く以上どうしても勘違いや思い込みが発生してしまいます。
もちろんこのブログにもたくさんの誤植や勘違い、思い込みなどが入っているかもしれません(もちろん十分に調べた上で書いてはいますが)。
いつもお願いしてることではありますが、もし、皆様が誤りを発見されたら、優しい口調でコメント欄で指摘していただければ幸いです(^^;)
ご理解・ご協力お願い致します。
なので、以上をまとめると「駿州一」については誤っているようで実は正しく 、 「宇津ノ谷」については正しいようで実は誤りという、なんとも不思議な歌詞となっていることがわかるはずです。
安倍川を渡り、石部トンネルをくぐり、焼津方面へ
話題を歌詞の内容に戻します。
静岡駅を出ると、この辺りの大きな川である安倍川(あべかわ)を渡ります。
安倍川には、かつての江戸時代からの東海道の名物であり、また徳川家康にも喜んで食べられたという「安倍川もち」があります。
安倍川を過ぎると、いよいよ歌詞にあるように、静岡市と焼津市の間をなす峠の下をトンネルで潜(くぐ)ります。
この峠は宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)といい、かつて江戸時代の東海道の時代にはこの峠道を歩いて昇って越えていたのでした。
宇津ノ谷峠は東海道の難所とも呼ばれ、「蔦の細道(つたのほそみち)」という峠の道がありました。
現代では鉄道によって宇津ノ谷峠は通らず、その南の海沿いのトンネルの下を通ります。このトンネルを石部トンネル(せきべトンネル)といいます。
かつて江戸時代は鉄道もなく歩いて越えていた峠を、列車はトンネルによっていとも簡単に超えていきます。
現代の我々ではもはや当たり前であり、なかなかその恩を感じることができませんが、こうした宇津ノ谷峠や鉄道の歴史を知ることで昔の人々の苦労を知ることができます。
まさに鉄道唱歌(東海道編第65番)の歌詞にあるように「人に翼の汽車の恩」ですね。
また、宇津ノ谷峠の南の海岸には大崩海岸(おおくずれかいがん)という断崖絶壁があり、とても人が通れないような海岸でした。
まるで興津のところでも出てきたような「親知らず」という断崖絶壁の海岸や、薩埵峠(さったとうげ)を思い出しますね。
繰り返しになりますが、こうした断崖絶壁や峠道というのは、現代ではトンネルでいとも簡単に越えていきます。交通の歴史の発展ってすごいですよね。
さらに、宇津ノ谷峠を少し過ぎたところには、峠を越える旅人たちをもてなしたと思われる岡部宿(おかべしゅく)という宿場町がありました。
石部トンネルを抜け、昔の交通の難所だった宇津ノ谷峠をも後にすると、間もなく列車は焼津に到着します!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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